2021/03/07 のログ
リタ・ラルケ >  
「乾杯ー」

 お互いにコップを打ち合わせる。少し大きめの音が部屋に響いた。
 一口。

「ん、美味しい」

 純粋な味という観点では、まあ自分が作る方がいいのだろうけど――全然美味しい。優しい甘さで、お風呂上りの身体に染み渡る感覚。

「初勝利、かあ。あれはまあ、うーん。隙を突いて相手の背を取って、その後はどうにかこうにか耐えて、ってところだからなあ」

 綺麗な勝ち方というわけではないだろう。実際、試合の後はすっかり体力を消耗しきってしまったわけだし、その後の試合は結局、あまりパッとしないまま警戒されて負けてしまったし。

「あまり、ね。応援してくれたのは嬉しいけど。あまり誇れる結果でもない、んだよなあ」

 少しだけ、声のトーンが落ちる。
 ……やっぱりなんていうか、今日は少し心が疲れてしまっている。
 

迦具楽 >  
「――ぷはぁっ!」

 並々と注いだチューハイを、乾杯から一息に一気飲み。
 すでに二杯目も注いで飲み始めている。

「んっく、あー、美味しい。
 これが酔うって感じかー、気分いいなぁ」

 あっはっは、と笑いながら泥酔とはいかないがすでに、随分と飲んでいるようだとすぐにわかるだろう。

「なぁーに言ってんのー。
 ろくすっぽ練習もしてないくせに、初出場で初勝利してんだよ?
 一体、何がどーう気に入らないってのさあ」

 そう言いながら、赤い顔をリタの鼻先まで近づける。
 酒臭い息が漂ってくるだろう。

「なにさあ、あんな負け試合の流れをひっくり返したくせにさー」

 至近距離の赤い瞳は、酔いが回っているからふらふら揺れている。
 

リタ・ラルケ >  
「んぇえー、迦具楽、すっごく飲むねえ」

 考えてみれば、すでにここに来る前に迦具楽は酔っていた。それはつまりここに来る前にある程度飲んでいた、ということで。
 加えて、お酒に関しては素人ながらも、まあそんな素人でもわかるくらいにはハイペースで飲んでいるもので。強い人はこんな感じなんだろうか。

「まあ、んー……そう言われれば、そうなんだけど――」

 自分の憧れた景色は、未だ変わってなくて。空に曳かれた赤いコントレールと酒の臭いってちょっと待て、

「ストップ迦具楽、流石に飲みすぎじゃない?」

 思考が中断されるくらいにはそう思う。少なくとも、あまり大丈夫そうには見えない。
 もし本当にダメそうなら、薬でも用意するべきだろうか。ちゃんと効くかどうかは別にして。

迦具楽 >  
「んえ、こんなの全然、酔ってない酔ってない。
 それよりほらぁ、勝ったなら勝ったでしっかり喜びなさいってばあ。
 じゃないと、リタが負かした相手が報われないってもんでしょー」

 そんな事を言いながら、肩に腕を回すようにもたれかかる。

「それともなーにょぉ、気がかりでもあるってわけ?」

 腕を回したまま、片手でウィスキーの小瓶を開けて、そのまま直に飲む。

「くぅぅぅ――ッ!」

 きついアルコールが喉を焼いて、頭の中がひっくり返るようだ。
 

リタ・ラルケ >  
「いやまあ……そう、かあ。そうだね」

 勝ったこと自体は、まあ素直に嬉しいのだし。勝った相手がいつまでもそんな態度であれば、負けた相手が報われない、というのも確かにと思う。
 まあそのことを喜ぶ前に、一つ。
 迦具楽、絶対これ止めないといけないやつだ。

「迦具楽ぁ……ほんとこれ以上はダメだって。ね、ちょっと休も」

 だんだん迦具楽の様子がおかしくなっていく。お酒の瓶からそのまま飲む人間が――いや人間じゃないのだけれど、それはともかく、おおよそ正気であるとは思えない。
 とにかく落ち着かせないと、どうにもなるまい。ああ、サヤ、今から連絡して来てくれるかなあ。寝ちゃってるかなあ。

迦具楽 >  
「ぜんっぜん、これくらいなんでもないってばあ。
 むしろいい気分だし、なんかもー調子いいくらい?
 んへっへへ、まだまだいけるってもんよぉー」

 けらけらとリタの耳元で笑いながら、酒の匂いは強まるばかり。
 吐き出す息が漂ってくるだけで、鼻にツンとくるくらいだろう。

「でぇー?
 しっかり勝っておいてぇ、なぁにが引っかかってるわけー?
 ほらあ、なにか気がかりがあるなら話してみなさいよぉ。
 あー、それとも素面じゃ話せない?
 しかたないなー、ほらほら、リタも一口飲んじゃおうよー」

