2023/09/06 のログ
ご案内:「デヒ思ノ場戦(回想)」に宇佐美 溥儀さんが現れました。
■宇佐美 溥儀 > あれは__年前、、、いや、、わからない、、
思い出したく無い記憶が頭を駆け巡る、、
これは私の戦場での体験だ、フィリピン戦線だがな、
あの時に私は死を覚悟したよ、そのくらい怖かったんだ
情けないがね、私は臆病者でしかなかったんだ、それでも勇敢に戦っていたんだ、、
じゃア、始めようか
■宇佐美 溥儀 > 最初に私は車に運ばれてやって来た、物資を取り、連隊の者たちに作戦を知らせていた、
それから前進して行くと、敵の姿と仲間の姿が見え始めて来た、
もう目の前は地獄絵図だった、砲弾により飛び散る土、隣を飛び交う銃弾
仲間の泣き叫ぶ声、、、こんなもんじゃア表せない様な惨劇がそこにはあった
戦友の三四郎が話しかけて来た
「俺はこんな事をするために戦場に来たんじゃないんだア、、、死にたく無い、、死にたく無い、、」
これが奴の最後の言葉になる事を知らずに、戦場に来てまだ数時間しか経ってないのに弱音を吐くこいつに嫌気が差してそいつに説教をしたくなった
■宇佐美 溥儀 > しかし隣を向いてみると奴の頭は撃ち抜かれていた、、もちろん即死、
しかし人間の体は面白い事に、脳が死んでも体は数秒は動く、
そいつは俺の服を掴んで死んでいった、、
あれはいまだに忘れられない、、、、、
そうだ、、、、
この日からだ、、、、、
この戦場が狂って行ったのは
■宇佐美 溥儀 > 無能なことに上層部は我々に特攻を命じた、
しかし動員したのは数十人程度であった、
その中の直樹と言う私の戦友は敵のトーチカに対して手榴弾で肉薄を行おうとした、
でもそれは失敗に終わった、敵の地雷を踏んだのだ、
もう散々だった、、、、、最後に奴は苦痛に顔を歪め、叫びながら死んでいった、、、、
特攻の戦果はほぼ0に等しく、無駄死にと言っても過言では無かった
あの様な無謀な作戦を言い渡す上部に私は腹が立った、
それでも何も変わらなかった、、、そんな私にも腹が立った
■宇佐美 溥儀 > それから少しして、マニラ侵略作戦が始まった
自分が苦手な市街戦であったがそれでも戦った、
擲弾筒の筒が真っ赤になるまで撃ち続けた、
そうしているうちに狙撃兵に脇腹を撃たる、
それでも私は擲弾筒を放ち続けた、腕を脱臼した、左腕を撃たれた、それでも諦めなかった
■宇佐美 溥儀 > 砲撃によって破壊された建物の破片が飛び散る
銃弾によって傷つけられた自分の体は2度と戻らない様に思えた、
しかしそれでも生き残った
それから満洲軍はマニラからルソン島へと上に侵攻して行った、
その際に私はまた、狙撃兵として戦っていたんだ
■宇佐美 溥儀 > そうして私は木の上で自軍を援護していた
そうしていると大日本帝国の戦車隊がこちらに向かって来る、
戦車の砲口がこちらに向かって動き出してくる
、、、、、、、、、、それからは覚えていない、、思い出してはいけない様な気がする
■宇佐美 溥儀 > それでも私の戦争は終わっていない、、、
まだ続いているんだ、、、、
私はまだ戦い続けているのだ、
いつかその戦いが報われることを信じて、転身を続けているんだ
戦友よ、許してくれ、私はどうしようもないろくでなしなんだ、、、
許してくれ、、私は此処にいるんだ、、、、、
ご案内:「デヒ思ノ場戦(回想)」から宇佐美 溥儀さんが去りました。