2020/07/12 のログ
ご案内:「異邦人街 修道院」にアルン=マコークさんが現れました。
■アルン=マコーク > 地球とは異なる文化に属する者たちのための街、異邦人街。
その中を、紅いマントを着けた少年が悠々と歩いていく。
演劇の衣装のように小綺麗な、気取った衣装であったが、この街の中にあってはそこまで目立つというほどのものではない。
「すいません。修道院というのはどちらにありますか」
だから、少年――アルンが、そんなことを尋ねても、気軽に指で指し示してくれる。
(言葉を介したコミュニケーションが重視されていないんだな)
アルンは心中で勝手にそう納得して、捻れた片角を持つ、浅黒い肌の男に深くお辞儀をした。
男の指の指し示した方角に、通りを下っていく。
よく見たことのない屋台で売られている、謎の串焼きなどをいくつか買って、アルンはぶらぶらと歩いていった。
「ここだろうか」
そして、石造りの建物の前で歩みを止める。
その建物の周りだけ、周囲の空気が澄んでいるような。
清冽な気配に、アルンは眉を顰めた。
■アルン=マコーク > 「そうか……僕は。『神官』の才能があるかも、などと失礼を……彼女は、正しく神官だったのだな」
そんな独り言を漏らしながら門を越え、正面の戸を叩く。
特に返事を求めることもなく、アルンは戸を引き、建物の中へと入った。
戸を開ければ、椅子が並べられ何やら宗教的なモチーフが飾られた広間があった。
アルンはその椅子の一つに腰を下ろし、傍らに串焼きの包みを置いて、ぼんやりとモチーフを眺めた。
勇者であるアルンは、『神』のことは自分には関係ないと考えている。
それは人々を守るものであり、自分を――勇者を守るものではない。
そういう意味では、アルンは『神』のことを、同じ目的を持つ同士、くらいの認識であった。
(しかし、それではいけない、と閂くんは知っている)
アルンが知識を得た、閂悠一の世界観によれば、この世界では宗教的な争いというものが絶えないということであった。
知らぬものであるとはいえ、決して軽んじてはならないだろう。
『神』に敬意を払うため。
アルンは椅子から立ち上がると膝を床につき、目を閉じ、胸に手を当てた。
そのまま石像のようにじっと止まり、動かずにいた。
■アルン=マコーク > 目を閉じ、思い出すのは学生街で会った金髪碧眼の女性の事。
子供たちに慕われ、案内役を買って出ていた彼女なら。
落第街で何らかの仕事を持つ彼女なら、そういつもこの修道院に居るというわけではないのだろう。
(よく働く……素晴らしい人だ。彼女のような人間を、こちらでは『善』と呼ぶのだったな)
そして、その『善』なる彼女もまた、『悪』は絶対的ではないと言っていた。
(『悪』は生まれついてのものではないが――ひとたび損なわれた、『アシェの分かち合い』……幸せを分け合う機能は二度と戻らない)
それが損なわれている者を、アルンは明確に感じ取ることができる。
魔法的な感覚器官とでも言うのだろうか。
アルンが勇者になったときに手に入れた、植物の根のようなイメージの魔法。
光を物質化する神聖光翼魔法の亜型なのだろうが、詳しくはわからない。
ともあれ、『それ』で触れた時、『分かち合え』ないなら、それは『悪』なのだ。
それは絶対的な基準であり、『善』と『悪』が同居しているということは、アルンにとって『ありえない』ことでしかなかった。
(彼女に話を聞きたかったのだが――)
不在では仕方ない。
それでも、アルンはしばしの時間を、この静かな修道院の中で過ごすことに決めた。
ご案内:「異邦人街 修道院」にシュルヴェステルさんが現れました。
■シュルヴェステル > 「失礼」
男の声がした。
修道院という施設は、どうやら音を響かせるようにできているらしい。
慣れぬ異邦人街で少しばかり人酔いを起こしながら、その戸を叩く。
「……その、休ませていただきたい、のだが、」
呼吸は少しばかり荒い。
緊張か、それともまた別の要因か。
路端に倒れていた自分を引きずり起こした何者かを、一日中探していた。
夏の慣れぬ暑さに視界が眩み、気がついた時には異邦人街の廃教会に寝かされていた。
その当人を、礼を言うために探して歩いていたのだがその成果はいまひとつ。
虱潰しに自分が放り込まれていた教会と似たような造りの建物に足を踏み入れる。
「私を助けた人物を探している、のだが……貴殿が、そうではないか?」
