2019/07/16 のログ
ご案内:「カレーショップ『ナース・コール』」にアガサさんが現れました。
ご案内:「カレーショップ『ナース・コール』」にアリスさんが現れました。
アガサ > 常世学園は年に二度災厄に見舞われる。学生である限りこの恐怖から逃れる事は出来ない。
しかし禍福は糾える縄の如しと古人は良く言ったもので、恐怖という名の前期試験を無事に切り抜ける事の出来た学生の顔は一様に晴れやかなもの。
……たぶん、きっと。

「うーん……………うーん……………?」

梅雨も終わった常世島は一気に夏模様となっていた。
陽炎の立つ道路。何処かで鳴いている蝉。目に痛い程の明暗を作り出す街路樹の木陰。
見上げると、雲塊の浮かぶ青空が鮮やかで遠雷の音が聴こえる。

「本当に此処でいいのかなあ~~?」

どうしようもなく夏真っ盛りな街中の、大通りに面した一軒の店の前で私は渋い顔をしていたんだ。
カレーショップ『ナース・コール』
黒地に赤抜きの文字が何処となくおどろおどろしく、絵看板に描かれているのは医療器具であるとか看護師さんの姿であるとかだ。
それでいて扉の向こうからはインドめいたBGMが僅かに聞こえ、窓から覗く店内調度に絵看板のような風情はない。
場所が異邦人街であるから、インパクト重視の謎のお店としか思えないのだけど、
なんでもこのカレー屋さんが今、島内SNSで話題だって言うんだから不思議に、もとい訝しく思う。
傍から見るなら怪し気なお店の前で、怪し気に悩む女生徒が居る不可思議な光景。
時折後ろから誰かしらの視線を感じたりもしたけれど、無理も無いと他人事のようにも思った。
誘ってくれた親友を疑う気持ちは、これっぽっちも無いのだけれど。

アリス >  
災厄、それは人によっても異なる。
私やアガサにとってそれは、試験……という形であった。
それをクリアした今、最強、無敵、比類なき学生として夏休みを迎えられるのだ。

「やっほーアガサ」

学生服姿で手のひらを振って近づいてくる。

「今日のコーデもいい感じね、アガサ」

店を見上げると、そこにはどこか恐ろしい雰囲気を持つカレーショップの看板。
こうこう、これこれ。ここここ。

「この店、SNSですっごく話題の店なんだってー、辛いんだってー、美味しいんだってー」

ん? 辛いと美味しいの言う順番が逆だったかな?
まぁ些細些細。とにかく今日はカレーという気分なので。

「心には冒険が必要な時もある!」

と言い切ってカレー屋に足を踏み入れた。
この時は。あんなことになるなんて思いもしていなかった。

アガサ > 「夏休み前に凄い物を食べてお腹を壊す……とか冗談じゃないぞお。
でもこういうのって、奇抜さで好奇心を煽って、いざ食べてみたら堅実で美味しい味。とかそういうパターンかな?」

携帯デバイスを取り出し、店の名前や場所。そして訪れたお客さんの感想等を確認す。
評価は概ね良く、再訪の声も多い。なのに店内は撮影NGであるらしく料理の写真が一つも無い。
そこで私は冷静に推理を働かせて精神の安定を図る。すってー、はいてー、もう一度すってー。

「おっとアリス君!今回は面白そうなお店へのお誘いありがとうね。……コーデは……アリス君、その恰好、大丈夫?」

深呼吸をしていると声が掛かって振り向いて、掌を振る親友に合わせて手を振りハイタッチ。
けれども私の顔はちょっとだけ浮かないものになる。カレーを食べるのに随分とフォーマルな恰好をしているんだもの。

「跳ねて飛んだら落ちないんじゃ……なるほど、冒険……」

でもそれはきっと些細な事なんだ。
試験を乗り越えた私達に怖いものなんて無い。
今日は素敵な冒険譚になる──なんだかちょっと、不穏な言葉も聞こえたけれど。
なるに違いないと店への扉を颯爽と開けた。

『いらっしゃ~い。お二人様ですね~』

扉を開けるとナースコールのようなブザー音が鳴り、看護師の服装をした、見た所異邦人には見えないお姉さんが席へと案内してくれた。
少し奥まった所にある二人掛けのテーブル席。卓上には獣頭人身の象さんの人形が置かれていた。

