2020/07/05 のログ
日下部 理沙 > 「■■■■■」

ごく短い単語を、理沙は告げた。
少なくとも、公用語ではない。海外の言葉でもない。
いや、きっとこれは。
……どの言葉でもないのだろう。
調べはした。発音を無理に似せはした。
それでも。

「……片言にすら、多分なってないんですよね」

届かない。骨格からして違うせいもあるかもしれない。
そもそも、発音に必要な器官が備わっていないのかもしれない。
感覚器からして違えば、もうお手上げだ。

「覚悟、決めてるつもりなんです。
 これは……全然他人事じゃない、俺にとっては一大事なんです。
 だって、だって俺は……もう……!!」

拳を握り締める。
爪の先が白くなるほどに。
火の消えた煙草のフィルターがねじ切れるほどに。
それでも、それでも。

「……何度もアンタを傷つけてる……!!」

恩師ですら、自分にとって間違いなく大事な異邦人ですら……この有様。
近づくだけで毒になる。
人同士ですらそうなのだ。
人は傷つかず寄り添うことなどできない。
そんなことは当たり前だ、当然だ、理沙だってそれを繰り返してヨキと懇意になった。
それを繰り返して常世島と向き合った、自分と向き合った。
だが、それは……結局、理沙個人の身の上話でしかない。
酷くちっぽけな……たった一人の懊悩でしかない。

「想像する限りの手段は準備します……考え抜くつもりです。
 でも、そのつもりが……本当につもりでしかないんじゃないかって」

人は失敗する生き物だ。
「つもり」はどこまでいっても「つもり」で、何度だって間違える。
その間違いが自分だけで済むならいい。
だけど。

「アンタ一人にも、俺は寄り添えてない」

もう理沙は……その「間違い」で、最も大事な恩師を傷つけている。

「寄り添いたいのに……それすら出来てない!」

もうそれは、絶叫だった。
声量こそ押し殺されている。
この通りの誰もが気に留める事などない。
それは……目前に居るヨキに対する、どうしようもない理沙の泣き言。

「本当はもっとアンタとだって喋りたいんだ!
 同じものを見たいんだ、同じ音を聞いて、同じ匂いを嗅いで、同じ話で笑いたいんだ!!
 だけど……!!」

それは、もう答えが出ている。
そんな事は。

「……そう思う事自体が、もう傲慢なんだ」

そう、傲慢。
土台無理な話。
人同士ですら、感覚の共有などできない。
まして、体構造からして全く違う異邦人と……どうしてそれが出来ようか。
多様性といって奉じることは出来る。貴ぶことは出来る。
だが、その多様性を重んじるという考えからして……偏見の一種でしかない。

「すいません……取り乱しました」

目元を覆い隠すように手を広げて……眼鏡を掛けなおす。
ネオンの光に反射して、眼鏡の奥まで光は届かない。

「……愚痴聞いてくれて、ありがとうございます」

何とか絞り出した言葉は、それが精一杯だった。
理沙も分かってる。
恐らく、理沙の知性では及ばないところに答えがある。
そして、ヨキにそれを訪ねて聞いたところで……それはタダの受け売りだ。
理沙の理解でも理知でもない。
だから、理沙がヨキにいえることは……それが精一杯だった。
それすらも……悔しくてたまらなかった。

ヨキ > 「……近頃知り合った異邦人の青年は、『呪われた』と言っていたよ。
この島で呪いを受けて、言葉を話していると。

つまり、魔術ないし異能。
せっかく君は魔術を学んでいるのだから、そういった手段から言葉の壁を乗り越えるアプローチもあるのではないかな」

奇しくもそれが、今しがた話題に上っているオーク本人のことだとは知る由もないままに。

そうして。
理沙の悲鳴に、ヨキはひととき黙り込んだ。

「……………………、」

ふっと笑う。柔和な教師ではなく、ひとりの男としての顔で。

「ふふ。……君は、馬鹿だな」

“馬鹿”。ヨキがあえてその語を口にするのは珍しい。

「君はもう、ヨキから『卒業』したろう。
それでいて、こうして今も言葉を交わしている。

“寄り添う”ことが叶わずとも、“付かず離れず”が癒しになることだってある。
人と人とが共に生きていくためのかたちと距離感は、それこそ人の数だけ在るのだから」

手を伸ばす。
乞うような理沙の叫びを突き抜けるように――軽々と。

ぽん、と相手の肩を叩く。

「確かに、君は傲慢だ。君の傲慢さは――考え過ぎていることから来るものだ。
ヨキは君が思っている以上に君を大事に思っているし、傷付けられたとも、その傷が残っているとも思わない。

君は、相手をきっとこういうことなのだ、と想像しすぎる。そうして、その想像にすっかり囚われ切ってしまう。
だから、ふとした答えさえ大発見のように見えてしまう……“相手”をよく見ていれば、取り零すこともないのにな」

