2020/10/05 のログ
■神名火 明 >
「第三者が勝手に人権問題に仕立て上げたりもしますからね。当人同士の了解があってのことでも。そういう活動家が黙認されているのは、その声が何かを隠すために便利だからだということもある程度は了解していますが」
利用できるものは利用するのは当たり前のことで、善意を悪人が利用することは多くある。そしてその逆の例もいくらでもあるのだろうと思った。
「美味しいですよ。このお魚。どういう見た目をしているかは調べないほうがいいんですが、切り身の色合いも味も絶品です。オレンジのソースと、この菜ものも、きれいでしょう?ええ、そうなんです、こういうちゃんとしたもの、食べてこなかったので。ブロックのカロリーフードだったり、デリバリーのファストフードばっかりで」
にっこりと笑顔を見せて、二口目も食べた。食べ物をゆっくり味わう時間も殆どなかった。
「もとからこういう人間ですよ。私ならもっとうまくやる、なんて瑕疵を、松葉博士が侵すはずがないという、ごく個人的な信頼ありきの考えだと思ってくださって構いません。
心。心ですか。彼女の対外的な印象と、そこから伺える性格の印象、で構いませんか?
とても優しく、気丈で、まっすぐな人です。少し甘いところもあります。総じてがんばりやさんでいつも笑顔でした」
少し炭酸の抜けたグラスで喉を潤した。美味しい。微笑んだ唇が言葉を続ける。
「他利行を行えという、神の教えに縛られていた哀れな女、という答えのほうがお口に合いますか?」
■松葉 雷覇 >
「ですが、その活動家の仰る事も偏見とも言わず、一理ある場合もあります。
何時か、そのような事も無く、誰もが分け隔てなく暮らせる日が来るように願い、日々研究の毎日ですが……いやはや……」
善悪もなく、ただ一個の生命、多くの生命が平和を享受する。
自らの技術がその為の糧に成ればいい。理想を目指すからこそ、そこにいる。
未だ見果てぬ遠い夢とわかっているが、歯痒い思いがありありと表情に出ていた。
「月並み程度の言い方ですが、ゲテモノほど美味しいと聞きますね。
おや……いけませんよ、神名火さん。食生活は少しでも考えないと、あっという間に体を壊します。
医者の不養生、とはいいませんが、貴女の体も大事にしていただかないと」
それこそ親のように、窘めた。
変わりはしない、他人へと口煩いほどの気遣い。
笑顔は絶やさない。崩れる事も、無い。
「成る程。いえ、私も同じような評価だと思います。そんな彼女の……ええ
『彼女自身』に"自覚"させたい事もありました。この世界では、貴女に手を差し伸べてくれる方がこんなにもいる、と」
「現に、私の……目論見、と言った方が雰囲気はでるでしょうか?はい、今回は見事成功と言えるでしょう」
「貴女が目の前にいる事を含めて、滞りなく"実験"は進んでいます」
何も変わりはしない。
嬉々とした事も無く、穏やかに、丁寧に述べていく。
目の前にある食事も優雅に、品を損なわないように丁寧に口へと運んでいった。
■神名火 明 >
「理想の一形態としては素晴らしいお考えかと思いますが、きっと、実現しないからこその理想…というよりも、実現しようとする意志こそが大事だと考えます。
実現も困難であれば、維持することはもっと困難でしょうから。私は、そういう模索の道からも、退いてしまいました。だから、今になってやっと言えたことです」
必死に眼の前の命を救おうとしていた。それなのに言うことを聞かずに命を無駄遣いするものには罰をくれてやった。意味のない悪を重ねても何も癒やされないのにそれをせずにいられなかった弱い人間はというと。そこでピタリと手を止めてから、あらためて半透明の切り身を口に含む。咀嚼して嚥下する。
「周囲に彼女を慕う人間が居ることと、彼女の在り方の歪さを指摘するための行動であり、彼女をめぐる一連の事件はそのための演出にしか過ぎなかったということでしょうか」
フォークを置いて、彼をまっすぐに見つめながら、自分なりに切り分けて問うてみる。
「なんの実験なのかと聞くのは、学会としての守秘義務もあるでしょうけど。そこまでする必要があったのかということもあり、同時に、あの子にそういったことをしてまで自覚させたいということにも、私としては疑問が募るばかりです。
肉体と精神の耐久性を確かめてみたいというほうがまだわかりやすい。あえて発見させてその後の経過を見たい、というほうがまだ理解はできますが、それなら記憶を完全に消して『同じ場所に戻して』しまえばいいのに」
