2021/10/02 のログ
ご案内:「配信チャンネル」にめらん子ちゃんさんが現れました。
めらん子ちゃん >  
……

…………

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前回の配信から1週間も経たない頃。
動画配信チャンネル、『めらん子ちゃんねる』で
新しい動画が生放送で配信された、とのお話。

配信タイトルは文字化けして読めない。
投稿者コメント欄には「おでかけをしました」と
短く書かれている。相変わらず告知も無ければ
宣伝もない、何のお知らせもない配信だった。

めらん子ちゃん >  
さらさらと軽いノイズのような音が走る。
機材の不調ではなく、雨音。時折大きな水滴が
トタンの板を叩くような重い音が混じっている。

撮影用のカメラのレンズは跳ねた水で濡れていて、
雨の日の外の景色を窓ガラス越しに覗いたかのよう。

滲んだ景色の中でも一目で分かる、水色と桃色の
特徴的なツートンカラーの髪が揺れたかと思うと、
くすんだピンクの布地……恐らくは前回の放送で
映り込んだぬいぐるみの腕がレンズに付いた水滴を
拭い取った。

「おは…うござい…す」

クリアになった画面の右側からめらん子ちゃんが
顔を出す。ピンマイクを用意している訳でもなく、
雨音ばかりが目立って彼女の声は途切れ途切れに
聞こえるだけだった。

時間にそぐわない目覚めの挨拶だが、画面に映る
風景もまた、生放送にも関わらず不自然に見える。
日が沈んだ時間なのに広がるのは薄明るい灰色の街。

事前に撮影したものを生放送機能で流しているのか。
まさか時差のある場所から放送している、なんて
手の込んだ真似はしていないだろう。

めらん子ちゃん >  
「外に、お出…けにき……ます」

黒無地の傘は明らかに彼女の手には大き過ぎる。
成人男性用、紳士用の傘だろうか。くるくるりと
重たげに回して水滴を飛ばすと、骨の先端部分が
褪せたコンクリートの壁に擦れる耳障りな音がした。

カメラの位置はやや低く、配信者をあおり視点で
見上げているようだ。やや引いたポジションから
見える景色は灰色の空と灰色の建物。建物と建物の
間の狭い路地にいるらしく、無理やり入れた傘の
先端が壁に引っかかって曲がっている。

塗装が剥げて赤茶色の錆がついた室外機。
建物の頭上を横切る無理な造りの送電線。
短い屋根部分、雨風を凌げるか怪しい位置に
鳥の巣と思しき木の枝の塊が見えた。

めらん子ちゃん >  
カメラを覗き込むような紫色の瞳が瞬きする。
大きな傘も狭い路地では却って役に立たないようで、
無地の白シャツの肩部分は雨に濡れて透けていた。

雨の音だけが聞こえる。静寂は無いが沈黙が有る。
カメラのレンズを覗き込むのに満足したか飽いたか、
くるりと踊るように踵を返して歩き出した。

「雨 …… 、  か… に聞……ま  か」

がりがりと傘の骨の先が壁を削る音。
湿ったルーズソックスの下、水が溜まっている
ローファーのかぽかぽとしたテンポの悪い足音。
ガン、とうっかり室外機に足をぶつけた音。
そして降り頻る雨と、歌うようにそれを受ける
紳士用の傘が立てるハミング。

環境音の合唱に遮られ、めらん子ちゃんの呟きは
カメラのマイクにまで届かなかったようだ。

靴底がマンホールの蓋を擦る音を皮切りにして、
路地裏の外の景色がカメラの向こうに広がった。

擦り切れた路側帯、砕けて名残だけになりかけた
境界ブロック、雨に打たれて色褪せた三角コーン。
ポスターが貼られ、剥がされてを繰り返した跡で
すっかり汚くなってしまった電信柱。

めらん子ちゃん >  
どこまでも続く灰色の街では、雨に褪せた色さえ
鮮烈に映る。くたびれた三角コーンの赤、電柱に
巻き付けられた黄色と黒の警告色。数字ではない
記号が書かれたトリコロール色の速度制限標識。