 そう言いながら、ウィスキーの瓶を近づけていく。
 ただし、その狙いはズレていて、このままでは頬に押し付けられるようになるだろうが。

 ※未成年に飲酒を勧めてはいけません
 

リタ・ラルケ >  
「気がかりって、それは――」

 頬に押し付けられんとする瓶を避けつつ、言う。
 ――ひとまず、これが終わったら何が何でも薬を作ろう、と思った。酔いの薬は知らないから、とりあえず気付けの意味も込めて"万能漢方"でいいと思う。ちょっとなんていうか、心配になる。
 なぜだか物言わぬはずの"木"の精霊が「薬は厄介な人を黙らせるために飲ませるものじゃありません!」と言っているような気がするけれど――まあ誤差みたいなものだろう。一応酔いにも効くだろうし。

 閑話休題。
 気がかり、というのは。

「――迦具楽は、私が勝ったことを、どう思ってるんだろう、って思って」

 迦具楽が「スイマー・リタ」に複雑な思いを抱いていることは、なんとなくわかる。大会に出る、少し前の日に、海岸で出会った時から。
 大会が始まってから、できるだけ考えないようにはしていた。だけれどすべてが終わった今、気を抜くとふと考えてしまう。
 本当は、自分は勝ってはいけなかったんじゃないか。

「……『ろくすっぽ練習もしてない』私が勝っちゃった、から。そのことを、どう思ってるんだろうなあ、なんて」

 声のトーンが、また下がる。
 考えないようにしていた。だけど、不安だった。
 自分が勝ってしまったことで。
 スイマーとしての迦具楽が、リタの友人としての迦具楽が、どこか手の届かないところに行ってしまうのではないか、ということが。

迦具楽 >  
「んー、あー?
 なんだ、そのころ?
 別になんとも――」

 片手に持っていた瓶を、トン、と音を立てながら置いて。
 親友の首に抱きつくように両腕を回して、その肩に頭を乗せるようにして凭れた。

「――思わないわけ、ないじゃん」

 静かで、冷たい声。
 アルコールに酔っていても、少しも熱に浮かれていない、冷えた声だ。

「負ければよかったのに。
 あのまま追い詰められて、不格好に負けていればよかったのに。
 そうしたら私は、残念だったねって笑っていられたのに」

 背中に回した腕に力が籠る。

「次の試合も、順位は落ちたけど悪くなかった。
 他の選手にマークされている中で、四位。
 競技の世界じゃよちよち歩きも良いところの人間が、しっかりマークされた上で四位。
 なんで?
 どうして最下位じゃなかったの。
 『ろくすっぽ練習もしていない』ような人間が、どうして?
 幸運? まぐれ?」

 腕はまるで、逃がさないとでも言うように、きつく少女の身体を締め付ける。

「――違う。
 答えはわかり切ってる。
 素質とか、才能とか、言葉はなんだっていい。
 明確な事実として――リタはあなたと戦った選手の誰よりも、スタートラインが近かった。
 空を飛んだことがあるとか、『その程度』の差なんて些細なモノ。
 初戦の結果は、間違いなく、リタ・ラルケという選手の実力。
 あなたの、力」

 逃がさないように捕まえて、その耳に、温度のない声を淡々を響かせていく。

「伸びしろは未知数。
 でも、ソレは遥かに高い。
 並大抵の選手よりも――私よりも。
 本気になれば、プロの世界でも通用する。
 トップレベルのスイマーになるのだって、夢物語じゃなく、現実的。
 それが、あなたの可能性」

 ぎり、と指先に力が入る。

「だって言うのに、『私がどう思っているか』なんて、そんなくだらない事で足踏み?
 結果が不満とか悔しいじゃなくて――喜べないだけ?
 ふざけないでよ」

 腕は少女を締め付け、指先はわずかに皮膚へ沈み込む。
 少し力を籠めればへし折ってしまえる――

「妬みもすれば、悔しくもなる。
 今だって、酔わなくちゃ顔を合わせられないくらい、胸の中はドロドロしてる。
 そんな自分の勝利すら喜べないやつに、負けてると思わされてるなんて、怒りでおかしくなりそう。
 それこそ――このまま絞め殺してやりたいくらい」

