2020/10/05 のログ
ご案内:「裏常世渋谷」にリタ・ラルケさんが現れました。
リタ・ラルケ >  
 常世渋谷に、用事があった。
 とはいえ、そこまで重要な用事じゃない。常世渋谷の底下通りに美味いクレープの店があるという話を聞いて、いつも通りの気まぐれで行ってみたというだけの話である。
 目的の店は、はたしてものの数分で見つかった。少しばかり待つ羽目にはなったが、目的のものも労せずして買えた。
 大したトラブルもなく、後は帰るだけ。そのはずだった。
 だからこそ、地下で帰りの電車を待っていたはずの自分が、"いつの間にか電車の中にいる"と気づいた時は。

「……なに、ここ」

 と。そんな言葉を上げるしかなかったのである。

リタ・ラルケ >  
 このところ、常世渋谷には――否。
 常世渋谷の"裏"に、とある怪異が出現しているという噂があった。
 曰く、地下鉄を走る電車の姿をした怪異。曰く、文字通りの暴走特急。曰く、どうしたって友好的とは言えない怪異。
 いつの間にか裏常世渋谷に迷い込み、そこで大怪我を負った人もいる、と。そんな噂があった。
 ああそうだ、聞いたことがある。聞いたことがあるとも。
 だというのにどうして。
 どうして、失念していたのだろう。
 どうして、そういう時に限ってこうなってしまうのだろう。
 まったく迂闊と言わざるを得ない。

「……なんで忘れてたのかな、私」

 後悔している暇はない。頭を切り替える。
 まずわかることといえば、ここは『裏常世渋谷』であるということ。今までついぞ訪れたことはなかったが――いや、なかったからこそ――普通の常世渋谷ではない異空間、即ち裏常世渋谷であるとすぐに見当がついた。
 次いで、この場所も到底普通の電車ではないということ。内装こそ似せてあるものの、とても友好的とは思えない、見た目だけは人のような、しかし間違いなく人ではない怪異の姿がある。一体ではない。奥の方にも何体かいる。冷静に考えれば、ここは件の怪異の内部だろうか。
 そして、最後。"闇"が強すぎる。はっきりいって、通常ではありえないほどに。裏常世渋谷独特の空気のせいか、あるいは怪異の内部という特異な場所のせいか。多分両方だろう。

「……ふう。緊急事態のはずなのに、無駄に頭は回るね。私」

 冷静になれ。
 今やるべきことは何だ。

「……脱出、か。仕方ない。クレープは諦めなきゃなあ」

 右手に提げた袋を放棄する。幸い、急を要する事態というのは初めてじゃない。方法はわからないけれど――まずは目の前の怪異を討つ。

「――『瞬着』!」

リタ・ラルケ >  
 ――一瞬、めまいがした。
 目の前に、人型が迫るのが見えた。その姿を見た瞬間、反射的に私は"纏繞"を発動させていた。
 周囲に漂う"闇"の精霊を吸い込んで。
 スイッチを切り替えたかのように、自身の姿が変わる。

「……邪魔!」

 肉薄していた人型を、なんて事はない魔力の弾丸で吹き飛ばす。人型は吹き飛び、電車の床に強かに体を打ち付けたようだった。致命傷ではない。
 その騒ぎを聞きつけてか、あるいはもともとそういう存在なのか。奥の方にいた人型も、こちらの方に歩いてくる。

「……ふふふ、いいだろう。全員まとめてかかってくるがいい」

 そう啖呵を切って、両手を前に突き出す。
 程なくして、両手に魔力が収束すれば。そこには魔力で形成した、二重刃の大鎌(デスサイズ)。
 魂を吸い取り、魔力に還元する、特殊な鎌。私のお気に入りである。

リタ・ラルケ >  
 怪異自体は、そこまで脅威じゃない。動きも鈍い上に、その動きには私を仕留めてやろうと意思も何も感じない。本能に従って、ただ目の前の私を襲う。数が多いというのが厄介なだけだ。
 戯けが。
 そのような動きで、この私を仕留められるとでも思ったか。

「喰らえ……!」

 手にした大鎌で、目の前の人型の首を捉える。質量と、遠心力を活かした必殺の一撃。喰らった人型は、そのままあっけなくその場から消える。

「ふふ、造作もない。……が」

 薄く笑う。が、こうしている間にも、目の前に人型は迫ってくる。後ろにも何体も見えた。
 厄介ではある。が、対処ができないわけではない。

「面倒な相手だ、まったく……!」

 再び、鎌を振りかぶり、目の前の人型に振り下ろす。避けは、されなかった。
 二体目。

「……キリがないな」

 鎌での対処は、限界がある。そもそも一対一ならいざ知らず、多数を相手取る戦闘では、動きが一々大振りになってしまう鎌は不利なのである。
 とりあえず大鎌を形成したのは、早計だっただろうか。魔力が体に取り込まれる感覚を覚えながら、そう考えた。

リタ・ラルケ >  
 床に突き刺さった大鎌を手放す。面倒なことだ、まとめてやってしまおう――そう考えた直後。

「……!」

 大音量の汽笛。何が起こった、などと考えている間もなく、私は体勢を崩してしまう。
 慣性。普段の電車でも、よく味わう感覚。これは、

「"発車"した……?」

 心中で、小さく舌打ちする。動く車内での戦闘なんてやり辛いことこの上ないし、何より電車が動き出したら、何が起こるか知れたものじゃない。
 一刻も早く終わらせないと、まずいかもしれない。