気絶した自分を助けた相手など、探しようがない。
故に、それらしき人物全員に声を掛け続けていた。
アルン=マコーク、その人も例外ではない。
■アルン=マコーク > 戸を叩かれる音と、男の声によって、アルンは思考の海から浮かび上がる。
「やあ、こんにちは」
戸を開けて入ってきた長身の男に、警戒心など欠片もない、柔らかな笑顔を向ける。
「どうぞ。といっても、僕もここで人を待っているだけでして」
そして、男の表情が緊張に強張り、僅かに呼吸が荒いことに気が付いた。
「ああ――体調がよろしくなさそうにお見受けします。よければ、神聖治癒魔法……身体を楽にする魔法を施術しましょうか」
『治してはいけない傷や病がある』というのは、落第街で大規模な破壊を行ったアルンが、それを報告した研究員に何度も説いて聞かされたことであった。
アルンはそうは思わないし、アルンの神聖治癒魔法にも限度はあるのだが、そう強く乞われたからには、他人への神聖治癒魔法の行使には、相手の許可を取る――可能な限りにおいてだが――というステップを挟むことにしているのだった。
「僕はあなたの探し人ではないようですが、その体調では探すのも一苦労なのでは」
アルンは眉を顰めてそう言うと、長身の男の返事を待つ。
■シュルヴェステル > 「……ああ、」
未だにこの世界の挨拶には慣れない。
申し訳程度にフードとキャップを被った頭を小さく下げた。
ステンドグラスから差し込む陽光に目を細めてから、背丈の低い少年を見た。
「すまない、人待ちをしていたならば、邪魔をし――……」
瞬きを二度。神聖治癒魔法。
口の中で小さく復唱してから、苦笑いを浮かべながら答える。
「ああ、いや。構わない。
このくらい、癒やすようなものでも。放っておけば、じきに」
極力丁寧な言葉でその申し出を辞してから、軽く息を吐く。
探し人について問われれば、「今日明日で探さねばならないわけではない」と告げ。
「お聞きしたい。
……此処の『神』は、信徒以外が此処で休むことを、許すのだろうか」
信仰に詳しくないのは、この男もであった。
だからこそ、『神』をこの建物の持ち主として、
まるで知り合いのことを問うかのような気安さで、そんなことを口にした。
■アルン=マコーク > 「別に邪魔ということは全く。どうやら、僕の待ち人は僕の思っていたよりも働き者のようです」
待ち人に出会えないことを、胸を張り、どこか誇らしげにそう語る少年は、長身の男を見上げてそう答えた。
「そうでしたか。こちらでは『魔法はそう気楽に使うものではない』らしいですしね」
魔法を気楽に使う世界からやってきたことを暗に示すかのような物言い。
それをもって、目の前の男を測ろうというわけではないようで、アルンはのんきに身体を伸ばしたり、軽く跳んで身体を解している。
「ああ、それは……考えていませんでした。何分、僕は『神』というものに疎くて。信徒でなければ許さないような、そういう『神』もいるのですね」
どこかズレた受け答え。この修道院が祀る神ではなく、まるで『神』という概念に疎いような。
男の問いかけに答えるというよりは、独り言のようなことをつぶやき、少年は自分の思索の中に沈んでいく。
顎に手を起き、宙を眺めて考えているようだった。
「しかし、あなたはどう考えても休むべきです。許されなければ、僕が罰を受けましょう」
出会ったばかりの人間に向けるには、妙に重い言葉を口にしながら、アルンは奥に飾られたモチーフに深々と頭を下げた。
■シュルヴェステル > 「それは、違うのではないか」
彼の言に、不思議そうな声を漏らした。
アルンを真似るように、飾られているイコンに頭を下げる。
誰が何を救うのかもわからなかったが、礼だけをして適当な椅子に腰掛ける。
「……魔法も異能も、気楽に使う者は少なくない。
貴殿のように確認があることは少ない。できることに躊躇いを持つ者は、多くはない。
故に、私は不要だと断ることができる。……よき、異邦人の姿に思う」
しみじみとした調子で語ってから、小さく肩を落とす。
転移荒野は、許されているとはいえ毎日が異邦の死の匂いで溢れている。
生の息吹も、死の匂いも。そのどちらもに躊躇いがない者は、少なからず目につく。
そして、言葉の端々から滲む情報に、「異邦の稀人と見受ける」と付け加えながら。
「では、貴殿の言に甘えよう。
こうして貴殿に罰を与える神がいるのならば、その神はきっと誰かに祟られよう。