 それは間違いなく迦具楽の本心、その一つ。
 愛憎入り混じった感情は、少女を祝いたいと思う反面で――嫉妬と劣等感に狂いそうだった。

「なに、飽きっぽいって。
 飽きっぽいから本気になれない。
 飽きっぽいからすぐに別の事に気移りしちゃう。
 飽きっぽいから中途半端になっちゃう――嘘つき」

 自分が吐き出している言葉がとても醜く、幼い親友に向けるべき感情ではないとわかっている。
 けれど、それでも、理性の箍を緩ませれば、溢れたものは止まらない。

「リタはただ――本気になるのが怖いだけのくせに」

 より耳元で、息が掛かる距離で。
 冷たく囁いた。
 

リタ・ラルケ >  
 吐き出されるものを、自分は何も言わずに聞いていた――けれど。それでも、耐えがたいものではあった。
 ああ、言葉というのは。呪詛というのは。
 こんなにも鋭く、自分の心を穿つのだと。

「……本気になるのが怖くて、何が悪いの」

 ――次ぐ言葉は、自分でもびっくりするくらいに、感情のない言葉だった。

「本気になって、一つのことを頑張って――それで上手くいって、良かったね、で終われば、それでいい。だけど、」

 心の中で、止めてと叫ぶ声が聞こえる、気がする。だけれどどうしてか、止められはしなかった。

「だけど、どこかで間違えて、周りを見ないで、それに気づかないまま、頑張り続けて。それで、取り返しのつかないことになって」

 古い記憶。もう、詳しいことは覚えていない。けれど、これだけは覚えている。
 元いた世界で、私は、本気でただ生きるしかなかった。
 生きるために、本気で戦うしかなかった。
 そうして、その結果、私は、人をたくさん、

「『くだらない事』なんて、どうして迦具楽が言うの。大切な人を苦しませてるかもしれないって思うのを、どうして『くだらない事』なんて言われなきゃいけないの」

 本気になるのが怖い、のは。

「――もう、嫌なの! 大切な人が苦しんでるのに、それを見ないまま頑張るのなんて! それに気づけないのなんてっ!」

 ――気づいたら、そう叫んでいた。

「私にエアースイムの才能がある。だから、本気でやる。だけどそのせいで大切な人が、迦具楽が、嫌な思いをしてるなら、」

 だけど、その荒げた声も、最後までは続かず。

「……本気でだなんて。できるわけ、ないじゃん」

 結局最後は、涙交じりの声で、そう言うしかないのだ。

迦具楽 >  
 きっと、この小さな親友は、とても深く傷ついて生きて来たのだろう。
 叫んだ声は痛々しく、心からの悲鳴が響く。

「――そうね、怖くて、怯えて。
 なににも本気になれないまま、言い訳をしながら逃げて、
 そうやって中途半端で、空っぽのまま生きていくなら、それでいいんじゃない」

 否定はしない。
 けれど、その理由に自分が使われているのが、腹が立つ。
 そうやって――未来を閉ざす理由に、大切なヒトを使うのか。

「私は、大切なヒトを苦しめても、傷つけても、やるよ。
 それが本気で何かを得るための、目指すための、覚悟でしょ」

 少女はその覚悟も出来ず、強いられ、傷ついたのだろう。
 それには憐憫も抱くし、同情するし、怒りもしている。
 迦具楽にとっても、この少女は特別な――大切なヒトなのだから。

「まあ、なんて。
 本気でい続けるのが苦しくて、逃げようとしてる私が言う事じゃないか――ぷふっ」

 リタを締め付けていた腕を離し、仰向けに倒れる。

「ふふ、はは、あははは!
 んっふふふ、ぷ、ひ、はははは!」

 そして、腹を抱えながら大きな笑い声をあげた。

「ふふふ――はぁ――、やっと聞けた」

 笑い過ぎたせいか、その眼尻にはうっすらと涙が浮かんでいる。

「あーあー、うん、リタは別に悪くない。
 きっと悪いのは、こんな気持ちをぶつける私で――こんなふうにしか、やれない私の方だ。
 でも、だからって譲れるもんじゃない」

 なにせ、本気だから。
 少女の悲鳴を聞いて――本気になってしまったから。
 例え傷つけても、苦しめても、退く気はない。

「そういうときって、どうするか知ってる?」

 ばっと、跳ね上げるように体を起こし。
 迦具楽はリタの頬へと手を伸ばす。

「――喧嘩しようよ、リタ」

 そう、指先で滲みだす涙を拭うようにしながら。
 

リタ・ラルケ >  
「……もう。笑うなんて、ひどいな――」

 言葉とは裏腹に、安心している自分がいる。
 自分の本心を明かすのも、少しだけ怖かった。本心を吐いて、それでも言い訳だって言われて、ましてもう嫌いだと言われれば、どうなるかわからなかったから。
 だけれど返ってきたのは、ちょっぴり怒りを孕んだ声と――その後、大きな笑い声。
 嫌いだなんて、一言も言われやしなかった。