「店員さんの制服が気になるけど……何だか普通っぽいカレー屋さんだね?」

壁に大きく撮影御遠慮願いますとの張り紙が貼られている以外は普通のインドめいたカレー屋さんだ。
ただ、店員さんが持ってきてくれたメニューの分厚さは尋常ではなかったけれど。

「ランチセットもまだやってるみたいだけど……辛い奴がいいんだっけ?」

ぺらぺらとメニューの頁を捲りながら、私はより詳しそうなアリス君に訊ねてみる事にする。

アリス >  
「大丈夫、人気だからきっと堅実なパターンよ、きっと」

根拠レス発言でINTを下げながら両手を広げてくるりと一回転する。
大丈夫、大丈夫だから、大丈夫。

「うん? この格好?」
「本土にいた時も常世にいた時もあんまり制服着てこなかったし」
「むしろ夏休みを迎えるなら制服を着ないとしばらく着ないんじゃない? って思って!」

大丈夫大丈夫と笑って店先で手招きして。

「ああ、うん」

いきなり看護師さんが来てテンションが下がった。
どうでもいいけど看護師さんにいらっしゃいって言われる経験、この先二度とないと思う。

気を取り直して席に座って分厚いメニューを開いて。

「そうそう、この大紅蓮カレーっていうのが話題らしくてね」

開いて即決、だってこのカレーを食べに来たんだもの。

「すいません、私……大紅蓮カレー!」

夏休みに浮かれ、脳を1ミリも使わずに注文した。

アガサ > 「わお、トッピングも色々あるんだね。ベースのカレーに自分の好きな具を入れてオリジナルカレーを作ろう!なんてのもあるよ。……って早っ!?」

メニューに躍る様々なカレーは専門的な名称の後に判り易い説明が添えられた丁寧なもの。
それら以外にも好きな具をトッピングする事でお好みなカレーが作れるとあり、人気が出るのも納得できようもの。
撮影NGな理由は判らないけれど、さてどれにしようかな。なんて上機嫌にメニューを眺めていると、アリス君は即決していた。
そして、その声に続くように店内に鋭い声も飛ぶ。

『$%&@〒☆Θ§¶ΨЁ!」

それは呪文だった。
近似ではフタバコーヒーで新作のフニャペチーノを頼む時に近い。
まさか、と思って顔を上げるとカウンター席に座っている男性客の後ろ姿だけが見える。
きっと彼が注文したんだろう。

「え、えーと……じゃあ私も同じもので!」

気軽にオリジナルカレー。なんて頼もうとした鼻先を挫かれて私もついついとアリス君と同じものを頼んでいた。
店員のお姉さんは元気よく返事をしてくれて無事に注文が通る。

「大紅蓮カレーっていうのが噂のカレーなのかい?どれどれ……………写真、無いね……」

メニューを捲ると判り易い程に解り易く大紅蓮カレーの頁が目についた。
だって、絵看板と同じようにそこだけ黒地に赤文字でドハデに記されているんだもの。
曰く『当店自慢の生活妨害に貢献、辛辛大汗健康、病院まっしぐらな安全で本物ごす』

「……………人気だからきっと堅実……?」

あれ?これもしかして?みたいにアリス君を見つめるんだ。

アリス >  
「具が選べる系、マトンとか……それとゆで卵のスライスとかトッピングが選べる系もあるのね」

注文した後にメニューを熟読し始める。
なんか順番がおかしい気もするけど。

呪文のような注文が飛んでそれに気圧されていると、アガサも同じものを注文していた。
なんかこう……ヤバい…かも……
事件に巻き込まれた時と同じ予感がしているかも………?

「ふ…ふっふーん、大丈夫、SNSで噂のカレーだもの、大丈夫大丈夫」

しばしの間、苦しい笑顔で親友の視線を神回避していると、カレーが運ばれてきた。

「あ、来………」

見た目が辛い!!
匂いが辛い!!
カレーから漂ってくる匂いが目に痛い!!

「………いっせーので食べましょうか」

死なば諸共の呪文を唱えて手を合わせる。
カレースプーンを手に取り、なんかもう若干黒いカレーを掬って口に運んだ。

「いっせーの」

食べる。宇宙が広がる。辛い。辛い。辛いっていうか痛い。

「あふっ……これは辛いわね…」

とか言ってたら後から凄まじい辛味が猛追してきた。
ごふぁー!! かっらー!!