自分に露見することまで含めての実験だと言うならなおさら説明がつかないことが多すぎた。自分だけだというのならまずわかる。
まずもって、自分は松葉雷葉という人間に怒りの感情を覚えてはいない。
「少なくとも巻き込まれた側として、いくらか知る権利があると思いますけど。なにせここなら内緒話はし放題です」
あの場で、彼女に無体を働こうとしていたものたちに覚えた強い怒りとは違う。この男がやっていることが、『非道な人体実験』だとしても…それを『よくあること』だと弁えられるのが神名火明だ。巻き込まれたのが大切な人だったからというだけで、そうでなければ全く問題ない、この島の日常として看過していることでしかなかった。
「一人の女を追い詰めて、壊し、信仰を奪う。周囲に手を差し伸べる者がいるということを自覚させる。それで何が成されたというのでしょうか。信仰、偶像、カミを否定したかった、とか仰られるわけではないのでしょう?」
■松葉 雷覇 >
「退く事は決して悪い事ではありませんよ、神名火さん。
少なくとも、そこに"後悔"が無いのであれば、貴女にとっては正しき道ではないでしょうか。
私は、貴女を祝福しますよ。神名火さん」
如何なる理由であろうと、如何なる道であろうと
雷覇がそれを否定する事は無い。
ありのままを受け入れ、彼女の行いも、在り方も、『肯定』する。
「困難なのは間違いないでしょう。ですが、不可能とは思っていません。
私の夢は、何れ此の手で叶うものだと思っています。そして、彼女のおかげで……」
「"段階"を進める事が出来ました」
ありありと包み隠す事は無い。
食器をその場において、レンズの奥の深い青が何処までも相手を見据えている。
深い所、底の底まで、深海の底から"何か"が見ている。
「そうですね、貴女には知る義務があるでしょう。
貴女はその為に、わざわざこのようなお部屋を取ってくださった。
はい、私も探求者として、疑問に対しては答えを求めるのは当然だと思います」
彼女は理知的だ。信頼がある。
自分に怒りをぶつけるだけならば、"きっと当に済んでいる"。
わざわざ呼び出す事も無く、結果はどうあれもっと早く事は付いていただろう。
「──────ですが」
人差し指を口元に立て、申し訳なさそうに眉を顰めた。
「全てを話す事は、貴女"にも"出来ません。未だ実験段階にある事と言えます。
少なくとも、神を否定するなどと漠然と漫然とした目的では無い事は確かです。
神名火さん。人の心は複雑です。ですが、私も人間。気持ちを理解する事は出来ます」
「彼女は『此処に居たい』と願いました。私は、それを叶えたいと思いました。
"彼女自身"も、新たな段階へと向かうでしょう。ええ……」
「『とても協力的』でした」
真意は未だ、深海の底。
但し、飛び込むものを受け入れる母なる海は、其処にある。
■神名火 明 >
「正しいか正しくないかで選んだわけでは、ないんです。続けていくのが辛かったから、やめた。それだけなんです。祝福して欲しいわけではありません。こんな私を許してくれた人がいたから、今はこうしている。私に、他利行の、それも見ず知らずのだれかのために命をすり減らす生き方は、無理だったようです…あなたと違って」
妻を失った、らしい。らしいというのは、葬儀の様子の噂を聞いたことがあるからだ。彼の伴侶であった女性にも少しながら世話になったことがある。年の差夫婦で、似合いの二人に思えた。柑橘系の飲み物が好きで、よく飲んでいたのを思い出す。子宝に恵まれたのだろうかと、祝福という言葉で思い出した記憶がそれだった。
妻を事故で失った異能学者という肩書がどれほど正しいかも今はわからない。
「あはは…ええ、そこは勿論。あなたのなさっている実験の全容を知りたい、というのは烏滸がましいことですし、私の求めてる答えからもずれていくことです。
基本的にあなたの修めていらっしゃる学問において、私は門外漢ですから、複雑になればなるほど理解からは遠ざかっていくと思いますし」
苦笑した。信に信で応えてくれる理路においては信頼できる。
「あの子が、誰にでも優しいからですよ」
苦笑いをして。『とても協力的』という言葉に対して、それは違います、と首を横に振った。
「あなたの歪みをあの子の歪みが受け容れてしまっただけです。あなたはあの子の歪さに赦されただけです」