眉を下げて、明るく笑う。

「どういたしまして。
君はもう少し、相手をよく見た方がいい。自分の想像をまずは一度手放して、挨拶から始めてみるんだよ」

日下部 理沙 > 「……」

肩を叩かれながら……俯いて、大人しく言葉を受け入れる。
ああ、敵わない。
本当に……このヨキって教師は、いや、この色男は。
……とんだ、人誑しなのだ。

「ええ、馬鹿ですとも……だから、馬鹿なりにそれでも考えるんです。
 居直っていい事じゃないですから……俺だって、アンタは大事ですよ」

実際、ヨキの言う通りだ。
自分の考えの外から出ることが、理沙は大の苦手だ。
ヨキからすれば大したことの無い事でも……理沙からすればいつでも大発見だった。
相手をよく見ようとしても、それすらも……色眼鏡が外せない。
取り零しっぱなしで……全く情けない限りだ。
……でも、そんな情けないところまで含めて、このヨキという男は全部知って、理沙と付き合いを続けてくれている。
心地よい距離でいてくれている。
大事に思ってくれなきゃ……絶対できない事だ。
それくらいは……理沙にもわかってる。
 
「……御助言ありがとうございます。
 すっげぇ癪だけど……アンタのそういうところ、いつも、助かってます。
 アプローチはどっちにしろ増やすつもりなんで、頑張ります」

誤魔化すように軽く咳き込みながら、ついでに鼻を啜る。
多分、バレてる。
知ったことか。
これ以上、堂々と醜態を晒して居直れるか。
理沙だって男だ、見栄くらいある。
既にズタズタでも、見栄は見栄だ。

「一回……顔洗って出直してきます。それじゃ、また」

今この時に限りは、視界が曇っている理由も原因もわかっている。
だが、今まさに溢れんばかりのその原因をヨキの目の前で取り除くことは……絶対にしたくなかった。
それこそ、男子の沽券に関わる。
故に……捨て台詞のようにそう言って、少し紅くなった顔を背けながら……人並みに消えていく。
まぁ、消えようにも大きな白い翼は隠せないので……非常に目立つのだが。
生憎と理沙は後ろに目がついていないので、そんなことは分からなかった。

ご案内:「歓楽街」から日下部 理沙さんが去りました。
ご案内:「歓楽街」に日下部 理沙さんが現れました。
ご案内:「歓楽街」から日下部 理沙さんが去りました。
ヨキ > 「嬉しいね。だからヨキは、いつでも君とこうして話をしたくなる。
君はきちんと考え抜いて、最後には答えに辿り着いてくれると信じているから」

だから。

「……だから、今回の件も、ヨキは君を信じてる。
君が真摯でいようとする限り、“最悪の結果”などというものはそうそうやって来ないから」

不器用さが抜けない理沙の様子に、くすくすと笑う。

「行き詰ろうと、よい結果に結び付こうと、次は酒でも酌み交わすのが良いやも知れんな。
君もそろそろ、そんな歳だろう? ……ふふふ。時が過ぎるのは早いものだ」

挨拶する理沙に、会釈で応える。

「ああ。またたくさん話そう。
ヨキはいつでも、いくらでも君と話したい。
あとは君が、ヨキを素直に受け入れてくれればいいだけだ」

微笑んで、理沙を見送る。

寄り添えなくても。つかず離れずの距離でも。それが決して近付かなくても――
自分たちはこうして、向き合い続けることが出来る。

ご案内:「歓楽街」からヨキさんが去りました。
ご案内:「歓楽街」にレナードさんが現れました。
レナード > やってきた。

…それは、単なる興味本位であって。
誰かと約束したわけでも、目的の店があったわけでもない。
ただ、"こういう"場所がある。それは、ここに来た時から知っていたものだから。
それを目の当たりにする。そういう機会として、今を選んだだけ。
だから、適当にふらつくだけでよかったのだ。

「……ほわー……
 ほんっとにこーいう場所なわけ………」

少年にとっては、全ての対象年齢が自分よりも上のようなものばかり。
寧ろ自分がここにいること自体、場違いなのではないか。そんな気にさせられる。
だからといって探索を止めたりはしない。
おっかなびっくりではあるが、ちょっとした好奇心に突き動かされるように、
夜の街へと入り込んでいく。

レナード > 客寄せも、流石にこの見た目では声をかけてこない。
寧ろそれは好都合なので、ずいずいと歓楽街の中を進んでいく。
辺りにきょろきょろ視線を向けるが、その眼はいつもの通り黒のままだった。
不特定多数の人がいるのだ、ここで発動してしまうと大変なことになってしまうのだから。

「………入り組んでやがるし。
 まるで迷路だし、困ったもんだし。」

ちょっと迷う。
眼によろしくない発色のネオンといい、慣れない雰囲気に中てられたか、
歓楽街でも人通りのない、そんな細道に入り込んだ。

「…………。」

気にすることはない。
自分はここの"客"ではないことは、この街が知っていることなのだろうから。
そのまま、進むことにする。