アガサ > 「そ、そうだよねえ。SNSで噂のカレーだものねえ!」

大丈夫だから大丈夫。乾いた笑いが店内に響き、軽妙洒脱なBGMに絡まって連れ去られて行った。
私の弾幕のように投げかけられた視線は全てが綺麗に避けられて床に転がり消えて行く。

「うわっ色凄いね!?」

そうこうしているとカレーが運ばれてきた。
いやカレーじゃないな。カレーってのは茶色いものだもの。
テーブルに置かれたものは赤黒くて、なんだか目に染みる匂いがした。

「……これ、魔術の授業で同じようなの見たことあるよ……」

呪術の。
と唇を引き攣らせてアリス君を見ると、なんということだろう。
彼女ったら晴れやかな笑顔でスプーンを手にして私を道連れにする気だった。
目線が『逃がさん』と口程に物を言っている事も判った。解ってしまった。

「よ、ようし。いっせーの!」

覚悟を決めて食べる。瞬間に寒い程の刺激が口中で弾ける。
甘さとか辛さを超越し、何だかジャリっとした独特の感触が新鮮かつ不気味な感じ。
具材は良く煮込まれて溶け切っているのか判然とせず多種多様なスパイスを感じ──

「うん、流石に大紅蓮……」

辛い。
辛くて痛くて辛くて痛い。
痛くて辛くて痛くて辛い。
辛辛辛辛辛辛辛辛辛辛辛辛
痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛

「……………………」

スプーンが止まる。口元を抑える。額からは汗が吹き出して、全身全霊が危険信号を発している。
これを食べきる事よりも、獅南蒼二先生から考課表に〇を貰う方が絶対に簡単に違いない。
そう確信できる味だ。なまじ味自体は悪く無く、成程SNSで話題になるのも道理だって納得もする。

「一体何が入っているんだろうねえ。このカレー……」

二口めが進まず、スプーンでぐるぐると地獄色のカレーを掻き混ぜて視線が泳ぐ。
店員のお姉さんが瞳を糸のように細めて此方を見ている事に気付いた。
まるで、きちんと完食するのを見張っているようにも思えた。

アリス >  
「本当、何が入ってたらこんな辛さになるのか…なんか寒気がしてきた……」

八寒地獄のナンバー・エイト。
極寒のために亡者の体が裂け、紅い蓮のように血が凍りつく。
ゆえに大紅蓮。

「これゲホッ……食べられるもの…? ゲホッ」

辛さに咽ながら聞いてみる。
既に涙目、満身創痍だ。
テンション急下降。SNSが嘘をついた。

いや、違う。
これこそ誰かを巻き込んででも同じ目に遭わせたいという叫喚の業。
人が持つ偽りの無い感情からいからいからいからいからい。

「フッ……万が一激辛だった場合も想定内よアガサ…」
「お姉さん、ラッシーを注文させてください!」

そう言ってキリッとした表情で追加注文。
辛味成分に苦しむ時、水を飲んでも大抵無駄。
乳成分を舌の上で味わうことにより味蕾がコーティングされた状態を作り出すこと。

それが勝利の鍵だ。

「こうしてラッシーを飲んで」

ああ、甘い。そして爽やかな香りがする。

「カレーを………食べる!」

もう一口食べてみる。

「うぼぁー………」

いくらなんでも焼け石に水すぎる!!
この辛さ、もう小細工で何とかなるレベルじゃない!!

アガサ > 「ギリギリ食べ物だと思うんだけど…………あ、良い事考えた」

その時私に天啓が下る。
辛くて食べれないなら辛くなくせばいいじゃない。
即ちメニューに記されたトッピング欄から、生卵の黄身とチーズを頼み、これを混ぜる事で中和するという作戦!
颯爽と手を挙げてお姉さんを呼んで注文し、これでもかと勝ち誇った顔をアリス君に向けるとしよう!