責めたわけじゃない。怒ったわけでもない。ただ静かに否定した。あの子が『協力的』に見えたなら。それは、ただ。
彼女の優しさに、強さに、甘えているだけだ。
松葉雷覇が否定しようとした、あの子の当初の現状に。意固地なまでの信仰心に。他ならぬ彼自身が赦されているのではないかと。そう考え、告げた。
「だから、あなたが『自分の実験のため』と言ってくださって、よかったです。ただ善意でだけでそういうことをしたと言い始めたなら、あの子の先行きにとっては余計なことでしかなかったから、少し怒っていたと思います。少なからず、あなたのエゴが介在していると、あなた自身が自認していらっしゃることに、安心しました。
あなたは大衆、市民の未来を大きな単位で信用していても、おそらく個人の一単位の人格を信じていてくれていないということは、少し悲しいと思います」
自分にとって悲しいのか、松葉雷覇が悲しい人間であるかと言うのはさておくとしても。
「『願いを叶える』実験? それとも、『此処に居たい』というあの子の願いに何か鍵が?」
興味は可能性の話にそそられた。メインディッシュが運ばれてくる。何かの肉のワイン煮だ。
■松葉 雷覇 >
「それでもですよ、神名火さん。辛い事を無理に続ける必要もありません。
勿論、時には向き合う事も必要だった。彼女の場合は、そうだったでしょう。
貴女にも同じように、とは言いません。ただ、私はその在り方を認めています」
適材適所の問題だ。
だからこそ、その在り方も認めよう、赦しはしよう。
全貌を知らずとも、男は他人を否定する事は無い。
「それに、貴女自身が言って下さったように、要するに生き甲斐<エゴ>に等しき行いです。
ですが、事の発端は全て、善意で成り立っています」
「人類を救いたい。会社を儲けさせたい。家族の暮らしを良くしたい……」
「私も、それと同じです。確かに、彼女には"協力"してもらいましたが
彼女の願いを叶えるのは、その上で私の善意でしかありません。
少なくとも、彼女に"変革"は齎しました。後は、貴女達と、彼女次第でしょう」
ともすればこの結果は男のエゴと善意
そして、多数の善意<エゴ>が生み出した結果に過ぎない。
少なくとも、自分の事を少し買いかぶりすぎだ。
物言いに相違があった事も認めるが、結果としてこれはこれで成功に過ぎない。
少しばかり苦い笑みを浮かべたまま、静かに首を振った。
揺れる金糸の隙間。深海のように深い青は、未だ瞬きする事なく相手を見ている。
「ですので、お礼を述べたいと思っていました。神名火さんにも、山本君にも、皆様にも」
実験に協力してくれた、皆々様にも。
「ともあれ、実験の成果だけ言えば、彼女の肉体とても素晴らしいものでした。
彼女のおかげで、試薬品は完成したと言えるでしょう。神名火さん」
「貴女は、自らの異能をどう考えますか?」
その手元には、いつの間にか橙色の液体が注がれたグラスがあった。
■神名火 明 >
「神であるかのような物言いに聞こえます」
機嫌を害したわけではないけれど、そう、彼は言葉を尽くしてくれる。とてもわかりやすい。授業の上で、人に理解を求めて噛み砕いて話すのが得意な男というイメージは昔からもっていた。
「すべてが、善意で」
その言葉を疑うことはない。肉を切り分けて、一口はこぶ。聖人の血にたとえられたこともある葡萄酒で柔らかくなった肉がなんなのか。それまでどれだけの試行錯誤が積み重ねられていたのか。それは諸人の目にはそうそう触れず、それを語る者もその心血の注がれたほどを明確に知る者ではないこともままある。知らずに犠牲を享受しながら、その味をゆっくりと咀嚼した。
「善意だから、なんだと言うのでしょう。それは、少なくとも相手にとってはなんの理由もならないということは――あなたご自身がよくわかっていらっしゃることと思います。
実験のためとはいえ、『手っ取り早い』方法に頼ったことで、あの子は傷つきました。『余計なお世話』…嫌な言い方になりますが、時間をかければ、彼女が自分を見つめ直すこともあったかもしれない。多くのけが人が生まれました。死者も出たそうです。悲しいことです。その行いの発端が善意としても、あなたの行いを知れば、他者の理解を得ることは難しいでしょう。善意は行為の正当化に使える要素ではないと思っています。科学者や先駆者にとって、そういうことはままあることで、だから秘密を抱えて研究に打ち込むのかとも思っていました。理解されないだろうと考えて。
