2022/07/16 のログ
ご案内:「配信チャンネル」にめらん子ちゃんさんが現れました。
■めらん子ちゃん >
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『めらん子ちゃんねる』に新しい動画が投稿された。
今回の動画は長らく空欄だった投稿者コメント欄に
久し振りのコメントが入っている。
『あなたはそこにいますか』
コアなファンによる小規模なコミュニティは
俄に盛り上がったが、ネット全体で見るなら
最早かつてほど話題に上るコンテンツではなく。
変わらず告知も宣伝もないまま、人気など最初から
目に入っていないように、粛々と投稿は続いている。
■めらん子ちゃん >
「おはよう」「ございます」
いつもと変わらない、時間に依らない挨拶の言葉。
違うのは声が潜められ、小さく囁かれていること。
合間に細く震えた息遣いが挟まっていること。
ぎぃ、と音がして真っ暗な画面に光が差す。
どこか暗く狭い場所に押し込められていたらしい
めらん子ちゃんはアスファルトの道路に手を付き、
転んで、ふらふらと覚束ない足取りで立ち上がった。
地面には消火栓のホースが散らばっている。
暁か、それとも夕焼けか。厚雲に覆われた空が紅く
染まっている。秋の蜻蛉のような朱色の空ではない。
くすんだ灰色の雲の綿に血を零したような紅だった。
■めらん子ちゃん >
ふらつきながらスカートの砂埃を払い、カメラに
視線を向けて口を開こうとした矢先。酷い音割れが
全ての音を飲み込んで劈いた。
めらん子ちゃんは口を噤んで駆け出す。
ロケーションは住宅街に似ているだろうか。
追従するカメラは画面に映る塀より少し高い位置。
乱れて混じった髪色は普段ほどカメラ映えしない。
走る速度は概ね運動が苦手な女の子くらい。
過去動画で度々見せた猫のような機敏さを思うと
少々意外なほど足が遅い。
T字路の角にある電柱に手をかけ、走る勢いのまま
ぐるり円を描き、電柱と塀の間にある僅かな隙間に
身を滑り込ませる。
さっき通り過ぎたときにはなかった路面標識──
ひらがなと漢字を織り交ぜたような非実在の文字を
更にハサミで切ってずらしたような、現実世界には
存在し得ない標識の白い部分だけを踏んで跳ねて、
道路の反対側へと渡った。
■めらん子ちゃん >
カメラが写す近隣の住宅は見るからにちぐはぐ。
洋風の煉瓦塀の中に古めかしい和風建築があるのは
まだマシな方で、人工芝の庭のど真ん中に白い石を
切り出して作られた地中海風の家すらある有様。
建築様式どころか街の造りすら知らない幼子が
ミニチュアを並べて作ったような不自然さ。
歪んだ十字路を不規則に曲がり、比較的低い木製の
柵を乗り越えて誰の物とも知れぬ家の庭に転がり込む。
不安定に揺れる画面、一瞬だけ普段とは真逆の色の
真っ赤なルーズソックスが映り込んだ。
絨毯の敷き詰められた床に着地すると、ぐじゅりと
泥を踏み締めたような音がした。めらん子ちゃんは
蹌踉めきながら立ち上がり、土足で縁側から室内に
走っていく。
■めらん子ちゃん >
進んだ先には畳の敷かれた部屋があった。
白熱電球の明かりがついているにも関わらず
部屋の中は輪郭がぼやけるくらいに薄暗い。
割れてくすんだガラス、数メートルに及ぶ書道用の
半紙、タイヤが5つあるミニカーと見たこともない
キャラクタの指人形、頭が2つあるこけしが乱雑に
床で寝転んでいる。
部屋の四方は壁の代わりに扉だけで満たされていて、
明かり取りの窓の向こうから奇妙に湿った4本指の
手型が見え隠れしていた。
めらん子ちゃんは踵を返し、さっきまで縁側が
あった場所の扉に思い切り身体をぶつけた。
2度、3度とぶつかると、見た目より遥かに薄い
扉がみしみしと音を立てて割れた。
「ぁ」
扉だけ壊して立ち止まるつもりだった、らしい。
けれど息が上がってしまっていて、ふらついて。
扉の向こう、床のない部屋の穴の中へ真っ逆さま。
■めらん子ちゃん >
カメラが落下する。映像が揺れて回る。
白い壁紙と横向きに貼り付けられたカーテン、
土を掘り抜いたような木の根混じりの穴の壁、
黒い猫の尻尾が一瞬だけ画面に映り込んで──
ばきん、と鈍い音がした。
ようやく安定した画面に映ったのは豪華な洋風の
『横向きの』部屋。天井にはドアがあり、壁には
固定されたように動かない長テーブルと椅子たち。
反対側の壁に、重力に反して横に垂れる照明と……
吊り下げる鎖部分に片手で捕まっためらん子ちゃん。
手を離し、本来は壁だった床へと落下する。
鎖を掴んでいた左腕を庇うように右手と両足で
着地しようとしたが、上手くバランスを取れず
床だか壁だか分からない面に叩きつけられた。
■めらん子ちゃん >
兎を追いかけていた女の子が穴の中へ真っ逆さま。
そんな童話もあったはず。夢の中ゆえの不整合は
狂気をメルヘンにすり替えても何ら違和感もない。
それが絵本の中ならば、だが。
ドアの代わりに、壁に固定されたクローゼットの
扉から部屋の外へ。床に敷き詰められた梁を渡り、
囲炉裏をソファで囲んだ天井を見上げる。
足跡のように続く左右反対の手型に沿って走り、
壁に固定されたベッドのマットレスを引き剥がして、
裏側にあった穴に飛び込んで横向きに落ちる。
転んで、立ち上がるたびにめらん子ちゃんの動きは
鈍くなっていく。走っているのに、隣を歩いても
追い越せそうな早さで、ふらふらと。
■めらん子ちゃん >
方向の狂った部屋で扉を、或いは穴を探して、
下に、横に、時には上に落ちて進んでいく。
何度目の移動か、床に貼り付けられた薄型テレビの
液晶を踏み割って落下して、床か壁か、それとも
天井か、ともかく下にある面にぶつからないように
手近な窓のサッシに指をかけて勢いを殺して。
手を滑らせて、そのまま落下する。
落ちた先は同じレイアウトのデスク、パソコンが
並ぶオフィスのような部屋だった。普通と違うのは
リノリウムに似た光沢の床が奇妙なほどに柔らかく、
包むようにめらん子ちゃんを受け止めていたこと。
■めらん子ちゃん >
上半身だけ起こして、乱れた髪を整えて。
汗だくになった首筋を所々破れた袖で拭って。
黄色く染みが残った床から這いずるように移動し、
手近なデスクに縋り付くようにして立ち上がる。
正常な向きの部屋、足音は柔い床が消してくれる。
ドアに耳を当てて、数分もの間耳を澄ませて。
力が抜けたようにずるずると床に座り込んだ。
やっとで紫色の瞳がカメラ目線に戻ってくる。
「今日は」「これ、で」「おしま」「いで、す」
切れ切れの声で、結びの挨拶を。
「おや な …
■めらん子ちゃん >
酷いノイズと、泣き喚くような電子音。
地震を疑うほどの揺れ。映像が割れて、ズレて。
砕けるような、崩れるような重い音がした。
■めらん子ちゃん >
【こ 配信は▇▇して ま 】
ご案内:「配信チャンネル」からめらん子ちゃんさんが去りました。