「ふっふっふ辛くて駄目なら辛く無くせばいいものね。大紅蓮恐るるに足らず。私の知恵の勝利ってものさ!」

アリス君はラッシーを。私は生卵とチーズを。
お互いに勝利を確信し合うも、アリス君は健闘虚しくラッシーが負けていた。
なんということだろう。こうなったら親友の分も私が生き残り、SNSに真実を報告しなければならない。

「ごげほっ」

生卵とチーズが溶けて混ざって尚地獄の如き赤黒さ。
一口食べると存在が消滅したかのように先程と変わらない味が私の舌を強かに打つ。
一体どういう調理をしたらこのようなカレーになるのか判らない。

「ま、まあいざとなったら残しても……」

二人して涙目で語らっていると再びナースコールのようなブザーが鳴った。
顔を向けると見るからに体育会系と思しき、きっと年上の男子3人組が賑やか如くしている所だった。
彼らは私達と同じようにSNSの話をし、私達と同じようにメニューもろくに見ずに大紅蓮カレーを頼んだ。
思わず目を覆って天を仰ぐ。

アリス >  
「ナイスアイディアね、私たちったら天才かも」

そんなことを言いながら地獄にのた打ち回るのはバカなのではないだろうか。
自分がバカであることを認めたくないために食べる。
食べる。辛い。死ぬ。苦しい。食べる。苦しい……
やってきた男性三人組を見て。

「ご覧アガサ、同じ地獄へのエントリーよ……」

ふふふ、となんかもう諦めの笑みすら浮かべながらカレーを食べる。
これ内臓へのダメージとか大丈夫なのだろうか。

確かに不味いカレーではない。
スパイスの香り高さ、コク深い味わいなんかはもう素晴らしい。
ただ、ただ………あまりに辛い…
なんかもう涙が出てきた……それくらい辛い…

ママがいつもビャーモンドカレー買ってくるからもっと辛いのがいいって文句を言ってたけど。
今は林檎と蜂蜜を遠く願う。

苦しんでる。新しく来た三人も苦しんでる。

アガサ > 暫くすると3人組の元にも大紅蓮カレーが運ばれる。
私達と違って彼らは勇ましく和気藹々とカレーの見た目について語り、笑い。
そして黙り込んだ。

「なんだろう。同じ仲間を見ると少し気分が落ち着くね……」

暗くて冥い感情の励起に、まるで魔女のように唇が歪む。
SNSに真実を伝えなければならない。そう意気込んだ自分が遥か彼方に居るのが解った。

『オ客サァン。オ味ノ調子イカガデスカ?』

その時、私達に近づく一人の人物が居たんだ。
見上げると浅黒い肌に立派な口髭を蓄えた男性の姿。コックコートを丁寧に着込み、頭にはターバンを巻いている。
きっと彼がコックさんか、或いは店長さんなんだろう。

「えっと…………」

言葉が迷った。美味しいと云うべきなのは解る。でもそれを言うには私達の食事は余りにも進んでいない。
アリス君なんか苦悶の表情で半泣きだし、どうみても美味しそうに食べているようには見えない。
でも、彼は私達のそういった様子などさもお見通しであるかのように、鷹揚にポケットから何かを取りだした。
紙包みだ。

『ダイジョブ。私ハ親切ダカラ。粉使ウ?コレ使ウ辛サ無クナル。オイシイダケニナル。
オ嬢サン達ハジメテダカラ300円デイイ。一度使ウ、ヤミツキニナル』

人好きのする、稚気すら感じさせる笑顔で紫色の粉末が入った包みを提示されて瞳を数度瞬いた。
視界の隅では、3人組の男子生徒の所にも粉を勧めているのか別の店員さんが立っているのが見えた。

アリス >  
「そうね……今、魂の位置が彼らと同期した気がするわ…」

辛い。苦しい。それだけがこの場所での真実。
頼んだ以上、食べなければならないのがポリシー。
しかし……大紅蓮カレー、恐るべし!!

近づいてきたコック姿の男性に。

「あはは………スパイシー? みたいな…」

涙目で苦笑いを浮かべて。
なんかもう胃が熱い。寒気も。

そこで差し出された紙包みを見てキョトンとした表情をする。
神の救いか、悪魔の誘いか。

「ええと……それが何なのか聞いてもいいかしら?」
「粉……みたいだけど」

安全なら使う。この窮地を切り抜けられるなら。しかし。しかし。

あまりにも怪しいー!?