それでも――善意だ、という自己肯定に言葉を尽くされるのは、なぜでしょうか。理想に理解を得たいのでしょうか。それとも此処に居ない誰か、あるいは何かに赦しを請うているのでしょうか。いま、話していて、そこが気になりました」
善意。その言葉が秘める意味合いに、引っかかった。男があえてそれを理由として口にしたことが気になった。謎を謎と、悪を悪と、狂気を狂気と、未知を未知と切り捨てるのはとても簡単で、しかしそれをしない人間はたまにいる。神名火明がまだそうであるかはわからない。
「あなたに礼を言われても、皆、困惑するだけだと思います。そうして圧するのがあなたの話術であるなら止めはしませんが、とりわけ英治くんみたいな人には、ただ神経を逆撫でする言葉にしかならない――それでも言わずにいられないなら、それは自己弁護に等しいことです。まあ私も、つい魅力的な人を見てしまえばちょっかいをかけてしまいますから、だいぶ色んな人を困惑させてしまいますけれども」
試薬品。という言葉は、彼がこちらに提示したヒントだったのだろうか。薬物の流通。他人事と思えない可能性が脳裏を過ぎった。『肉体』という言葉を聞けば、
「でしょうね…」
静かにつぶやいた。強靭な肉体。あの子の肉体が、治験においてどれほど得難い資質を秘めているか、ふれたことのある自分にならわかる。唇にかえってきた生命の躍動の熱さ。だからこそ悲しい。耐えられてしまったことが。
「私の異能、ですか?」
グラスから視線を彼に向けると、くまを目元につくった目を瞬かせてから考える。
「少なくとも私の異能においては、医療器具や医薬品の延長と考えています。緊急時には特に便利ですし、大きな器具を運び込まずに医療を行えることが私の資質と考えていました。あるならもちろん、機材に頼ったほうが確実です。そして、同じく医療器具や医薬品と同様に悪用もできてしまいますから、もう、使い方を誤らないように心がけなければならないもの、ですかね」
刃物としては尖すぎるメスや、どこでも軽くキメられてしまう大量の錠剤のように。少なくとも公示している第一段階はそう。そして第二段階までは含まれる。第三段階からは、少なくとも奇跡と呼ばれる医療を行えるほどの大規模かつ強力な効果を発現できる、けれども。
「あくまで私個人の異能は、そういうものだと思ってます」
■松葉 雷覇 >
「……成る程、それならばご安心ください」
彼女の言う事も一理ある。
顎に指を添え、実に感心の色を示しているのがよくわかる。
その疑問に答えるさながら教師のように、彼は答えた。
■松葉 雷覇 >
「元より、彼女の事は協力してくださった時点で、『人間としての運用は想定しておりません』ので」
■松葉 雷覇 >
平然と、言ってのけた。
全てが善意だ。嘘も無く、悪意も無く
"人"でなければ、その扱いも変わってくる。
ただ、それだけに過ぎない。
何一つ、笑みを崩すことなく穏やかなままだ。
■神名火 明 >
少しだけ考える仕草を見せてから、
「ごく単純な疑問なのですが、それはあの子が異邦人だから、ではない…ですよね」
とこちらもまた、シンプルな問いかけを返した。レイシスト。そういう人間は居る。学園の生徒や教師にも、そういう知己はいる。ストレートに聞いて、今まで犠牲になってきた者たちも、そのようにして『人間としての運用を想定しない』という認識の置換によって、事を成してきたのかと問いかける。
■松葉 雷覇 >
「いいえ」
静かに首を振った。
「私は人種的差別はしませんよ。皆、生命は平等です」
故に、ただ扱い方を変えただけ。
異邦人、怪異、地球人。全ての生命を平等に愛している。
目の前の彼女も、その一人だ。
■神名火 明 >
「ありがとうございます。いえ、失礼な物言いと承知で言いますが、『らしいな』って思いました」
グラスに満ちた蒼を飲み干した。二杯目だ。結果はどうでもいい。望めばそこにぽん、と出てくる。裏側は、わからない。わかる必要もない。その裏に、そういうことはたくさんあるのだ。当たり前に服用している内服薬の歴史に、死者がいるかもしれない。そういうものだと弁えている。松葉雷覇の実験が殺した者と、松葉雷覇の研究が助けた者を単純な定量で天秤に乗せたら、どちらに傾く?現状において、それを疑うほどに彼への不信感はない。これからのことはわからないが。