「……喧嘩、かあ」

 昔、誰かと誰かが、酒が入った勢いのままで、殴り合っているのを見たことがある、ような気がする。
 聞くに堪えない罵声をぶつけあって、お互いに怪我だらけになって、血だって流れるのも日常茶飯事だったのに。
 それでもどうしてか、結局は笑って終わっていた、ような気がした。

「……迦具楽。全部終わったら、さ。また前みたいに……ううん。前よりももっと、仲良くなれるのかな」

 自分には、理解のできない世界だった。他人に拳を振るうのは、得てして傷つけるだけだと思っていたから。
 自分も、あんなふうにできるのだろうか。今ではもう、記憶も曖昧になってしまったけれど――それでもまだ覚えている、あの二人のように。
 不安で、そう訊いた。

迦具楽 >  
「酷いのは、お互い様でしょー」

 本心をぶつけ合っただけで嫌いになるのなら、きっとこんなに親しくなろうだなんて思っていない。
 まあそれでも、醜い自分を見せるのが怖くて、酒の力を借りるしかなかった迦具楽は随分と格好悪い具合なのだが。

「さぁ、どうだろうねえー。
 けど――きっと中途半端にして、このままにしてたらきっと。
 私もリタも、苦しいままで変われない」

 だから、喧嘩なのだ。
 言葉をぶつけ合って、気持ちをぶつけ合って。
 そうやって、ぶつかり合う事でしか見えないものがあるから。

「ま、喧嘩ったって、殴り合ったり傷つけたりは無し。
 私たちには、おあつらえ向きなものがあるしね」

 そう言って、人差し指を立てた。

「一対一のスカイファイト。
 ワンヒット決着のサドンデス方式。
 それではっきりさせよう。
 もちろん、私の方はハンデもつける」

 そう言ってから、置いていたウィスキーの瓶を手に取って、一気に呷った。

「く、ひぃぃぃー!
 ん、で!
 私が勝ったら、私は競技スイマーをやめる。
 リタが勝ったら、絶交、しよ、う」

 ふら、ふら、と視界が揺れる。
 そしてそのまま、くるん、と視界が反転。

「あれー、なんか、天井が見えるーひひひー。
 りたー、どこー?
 あー、も、なんか、ねむ――」

 仰向けにひっくり返った迦具楽は、少しだけ親友を探すように手を動かしてから。
 そのまま、大きないびきをかいて眠り始めてしまうのだった。
 

リタ・ラルケ >  
 中途半端にしていたら、苦しいままで変われない。全くその通りだ。
 だからこそエアースイムというものに向き合うために、自分は大会に出たのだから。

 そして、その『喧嘩』は、まさしくエアースイマー同士のもの。
 前に一度、似たようなことはしたことがあるけれど――今度は正真正銘、同じ舞台での勝負。

「それは、うーん……」

 とはいえ提示された条件を聞けば、どっちが勝ったって、喜ばしくない結果なような気がするけれども。
 言い返してやろうと思ったところで――ぱたりと迦具楽は、眠り始めてしまった。

「……勝手な約束、してくれた、なあ」

 そりゃあ勝手なことを言えば、迦具楽に競技スイマーを辞めてほしくはないし、かといって絶交だなんて、割と本気で立ち直れない自信がある。
 かといって手を抜いてわざと負けるようなことがあれば、それはもう意味がないのだ。それこそ本気で失望されたっておかしくない。

 ようやく。
 本当の意味で、自分はエアースイムというものに向き合える時が来た。

「……二人とも、本気で。本気でやって、それでも最後に笑って終われないなんて。……そんなの、私は嫌だからね」

 この言葉は、もう迦具楽には届いていないだろうけど。まあ、それはそれでいい。
 とりあえず今は、無造作に寝ているこの親友を、ベッドに寝かせて。

 ……明日の朝、体調がよくないようだったら。それは良い薬を作ろうと思う。
 それはもう冗談みたいに効いて、冗談みたいに元気になって――冗談みたいに苦いやつを。

ご案内:「常世寮/女子寮 リタの部屋」からリタ・ラルケさんが去りました。
ご案内:「常世寮/女子寮 リタの部屋」から迦具楽さんが去りました。