古びてたわんだアスファルトの舗装路の上には
虹色の油が浮いた水溜り。ぴちゃり、かぽりと
音を立ててローファーがその上を踏んでいく。

さあさあと小雨が降っている。

やたらと縦に長く伸びた街路樹は、高さの制限に
引っかかったかのように奇妙な姿勢で折れ曲がり、
お辞儀をするようにカメラを見下ろしていた。

これはどこの風景だろう。
常世島にこんな街並みがあったろうか。

「常… …は、良…街…すか?私… かり …ん」

骨を折り曲げられた傘の悲鳴こそなくなったが、
景色が開けてややカメラから遠ざかった配信者の
声は相変わらず雨のさざめきに負けている。

人の気配は、どこにもない。

生活感はあるのに、ただ人影だけが欠けたような
灰色の街並みを歩く、歩く。ちゃぽん、かぽんと
水の溜まったローファーが調子外れに歌っている。

めらん子ちゃん >  
ざあざあと、雨に誘われて街路樹の葉が揺れる。
風が吹いているのだろうか。靡くものが他に何も
映らない所為で判断がつきにくい。

看板だけが撤去された雑居ビル。
建物、電柱の数と比較して明らかに多い電線。
そっぽを向いて何処行きか、此処が何処かすら
教えてくれない錆びついたバス停の標識たち。

不規則な足取りで、歩く、歩く。

うっかり濁った水溜りを踏み抜いてしまって、
白いルーズソックスに黄土色の泥が跳ね染みた。
からから、蹴飛ばした石に先導をお願いしたら、
2回蹴ったところで車道の向こうから手招きを
されてしまったから追いかけるのを諦めた。

灰色の空、雨の降らない遠くが赤く濁っている。

ぴちぴち、ちゃぷちゃぷ。傘と靴が一緒に歌う。
曇ったショーウィンドウは雨の水滴も相まって
奥の品物を秘しているかのよう。ひなびた食堂と
思しき店舗の扉には閉店中を示す看板がかかり、
来ない客を待つドアベルは退屈そうだ。

2回曲がり角を右に曲がって、次は左。
また右に曲がって、左、右、右、右。
見覚えのある景色は『一度も』映らない。

くるり、踵を返して来た道を引き返してみる。
大きくアングルを変えられたカメラが揺れる。

続いているのは真っ直ぐ1本道。

めらん子ちゃん >  
少し捻れた坂道をゆっくり、ゆっくり登っていく。
平仮名とカタカナを混ぜたような文字列が縦に長く
引き伸ばされ、通りもしない車に一時停止を伝える
役割を待っていた。

白くひび割れた路側帯は、反対車線の橙色の線を
恨めしそうに見つめている。たくさん植えられて
いたはずの街路樹はこの通りには残っていなくて、
代わりに右手側に手入れされていない林が見えた。

落とし物のナンバープレートには数字を真似た
7桁の記号と、ハイフンが並んで2つ、顔文字1つ。
俄に急になった上り坂は、振り返ってはいけないと
言外に囁いているかのようだ。時折溜まった水滴を
振り捨てるために、くるり、くるりと重たげに回る
傘だけがきっと後ろの景色を知っていた。

めらん子ちゃん >  
坂道の天辺には、打ちっぱなしのコンクリートで
作られた、殺風景なこれまた灰色の建物があった。
規則的に並んだ窓ガラスは不規則に養生テープで
目張りが施されていて、テープの貼られていない
いくつかの窓にはヒビと手形の痕があった。

ガラス張りの玄関と、動かなくなった自動ドア。

ようやく雨風の当たらない場所に辿り着いて、
はあ、はあと、か細いめらん子ちゃんの吐息が
カメラのマイクに届くようになった。

道のりは長かったろうか、短かったろうか?
いずれにせよ彼女の小さな身体では雨の中の
ウォーキングはそれなりに堪えたらしい。
頰を流れる水滴は雨粒か、汗か。それとも?

ぱちん、と上弾きを親指で押して傘を閉じる。
指の皮を挟んだのか、小さく肩が跳ねた気がした。

折角用意した大きめの傘は役に立たなかったようで、
白いシャツもスカートの下の足もしっとり濡れて、
ぽたぽたと藍鼠色の地面に水滴を垂らしていた。

かつん、かつんと石突きでエントランスの床を叩く。
じんわりと流れ落ちた雨粒が染みるように広がった。

めらん子ちゃん >  
さあさあと、小雨が降り続いている。

「おしまい……です」

少し呼吸を整えて、ようやくカメラに届く声。
やっとでまともに声が聞こえるようになったのに
発したのは結びの挨拶だった。

「おやすみなさい」

小さな手を振ると、繋がれた手錠の鎖がざらりと
耳障りな音を立てる。首を吊ったぬいぐるみは
ぶらり、ぶらりと所在なさげに揺れている。

カメラが傾き、倒れるようにアングルがズレる。
レンズに蓋をする小さな手が最後に映り込んで。
暗闇の中、さあさあと雨の音だけが残った。

ご案内:「配信チャンネル」からめらん子ちゃんさんが去りました。