「くそ……! 邪魔だと言っている! シャドウハンド!」

 呪文を唱え、目の前に迫る人型に向けて手を翳す。すると人型の足元から突如、漆黒の手が顕現した。手はそのまま真上にいた人型を掴み、そのまま床に叩きつける。三体目。

「まだ……!」

 ゆっくりと立ち上がりながら、目の前にすし詰めになっている人型を薙ぎ払うように影の手を操る。また何体か、人型が消えた。

リタ・ラルケ >  
 数が多かろうと、近づいてくる人型に影の手は容赦なく襲い掛かる。掴み、叩きつけ、時には殴り。狭い電車の車内という空間を、漆黒の手は確かに支配していた。
 怪異は、問題ない。今のうちに脱出手段を考えなければならない。
 窓の外には、常世渋谷の街並み。普段とは違う雰囲気なのは、ここが異常な空間であるからか。
 窓を叩き割れれば、ここから出ることは出来そうだ。
 問題は、

(……裏常世渋谷自体からの、脱出か)

 ここにどうやってきたのかが分からない以上、脱出の方法もわからない。空間移動の心得もあるわけじゃないし、何よりそれをしたところで脱出できる証左はない。
 とはいえ、ここでこのまま何もしないままでは何も進まない。まずは脱出すべきだろう。

「……ならば。貴様の体、利用させてもらうぞ!」

 視界の端に映った、最後の一体の身体を掴む。人型はあっけなく拘束される。
 そのまま、今度は床ではなく、窓に向けて叩きつける。

「……割れろ!」

 窓の割れる音。手の中にいた人型は消え、風が割れた窓から吹き込んでくる。
 迷いはない。そのまま割れた窓に向けて突っ込む。

リタ・ラルケ >  
「つっ……!」

 車外に、投げ出される。驚くことに、そこは線路沿いの道などではなく、空中であった。

「なっ……」

 空を、飛んでいた。
 割れた窓で、少し腕を切ったらしい。血が玉になって、視界の端に映った。
 いや、そんなことはどうだっていい。このままでは――

「――『瞬脱』!」

リタ・ラルケ >  
 意識が再び、自分に手渡される。
 だけど、何かを考えている暇なんてない。

「――『瞬着』!」

リタ・ラルケ >  
 風を切って、空を舞う。"風"は決して多くなかったけど、それでも纏繞出来ないほどではなかった。
 頭がぼーっとする中、今しがた脱出した電車の方を見た。レールが空中に形成され、その上を走っていた。

 こちらの方は、向いていない。

「……今のうちに、にげるぞー……」

 なんだって、とにかく今のうちに逃げるしかない。
 見つからないことを祈りつつ、低空に退避。そのまま空を飛ぶ電車を振り切って、街の陰に消えていく。

リタ・ラルケ >  
 空を飛ぶ電車が、見えなくなる。撒いたらしい。
 遠くなりつつある意識をなんとか保ちながら、ビルの陰に着陸する。

「――はぁーっ、はぁーっ……」

 息も絶え絶え、といったよう。仕方ない。この短時間で、リタはあまりにも『瞬着』と『瞬脱』を使いすぎた。
 周囲の精霊を、高速で取り込む技術。心身への負担が大きく、乱発すると心身に無視できないダメージを受ける。
 他にも、色々ありすぎたことで疲れが一気に出たというのもあるかもしれない。

「……どうしよー……?」

 だけど、目下の急務はまだある。裏常世渋谷からの脱出だ。
 休むのは、それから。

「……」

 普通の世界とは違うからか、上手く力が出ない。どうしたものか。

リタ・ラルケ >  
 件の電車に見つからないようにしながら、低空飛行で街中に出てみる。
 裏常世渋谷の街並みは、外見こそ元の常世渋谷と似てはいるものの、やはり纏っている雰囲気は別のものだった。
 早めに脱出しないと、まずいかもしれない。

「……?」

 つと、街並みに違和感を覚えた。いや、慣れない景色ではあるが、それ以上に何か、違和感を覚えるものが今あったような――、

「――あ」

 ところで、裏常世渋谷という特殊な環境にも、精霊は存在する。通常の空間とは構成する精霊の種類は大きく異なるけれど、それでも人が、モノが、そして怪異が存在しうる環境である以上、それは裏常世渋谷だって例外ではない。
 故に、気づけた。
 裏常世渋谷の交差点。そこだけが、"精霊の流れがわずかに異なる"。
 注意深く見なければ、気付けないほどの違和感ではあるけれど。一見、だからどうしたというものではあるけれど。

 直感する。
『あれ』が出口だ。

リタ・ラルケ >  
 この時ばかりは、つくづくこの体質に感謝しなければならないだろう。

「かえる、ぞー……」

 もう、ひどく疲れた。これで帰れたら、今日はもう寝てしまおう。帰れなければ――その時は、その時だ。
 考える余裕は、既にない。

 緩やかな動きで、交差点に突っ込む。
 その瞬間、肌に強烈な違和感を感じて――。

 ――少女の姿は、すっかりと消えてしまったという。

ご案内:「裏常世渋谷」からリタ・ラルケさんが去りました。