「そうしなければ、あなたの『善意』が実験の邪魔をするから、でしょうか?」
人に向けている善意を、相手を人と思わないことで制御する。そういう論理の動きが見えたので、確認をしてみる。
■松葉 雷覇 >
「いえいえ、気にしません。貴女が思うように、私を評価した。
私を私らしいと言って下さったのは、私を理解した上でのことでしょう。喜ばしいと思いますよ」
詰まる所の相互理解。
生命を、人愛する彼にとってはそれは喜ばしい事だ。
手に取ったグラスを傾けて、口に含んだ。
濃厚な果汁の甘味と酸味、慣れた味が舌を、喉を通り抜ける。
しかし、だ。
「────私はただ一度も、"出来る"と思った実験を止めた事はありませんよ」
その好奇心は止められない。
確かに男は、善意で行動している。
だが、そのような倫理制御はそこにはない。
持ちえた上で、そうしている。同居している。二律背反。
その笑顔は、決して絶えない。深い青が、貴女を見ている意味ははたして─────。
「神名火さん。貴女は、自分の異能を医薬品の延長線と言いました。
つまり、異能とは、貴女にとっての道具……或いは才能の延長線。そう言った解釈で間違いないですか?」
■神名火 明 >
「それもまた科学者らしいことだと思います。少なくともこの島は本土よりも倫理的な観点においても自由度は高い、というか…要するにそれがあなた自身の"善意"に反するような実験であっても、あなたは"できる"という可能性を見てしまえば実験に踏み切ってしまう、ということで間違いはありませんか?」
蒼い色が好きだといった。未知を愛するといった。可能性を愛しているのだろう。人間に見ているものは要するにそれであって、個々人への人格への、極端に言ってしまえば情的な無関心さを感じている自分の感覚にも頷けるものがある。
「あの子に、宗教や神は道具だと言ったんです。人の心を健やかにするための。神は死にました。ずっと前に。ニヒリストを気取るつもりはありませんが、私はあの子を信じながらも、蛇と鷲と共に居たい」
少しだけ、思い起こすようにして、グラスを揺らした。蒼色を解釈するのは難しい。
「才能というと、少し驕った感じになりますかね。いまの私は医者くずれですし。言ってしまえば個性、能力。それもまた道具として扱えるものではないでしょうか。私の異能の、私自身の認識は、そうです。目的のための道具(ツール)です」
偽りなく答えた。すべてを話せないのは同じことで、それでも答えられることを答えるのは礼儀だと考えている。グラスを掲げた。蒼い色を透かして彼を見る。
「こちらからももうひとつ、お聞きしても良いでしょうか」
■松葉 雷覇 >
「そうとってくださっても、構いません」
間違いではない、今の所は。
悠然とグラスに注がれた液体の味を堪能しつつ、ただ彼女だけを今は見ている。
「……それが、貴女の善意(エゴ)ですか?」
静かに問いかけた。
答えを待たずしても、その問いかけには小さく頷いた。
此方の答えの前に、その質問に答えよう、と。
「はい、どうぞ。何なりとお聞きください」
■神名火 明 >
「奥様も、ですか?」
■松葉 雷覇 >
「──────……」
■松葉 雷覇 >
初めてその問いに、間が置かれた。
誤魔化すように飲もうとした液体は、既に空。
困ったように、眉を下げた。
まるで、"彼女"に責められているようだった。
「……はい」
観念したように、肯定する。
■神名火 明 >
「そうですか」
蒼い色を含んだ。少し多めに飲み干して、えぐみも含めて味わった。よく味がわかった気がする。なぜ、と聞きはすまい。深く聞けば、『全ては話せない』という、科学者として人間として、そしてあの女性の夫としての当然の権利が立ちふさがる。ゆさぶって聞き出すことはできるかもしれないが、自分は名探偵でも正義の味方でもない…。
「可能性、変数x、未知の深い蒼、そこに在すあなたの神はまだご存命でいらっしゃるのですね」
彼は何かを『できる』と思ってしまった。そしてそれを行った。かつての恩師も、そしてマリーも。そういう行いに適した思考形態を持ち合わせて生まれてきた存在。才能、個性、実験のための道具(ツール)として扱える精神のかたち。
口には出さなかったが目を細めた。悲しい人だなと思う。ディープブルーの深い海に、愛する人さえ投げ込んで、彼は何を得たのか。…わからない。自分は恋人を、マリーを、何かに捧げようなんて考えたこともない。理屈は解せても、共感がなせない精神の断絶に痛ましいことを覚えたが、それでも。
