2019/02/04 のログ
■人見瞳 > となりの私に手を引かれる。
同じ色のカーディガンを着込んだ腰にそっと腕を回して、同じ色をした瞳と間近に見つめあう。
生唾を飲んで、かすかに震える吐息を飲み込んで。私は私に唇を奪われる。
―――ああ。どうして私の唇はこんなにも柔らかいんだろう。
衣擦れと口付けの密やかな音だけが、そこかしこから聞こえる。
粘膜接触をトリガーとして、どちらが主体でも客体でもなく、ふたりの私がひとりになる。
知識と経験、この場合は学力とその他諸々の記憶をひとつに束ね合わせて。
10人の私が5人に減った。5人が3人に。3人が2人に。2人が1人へと収斂を果たす。
乗組員が消えてしまった幽霊船みたいに、9人の私が痕跡だけを残して忽然と消えた。
けれど、私の主観は切れ目なく継続している。私は私。中身はいつも同じだから。
「お待ちどうさま。それで、何か御用ですか?」
名前も知らない誰かに問いかける。
今この人に殺されちゃったら半日分の猛勉強が無駄になるのかな、などと考えながら。
■ヘンリー > 硬直した。具体的には、その漏れ聞こえた音に。
別に盗み聞きをしたってわけじゃあないんだ。視覚を使わないのであれば、別の器官に意識が行ってしまうこと。
そんなの、どこにだってよくある話だろ? だから。だからオレはその――形容しがたい。
しがたい、というよりも、していいのかわからないのだが。していいのかわからない艷やかな。
色っぽいような。それこそ、――淫靡に聞こえてしまうのは、ただのオレの趣味なのかもしれないけどさ。
背後で何が起きているのかはわからない。わからない、が。
わかることは、絶対にいま、振り向いてはいけないということ。
振り向けば、大事なものを失う気がする、ということ。ああ、なんでそのキスの相手がオレじゃないのかな、とか。
そんな下らないことを考えて、意識を頭に集中させる。なんで頭かって?
――それこそ言う価値もない。そうしないと、「困る」からだ。
「ああいや、用というわけじゃないんだ。その、同じ顔がふたつ、通りかかったもんで。
驚いたというよりも、好奇心? どういう仕組みなんだ? と思ってさ。
ああ、あとそれから。可愛い女の子だったから、どんな娘かなって、興味が湧いたのもあるんだけど。
むしろそっちが本題。……えーと。オレ、ヘンリって言うんだけど。君は?」
振り返った先には、一人しかいなかった。さっきまで、この十倍いたはずなのに。
だから、余計に気になって仕方ない。さっきの水お――考えない。後ろを向いてる間に、九人はどこにいったのかってこと。
■人見瞳 > 「人見瞳といいます。留学生の方でしょうか」
とても不思議なものをみて、それが何か気になってしまうのは自然な好奇心の発露と言うべきもの。
私が彼でも同じことをしていたでしょう。
「私が学校の怪談的な何かだったら、どうするおつもりだったんですか」
「あなたは11人目の私になるさだめだったかもしれない。ええ、もしもの話です」
「可愛くない女の子なんかいませんよ。女の子はみんな可愛いので」
この場合の「可愛い」とは「千早ぶる」神々のような、枕詞のようなもの。特別な意味はありません。
「まだ勉強会の途中なので、ごめんなさい。ちょっと失礼しますね」
重なりあった像がふたつに分かれるように、ひとりぼっちの私がふたりに増える。
倍々ゲームで8人に増えて、端数のふたりも追加されて勉強会の島へと戻っていく。
「こっちはまかせろー」
「3人で一冊。余裕っしょ」
「無駄口を叩いてないで、さっさと終わらせるぞ」
9人の私が問題集との格闘を再開する。
■ヘンリー > 「ヒトミ、……ああ、同じ響きが続くのか。愛らしい。いい名前だ
ああ、留学生、と言えばそうなのかも。異能はサッパリだけれどね。ただの学生さ。
……失礼なことを言うなら、学校の怪談の正体を見てやろうと思ったんだよ。だからまあ、十一人目になるのは覚悟の上さ」
肩を竦めてみせて、いつもどおりに笑ってみせる。
そして、女の子に対する形容じゃないのはわかってるから言わないけど。
もともと住んでたところの学校の顕微鏡で覗き込んだ分裂を思い出してしまった。
その、複雑な機構もない単細胞の生き物が増えるかのように、複雑な機構のはずの彼女が増える。
「迷惑だったら出直すよ。君……たちも忙しそうだしさ。
怪談の正体を知った時点で第一目標は達成してるわけだし。第二目標は、短時間じゃ達成できそうにないしね。
それに、勉強をしてるところの邪魔はできないし」