よき行いに報いるのが、神だと。神がよき行いを施すと、聞いた」
■アルン=マコーク > 「それなら、それは。僕がこちらの世界のことを少しは学ぶことができたということでしょうね」
長身の男の柔らかい声に、少年は何度目かの笑顔で答えた。
その笑顔は自然なものであったが、違和感を僅かに覚えるかもしれない。
「僕の世界では、それらは『気楽に使う』どころのものではありませんでした。呼吸と同じ。欲しい物があるとき、手を伸ばすような感覚でしたから」
そう言うと、光が、金髪の少年の背に瞬く。
いつの間にか、アルンの傍らに置いてあった串焼きの包みが解かれ、両手に一本ずつ手持たれている。
すこし身体を伸ばして、少年は男に向けて何らかの肉が刺さった串を差し出した。
既に時間が経ち、伝わってくる熱気も薄れてしまってはいるが、食べられないというほどではない。
「ええ。僕はこちらに喚ばれてきました」
よく分かりますね、などと言いながら、差し出さなかった方の串焼きにかぶりつく。
そして、目の前の男の言葉に興味を示す。
「『善き』行いですか。『善』を為せば、『神』が報いるのが、この世界のあり方だということでしょうか」
僅かに首を傾げながら、素早く串焼きを食べ終えると、再度の発光。
傍らの串焼きがまた、いつの間にか手に握られている。
■シュルヴェステル > 「……呼吸と、」
柔らかな笑顔に対して、表情は少しだけ強張った。
息をするように、自分の知らぬ「なにか」を用いている。
見えない内蔵が一つ二つとある程度なら気にならないが、その内蔵が見えてしまうなら。
この通りに、見えてしまう以上は見ない振りはできない。
自分にないものが「ある」相手を正面から受け止めるのは、ひどく難しい。
腕が一本多い相手を正面から「そういうもの」と受け止めることができる人はそう多くない。
白髪の青年も同じだ。とりわけ彼が敏感であるというのもあるが。
差し出されている串は、少しの遠慮を挟んでから受け取った。
久々に食事らしい食事をしたような気がする。少しだけ躊躇ってから、口に運ぶ。
「往々にして。
……知っているとは、到底言えようもないが。
この世界の神は、『悪しき』行いを罰し、『善き』行いに報いる。
そういった物語を用意して、この世界では文字なき法を敷いている……と、」
咀嚼がしばらく続く。歯が肉の繊維を裂ききれず、口の中で引っかかる。
不快感を覚えながらも、微妙な表情のままに続ける。
「理解に苦しむ風習である、と、私は思う」
私も異邦人だが、と続けてから、アルンを見て。
「貴殿は、これを如何ように考えるか」と、無愛想に問いかけた。
■アルン=マコーク > 「ですから、僕にあるのは躊躇いではなく、学習です。僕は……この世界について知らないことが多すぎる」
いちから学ぶことができればいいのですがね、などと言いながら、やはり微笑んだ。
先程から、少年が浮かべるのは無表情か、笑顔か。はたまた、僅かに眉を顰めたものだけ。
一つ一つの表現はごく自然なものなのだが、持ち合わせている表情の数が乏しいようだった。
長身の男に串を受け取られたことに喜ぶでもなく、満足気にするでもなく。
そうするのが当たり前である、といった様子で、少年は三本目の串にかぶりつく。
「おっと」
外れた肉が落ちそうになったのを、空中で光が穿ち抜く。
よく見れば、その光は鳥類の羽根のような形をしていた。
ごく当たり前のように光の羽根を操って、アルンは肉を口へと運ぶ。
……この世界の人間と近しい感性の持ち主なら、行儀が悪い、と思ったであろう。
「なるほど。この世界の人の心には、『善』と『悪』が同居するからこそ。『神』は『善』を推奨し、『悪』を罰すると。それこそが文字なき『法』」
長身の男の問いかけに、アルンは眼を閉じ、しばし沈黙した。
今までに尋ねた人間の多くが語ったことと合わせて、ゆっくり咀嚼してゆく。
それから、眼を開いて目の前の男を真っ直ぐと。
瞳を射抜くような真剣さで見つめた。
「だとするならば、『神』は。どうして『悪』を滅ぼしてしまわないのでしょうか。罰などと中途半端なことをせずに、全て滅ぼしてしまえば良いのに」
それは、できることをなぜしないのか、といったような、心底不思議に思っているような口調だった。
「僕はそう思います」
■シュルヴェステル > 「……貴殿は、迎合を選んだ異邦人か」
小さくそう一言だけ呟いてから、それ以上の言及はなかった。