アガサ > アリス君の問いに男性はやっぱり同じように笑った。その笑い方が慣れている。
まるで映画やドラマ、演劇で視るような笑顔らしい笑顔だった。

『コレ?コレハカレー。オ嬢サン、イイデスカ。カレーハオカアサンヨ。海ナノ。全テ統テ包ンデ優シク抱キシメルヨ。
カレーニカツヲ入レタラ?カツカレーネ。ハンバーグ?ハンバーグカレーネ。蜂蜜、コーヒー、ワイン、ヨーグルト。
全部カレート一ツヨ。一ニシテ全、全ニシテ一、ソレガカレーナノ。ダカラコレも"カレー"。ソシテカレー食ベレバ
貴方モカレーネ。皆ナカヨシ。世界平和ダヨ。」

アリス君への説明文を聞く一方で私の視線は3人組の男子生徒へと向いた。どうやら彼らは粉を買ったらしい。
紫色の粉を訝し気な様子ながらに振りかける姿を見て、次いでカレーを食べる姿を視た。

「……ぅゎ」

彼らの食べる速度が速い。一心不乱に、このカレーを食べきらねば今直ぐにでも死んでしまうかのようだ。

『そうか判ったぞ…ターメリックとは…ガラムマサラとは…カレーとは…』
『見えてきた……嗚呼、窓に。窓に……』

あと少しだけ聴こえる発言が、すごく、怪しい。

「え、えっと……折角ですけど……ね、ねえ?初回だし、味を変えてしまうのは次回の方がいいよね?」

首が油の切れかかったブリキの玩具のように動いた。
怪しいの、ダメ、絶対。視線に力を込めて親友を見る。

アリス >  
「うん……うん………うん?」

話を聞けば聞くほど。あ、怪しい……
その間、制服に汗が滲むのを成分ごと分解してみた。

男子生徒たちは一心不乱にカレーを食べている。
粉というのは劇的に効果があるものらしい。

でも。
パパとママに心配をかけるくらいなら後日腹痛で死んだほうがマシだ!!

「お断りするわ。ね、アガサ。だって……」

視線を受けて片目をぱちりと不器用に瞑ってウインクをすると。
ばくばくと気合を入れて目の前のカレーを平らげた。

「とーっても美味しいカレーだったもの、もう残ってはいないわ」

もう涙目どころか涙を流しながら強がる。
あの粉を使うくらいならこうだ、という意思表示でもある。

アガサのほうを見る。そして信じる。

アガサ > 海のように青い瞳で私達を見る彼。
ともすれば呑まれそうで、けれども私の親友は意思の帆を高々と掲げていた。
先程まで苦戦していた筈の激辛カレーを飲み物でも飲むように流し込み、滂沱と涙を流して晴れやかな顔。

「よ、ようし……!」

共に並んで歩く。歩けないなら背負ってでも進む。
いつか、そう決めたのだから私の取るべき手段は一つだ。
左手で皿を掴む。
右手はスプーンを握りしめた。
幸い赤黒いカレーは卵の御蔭で緩くもなっていて、一気呵成に飲み込む事に不便は無い。

「────御馳走様でしたっ!」

もしかしたら後日腹痛で大変な事になるかもしれない。
明日の私を今の私が応援し、目端を拭って店員さんに完食を告げる。

『…………』

彼は、来た時と同じように笑って、けれども言葉は無く立ち去って行った。
店内に流れる賑やかしいBGMが何やら懐かしく感じられた。

「よ、よしアリス君。次のお店に行こうか!ほら、デザートで有名なお店!」

私は颯爽と席を立ち、周囲に聴こえるように大きな声で親友を誘う。
何となくだけど、速く店から出た方が良い気がしたんだ。

アリス >  
親友も意思の力で乗り切った。
もうしばらくカレーは御免。

「ええ、今日はごちそうさまでした!」

慌てて支払いを終えるとアガサの手を引いて店を飛び出していく。
寒気が外の暑気に緩和された気がした。

「ふぅ、ふぅ……ごめんなさい、アガサ…」
「あーんなに辛いなんて思わなかったわ……」

お腹を押さえて。

「もうカレーは懲り懲りね……小さめのスイーツでも食べてお口直ししましょ」
「あーあ、SNSでは大人気だったのになー」

そんなことを言いながら親友とあれこれ騒ぎながら帰って。
後日、腹痛に苦しみながらあの店に風紀のガサ入れが入ったニュースを見た。

夏の終わり頃、あのカレー屋を見るともう跡形もなかった。

今でも思い出す、夏の蜃気楼―――……
みたいな爽やかな話ではないです。危険。

ご案内:「カレーショップ『ナース・コール』」からアガサさんが去りました。
ご案内:「カレーショップ『ナース・コール』」からアリスさんが去りました。