ああ、と小さく呟く。ポケットに入れっぱなしの電話番号のメモ。
それを引っ張り出して、彼女に差し出す。ダッツ、奢るって言ったし。
ダッツよりも美味しいものを一緒に食べに行ってもいい。むしろ、行きたいし。
「ダッツ。奢るよ。見るからに今は大変そうだし。
オレは勉強できないから、一緒に勉強会なんて言えないしね。そもそも教わる側だ。
手を煩わせるのも――いや、もう煩わせてるんだけどさ。今じゃないほうが、きっといいでしょ」
多分、と。付け足しながら笑顔を浮かべる。
ああ、でも。十人分のいいところのレストランとか、気が遠くなりそうだな、なんて思いながらさ。
■人見瞳 > 「あとは放っておいても終わるでしょうから、お気遣いなく」
9人分の学力を集めた私が9人に増えて、並列処理で問題集を攻略していく。
収穫逓減の法則を加味しても、学習効率は指数関数的に跳ね上がるという寸法です。
10人が9人になったとしても試験対策はばっちりでしょう。
メモの中身に目を走らせ、その場でワンコールだけ入れて。
「私の番号、ショートメールもこちらにどうぞ」
「勉強のことで困っているなら願ってもない話。家庭教師もしているんですよ」
「ああして勉強しながら人に教えてもいるので、二年生後期のカリキュラムまでなら喜んで引き受けましょう」
ざっと相場の三割安。それでも割のいいバイトに変わりはなく。
ダッツひとつで、とは参りませんとも。
「万に一つにも欠員が出ることはありませんけれど」
「もしも11人目が必要になったら、その時はお覚悟いただきましょうか」
軽口を叩き返して、笑みを向ける。
■ヘンリー > 「! そりゃあ助かる。オレ、まだ一年だし。一年の段階で置いていかれてるし。
出来が悪いとね。さっきまで補習だったんだけどさ。補習もわかんなくて。
家庭教師が美人だとやる気も出そうだ。連絡、するから。今から断ってももう遅いぜ」
その申し出はオレにとって渡りに船だった。
本人にも言ってしまったけど、美人の家庭教師っていうのはいいものだ。それはもう。
そんな軽口を叩いて、ポケットで震える携帯液晶端末に触れる。
わずかに画面を明るくして、またポケットに仕舞いなおす。女の子と話している時間に画面なんて見るのは損だ。
「ああ、そうだ。それじゃあ、ボディーガードならいつでも呼んでよ。
荷物運びとかでもいい。そういえば、でオレの名前が浮かぶようなら、どこにいたって飛んでくるから。
十一人目でも喜んで。ああ、でも。君とデートを終えてからで頼むよ」
笑う。楽しいから。美人との会話は楽しいし、日々の潤いであることに違いない。
事実、クタクタだった補習あとだっていうのにこんなに今は元気を取り戻しているんだから。
邪魔をしても悪い。また次の約束もできそうだし、今、こんなに長居する必要はない。だから。
「それじゃあ。邪魔して悪いね。正体を知れて大満足さ。またね、美人さん」
ひらりと手を振って、教室をあとにする。
今日は。今日は実に。……思い出さないようにしていたけど。いい刺激だった。だったと思う。
ご案内:「教室」からヘンリーさんが去りました。
■人見瞳 > 「もっと沢山増えることができれば色んな商売ができるのですけれど、今はこういう仕事をしていまして」
国際NGO《ブルーブック》の名刺を渡す。異邦人街の住所と連絡先がかいてあるやつです。
異世界からの転移者に対するこちら側への定着支援。当局のセーフティネットを補完するお仕事をしています。
「どうしても見覚えがなかったので、あなたと私はこちら側。広義の同郷人ということになるのでしょう」
「そちらの仕事で、お手伝いが必要になれば……何かお願いすることがあるかもしれません」
私のリソース繰りが12名体制でも追いつかないとき。たとえばそう、試験期間中のような場合に。
「ごきげんよう、ヘンリー。王さまの様な名前の人」
彼が去るのを見送って、教室がまた少しだけざわつきだす。
「で、どうするのさ」
「どうって、何が?」
「どうもこうもあるか。よくあるナンパだ。まともに取り合うんじゃない」
「繊細で、たぶん傷つきやすい人。放っておいても害はありません」
「まーた勝手なこと言って。無駄口はそこまでだ!」
「さっさとおしまいにしてごはん食べよう。おなかすいたー!」
「ラーメンがいいな」
「学食のやつな」
「今日は博多風とんこつの気分かな。替え玉も頼んじゃおう」
「「「いいね!!」」」
お夕飯までには終わらせました。
ご案内:「教室」から人見瞳さんが去りました。