表情の数については――指摘する誰かがいればよかったが、ここにはいなかった。
ここの持ち主の『神』さえも、それを指摘しなかった。
「人は、自分が出来ないことを出来る相手をおそれる。
私も、人ではないが同じようにおそろしくは思う。
この島の異能者たちのことが、私はおそろしい。……見えない力は、恐ろしい」
アルンの所作を見ながら、小さく呟いた。
彼にとってはこの羽も力も、呼吸と大差ないかもしれないが、
それを見ているこちら側からすれば、恐るべきものである、と告白した。
教会という場所に助けられたのかもしれない。そういう魔術を掛けられているのかもしれない。
ただ、見えない以上はわからない。
「『神』ができるならば、とうにしているのではないだろうか」
簡潔な答えだった。
できることをしないのではなく、できないからしない。
頭の後ろ側に目がついていないから、頭の後ろ側に何があるかを見ることはできないように。
「ああ、すまない。……答えは、ないんだ。感謝する。
答えを探している。なぜできないのか。なぜ誰もを救えないのか。
……なぜ、救済は求める者に与えられず、求めぬ者に与えられるのか、と。
他の世界には答えがあるのではないかと考えて、探している最中なんだ」
■アルン=マコーク > 「ああ。だから不用意に魔術を使ってはならないと。僕が恐れられるから、ということだったのか」
納得したようにそう言うと、少年は無表情で何度も小さく頷いた。
「あなたを脅すつもりはありませんでした。謝罪を――申し訳ありませんでした」
そう言って、少年は両の掌を上に向け、それから何かに気付いたように深々と頭を下げた。
どこかぎこちないその仕草は、『お辞儀』と呼ばれるもので、この世界で謝意を表すものであった。
それも少年の言うところの学習の一つ。
この世界で『上手くやっていく』ための手段だった。
「できないから、しない、ですか」
あっけなく告げられた当たり前で、簡潔なその答えに、少年はしかし唸りをあげた。
「『神』に倣ってか、この世界ではあらゆる人間が、『悪』を放置しているように、僕には思えます。目の前に、自らの内に『悪』があるというのなら、それを滅ぼせばいいだけなのに、そうしない。できないのではなく、そもそもその気がないように見える」
金髪の少年の目が、爛々と紅く輝いている。
口を真一文字に結んでこそいるが、何を考えているのかはわからない無表情で。
「僕ならば。光の勇者たる僕ならば、そうする――全ての『悪』を滅ぼす。それだけでいいんだ」
それは頭の後ろ側に目がついていないのなら、首を回して後ろを向けばいいとばかりの言い様だった。
「この世界の人間は、『悪』と共に生きようとしているのではないか。分かち合えぬ者に奪われ続けることさえ、許容しているのではないかと思ってしまう」
■シュルヴェステル > 「……すまない」
下げられた頭をまっすぐに見下ろしながら、ただ一言呟いた。
悔いるように。これは、見えない暴力性を振るっているのと違いがない。
「それに、呼吸を止めろと言うつもりは、ない。
ただ、『私はそう思う』ということを、先に伝えておきたかっただけ。
貴殿がそうしたいのであれば、それを止めるつもりはない」
多数から少数に対する、生存を人質にした多大なる譲歩の強制。
それを求めるつもりはない。それでも、ただただわかってほしかった。
自分がどう思っているかを。それでも、共生の意思があると伝えたかった。
伝わっていないかもしれない。自分は紛れもなく口下手である。言葉に意味は与えられたろうか。
「悪と、ともに」
なるほど、とひとつ唸った。
真っ直ぐに見つめてくる紅の瞳と、滲むような血色の瞳が交差する。
勇者とオークが視線を交わして、言葉すらも交わす。《大変容》の前では想像もつかなかったろう。
「……私は、あまり物事を見てきてはいない。
が、それについては、同意を示すほかない、な。実に白眉だ。
ただ、悪はきっと、なくなるまい。自分の選択と同じ選択をする者だけが残れば。
……それであれば、すべての『悪』を滅ぼしうるだろうが」
冗談のように少しだけ、笑いの色が滲んだ。
できるわけがない、と。そんなこと不可能である、と言外に示した。
そして。
「一度全てを白紙に還し、やり直したならば。
もしかすれば、『悪』はこの世からなくなるのかも、しれない」
