2022/01/10 のログ
■ノア > 「……平和だな」
鮮血飛び交う喧嘩も無ければ、惨たらしい目に合う奴もいない。
落第街では皮肉でしかなかった言葉が、此処では正しく意味を為す。
――良い日だ。
パーカーのポケットに手を突っ込むと煙草に触れるが、これ見よがしに喫煙禁止の立て札が目に入る。
未だ溶けずにその姿を保つねこまにゃんを見やり、眼を閉じる。
肌に感じる日差しの熱、鼻腔をくすぐる芝の香。
穏やかな時間を、全身で感じる。
傷は既に塞がって、落ちた体力は取り戻していく他なく。
「……戻るか」
癒えぬ傷なら、抱えて生きていくしかないのだから。
口元は柔らかに。
男は白い病室へと歩みを進める。
ご案内:「常世総合病院 中庭」からノアさんが去りました。
ご案内:「許し続けた偶像」に***さんが現れました。
■*** > 『─────菖蒲。アナタは今日から、多くの人を私と救いましょう』
■*** >
ある時母さんは、オレにそう言った。
夏なのにやたら涼しい日だったのは覚えてる。
正直オレにはよくわからなかった。
けど、母さんが言うなら間違いないと思った。
父さんはどっか行っちゃったし、オレを育ててくれたのは母さんだ。
だから、多分あってると思ったんだ。
あの時までは、ずっと。
■*** >
その日からオレは"キョウソ"って役職になった。
まぁ、よくわかんないけど偉い役職らしいんだ。
"シンジャ"って人たちの心を助ける職業だって。
母さんが用意してくれた白い衣服は、今思い返しても騒々しくって
オレは、この服があんまり好きじゃなかった。
『まぁ、とても似合っていますよ菖蒲』
母さんは柔らかい声でオレを褒めた。
本心だったと思う。オレは似合うとは思わないけど。
この染み一つない"白"が、オレには煩わしくて仕方なかった。
■*** >
その日以降、オレの目の前には色んな人が来た。
子どもに、大人。老人に亜人、よくわかんない奴。
母さん曰く『人類皆兄弟』って言うから、そんなもんらしい。
何もかもバラバラな連中だったけど、共通点があった。
困ってるんだ。人生って奴に。
オレは正直、人生とか迷うとかどうとか。
そもそもそう言う事まで考えた事ない。気にした事もない。
けど、オレの前に来る奴は皆"困ってた"。
今思っても、オレにどうにか出来るような事じゃないって思うよ。
けどね。
『菖蒲』
母さんは。
『さぁ、皆が"アナタ"を求めているわ』
そうじゃなかったみたいだ。
■*** >
『キョウソサマ!この子を将来有望な立派な大人にしてください!』
「────うん、わかった」
────……出来ない。
『教祖様!どうか貴方様の力で、私に恵みを!』
「────うん、いいよ」
────……与えられない。
『教祖サマ!てんごくって所にいったおかーさんにあわせてください!』
「────うん、あってみよっか」
────……どうやって?
■*** >
『キョウソサマ!』
『教祖様!』
『教祖サマ!』
─────────……。
オレを、違うな。
オレじゃない"ナニカ"を呼ぶ声ばかりが取り巻いていた。
別に特別な力がオレにあった訳じゃない。
叶えられるはずない。皆が言う"シンリョク"とか"キセキ"なんて
オレが持ってるはずない。
皆、嘘だってわかってるのに。
オレの"嘘"に安心感だけ求めてる。
オレにはその光景が理解出来なかった。
正直、信者(アイツら)が悍ましかった。理解出来なかった。
けど。
『……菖蒲』
母さんは、オレが"嘘"を重ねるたびに嬉しそうにしてくれた。
■*** >
優しく笑って、オレの事を撫でてくれた。
母さん。父さんが言ってたよ、"嘘"はいけない事だって。
けど、母さんはいけない事をするたびにオレを褒めてくれた。
オレにはよくわかんなかった。気持ち悪かった。
母さんの事が、よくわかんなかったよ。
『菖蒲。アナタはとてもいい子よ。どうか─────……』
オレは人の嘘とかが何となくわかった。
本当に何となく、くらいだ。
だから母さんもオレに"嘘"を吐いていた。
どんな"嘘"だっけ。ああ、うん。多分全部だ。
人を救えるとか、オレが誰かを助けてるとか。
そんなの全部"嘘"だって。母さんもわかってるよね。
オレは、そう言う事わかってるって。
わかっててやらせてて、どう思ってたんだろう。
わかんないや。けど、そうなんだ。
オレの事を"大事"にしてくれてたのは、本当なんだ。
■*** > ─────そんな母さんの笑顔をかき消すように、サイレンの音が聞こえた。
■*** >
「──────……ん」
ぼんやりと、少年の青空が見開いた。
知らない天井だ。いや、見覚えはある。
常世総合病院の病室、だと思う。
酸素マスクの呼吸音が少し煩わしい。
全身も、意識も気だるくて動く気すらならない。
「…………」
なんだか、懐かしい事を思い出した気がする。
島に来る前の記憶。そう、なんてことない"詐欺事件"だ。
多くの嘘と虚構を許し続けた少年と
それを利用し続けた母親の陳腐な末路。
大々的になるような大事件でもない。
何処にでもあるような、ワイドショーの一項目。
「…………」
まぁ、いいか。
■*** >
今は酷く疲れてる。
少年は静かに瞼を閉じた。
今はゆっくり、眠りたい。
不可逆的な命の偶像。
暗号化された感動を解いても
少しも満たされないから
汚れたままでいられないはずなのに。
オレはまだ、此処にいていいのかな。
少年の答えを返す者はいない。
けれど、瞼を閉じるその瞬間
傍に白い人影が見えたような気がしたんだ。
ご案内:「許し続けた偶像」から***さんが去りました。