■アルン=マコーク > 呟くような、長身の男の細い声に、金髪の少年は頭を上げて長身の男の表情を覗き込んだ。
「呼吸を止めれば、生きてはいけませんが、羽根を使わなくとも僕は生きていけますからね。それに、いたずらに人を怯えさせようとは思わない」
そして、自分の胸に手を当てて答える。
「ああ。あなたは……多くを奪われてきたのですね。それこそ、『呼吸を止めろ』と言われ続けて来たのですね。さぞや、ここまで」
涙さえ流しそうなほどに、眉を下げ、唇を真一文字に結んで。
一言。
短く、低くつぶやいた。
「『悪』め」
■アルン=マコーク > 長身の男――オークが漏らした僅かな笑みに気付いたのか、あるいは気づかなかったのか。
金髪の少年――勇者は大真面目に答える。
「それは無理でしょうね。この世全ての『悪』を滅ぼし尽くすことは、僕の悲願でもありますが、おそらく僕一人で成し遂げることはできないし、それを達成しようとも思わない」
そう言いながら、どこか遠くを眺めるようなぼんやりとした目で、言葉を継ぐ。
「しかし、代を替わった次の勇者が。
彼が無理でも、その次の勇者が。
少しずつでも目の前の『悪』を滅ぼし続けていけば、いずれ完全に滅ぼし尽くすでしょう。
僕の行いは、その一部でいい。
ただ、目の前の『悪』を滅ぼすのみでいい――ああ、そうか」
そして、少年は言葉の途中で何かに気付いたように顔を上げた。
「全ての『悪』を滅ぼせないならば、共に生きる他ない。という諦観なのかもしれませんね。この世界に蔓延しているのは」
■シュルヴェステル > 「それは――、」
これは歩み寄りなのだろうか。
それとも、これは妥協なのだろうか。
……これは一体。一体これは、なんと形容すればいいのだろうか。
青年には、それがわからなかった。
わからなかったが、それ以上を聞くことは恐ろしかった。
知ってしまうのが恐ろしかったからこそ、それ以上を聞かなかった。
自分のためにこうして、顔を歪めてくれている相手のことを。
知ってしまっては、いけないような気がしてしまった。
「……奪われるのは、私が弱いからだ。
脆弱でなければ、奪われることがない。故に、これは。私の自責だ。
誰からも奪われないほどに武威を持ち、誰からも奪われないほどに聡明であればそうならなかった。
強いものが、弱いものから奪うのは当然だ。……その真偽が、どうであれ」
強者に妥協を求めているのか。それとも弱者に妥協を求めているのか。
そのどちらもが同じようでいて、そのどちらもが逆しま。
「強いものが、いないせいだろう」
少年の続いた言葉には、静かにそう相槌を打った。
物語られる勇者というものの輪郭を、ぼんやりと捉えていく。
「生存競争で、人類種よりも上位に立つものが現れない限り。
人類種が脅かされない限り。……人類種が、『神』の怒りに出遭わない限り。
……きっと、蔓延る諦観も、無関心も、そのどちらもが覆されることはない」
静かにそう言ってから、ゆっくりと立ち上がる。
息は整った。どこかひんやりとした空気に、体の熱も冷えていく。
「人類種は、滅びを前にしなければ何もしないと。
……この世界にやってきたときに、考えた。その力がないことを、ただ悔いた。
この滅びを、人類種はしばしば《試練》と呼んだそうだ」
既知かもしれないが、と笑って。
「貴重な話だった。感謝する。
……人のことを考えるには、やはり、一人ではどうにも効率が悪い」
スニーカーの底が、修道院の地面をしっかりと踏みしめる。
小さく笑ってから、軽く礼をして。また、と口添えてから踵を返した。
ご案内:「異邦人街 修道院」からシュルヴェステルさんが去りました。
■アルン=マコーク > 「滅び……《試練》か」
心身の気息を整え、去っていった長身の男を見送って。
アルンは串と包みを纏めて灰にして、小さく息を吸った。
「強いものが居ないせいで、諦観と、無関心が生まれる――だが、僕が来た。光の勇者たる僕が」
その表情は、いつもどおりの無表情だった。
何を考えているのかうかがい知ることのできない。
霧のような捉えがたさ。
「誰もが『悪』に興味がないというのなら、いつもどおり、僕が一人でやるだけだ」
そうして、少年は
一人残された修道院の中で、アルンは吐くように漏らした。
「……異なる世界なら、『仲間』ができるかもしれないと思ったのに」
『神』ならば。
その言葉を聞いていたかもしれない。
ご案内:「異邦人街 修道院」からアルン=マコークさんが去りました。