「あの子のことも必要なことだったのだと思います。でも、私が見てもどこか、急いでいた様子が見えます。気づかれることが前提の作戦とはいえ、正規学生の略取は大胆に過ぎた…風紀委員会まで動いた。公安も動いているかもしれない。聞いた話によれば、あなたに個人的な怨恨を持つ委員もいるそうですね。
私に言える権利がないことは百も承知ですが…あなたは、ここで止まるべきです」
最初から、ここに至るまで、彼を糾弾する意図などはなかった。怒りの情もなく、善を語る権利もない、神名火明はただ裁かれていないだけの大罪人であり一人の人間で、相手を色眼鏡で視ようとしないように心がけている。
「私は境界線の、おそらく二歩手前で止まれました。あなたもうすぐそこ、一歩手前まで来ている。その先にあるのは実証ではなく、勝利ではなく、訪れるべくして訪れる滅びでは…好奇心が何を求めても…」
あらわれていたのは心配と気遣いだ。私、神名火明は、途中から、
「あなたは病んでいます」
生まれつきかもしれない病人への"診察"をしていた。
■松葉 雷覇 >
「ええ」
ごく、短く相槌を打った。
松葉雷覇は、決して嘘は吐かない。
「神、ですか……余り宗教的な考えはした事はありませんが
私の行きつく先、理想を、夢を、神と仰ると言うのであれば……」
「その通りなのかもしれませんね?」
見果てぬ夢と誰かは嗤った。
尊い理想だと誰かは願った。
それは、祈りだ。その先にあるのが神だと言うのであれば、否定はしない。
確かにそれは実行し難き困難であり、狂人の考えに等しい。
理解している。だが、この頭脳は『出来る』と言っている。
此処は現世は無い、"常世"の名乗り場であればこそ
"実行"出来るものがある。それならば、後はもう言わずともわかるだろう。
「申し訳ありません。何を言われようと、止める事は出来ません。
回りだした歯車は、止められない。私の『実験』は、もう動き始めています。
既に、第一段階はクリアしました。神名火さん。貴女の異能への考え方、私はとても良いと思っています」
満足げに、頷いて見せた。
グラスを置いて、自らの胸に手を当てる。
「ですが、皆が皆そうとは言えない。
異能により人生を狂わされた者。
或いは、異能疾患という病に苦しむ者。
或いは、無能力者故の苦悩。
悩ましい事に、全体で見れば中々困りものです」
「……何とかしたいですね。私は、そう思います」
心からそう祈る。
善意がそう、囁いている。
「それに、『動いてもらわなければ困ります』
少々、想定よりも早かったですが、"彼ら風紀委員会や公安委員会"が
今回の件で動いてくれたのは、嬉しい誤算です」
笑みを浮かべた口元に、人差し指を立てた。
■松葉 雷覇 >
「……ええ、止められるといいですね」
故に、深い青から静かに語った。
■神名火 明 >
大変容による異能の普遍化、それによって魔術師や預言者への畏敬は幻想視から現実視へと移り変わってごくシンプルで普遍的な嫌悪や恐怖に移り変わった。持てる者と持たざる者の苦悩。悪性腫瘍のような『個性』。異能学会の存在意義。
それらの事情は医師会に身をおいていた者にとっても他人事ではなかった。やっかみと差別意識が怪我や死を生み、制御不能の異能や、異能疾患はどこか知らないところから突如として生育し、いまなお医師たちが切り倒せていない呪われた巨木だ。
自分の両手に宿る祝福(ギフト)のように割り切れないものは、この世界にはあまりに多かった。
「どうして……」
それでも男が伝えた言葉には僅かばかりに責める色が声に乗った。
■神名火 明 >
しかし言ってしまった後で強い後悔に襲われた。罪悪感をごまかすように首を横に振って。
「…ごめんなさい」
言うべきではなかった言葉を口にしたことをごまかすようにグラスを傾けた。息を吐き出した。窓の外を見た。蒼い海は望めた。空もあった。肩を竦めた。彼の締めくくった言葉が、深い蒼の男としての最後の言葉だとなんとなく弁えて、固くなる前に葡萄酒煮の残りを崩しにかかる。
「くれぐれも、お大事に。松葉博士」
告げて。後は残りの時間を、他愛ない話で過ごすだけだ。知りたいことは、大体知れた。後は自分が守るべきものを守ろうと動き続けることだけだった。松葉雷覇は内情はどうあれ、誰とも同じく常世島に生きる一人の人間であり一人格であり、そして救われなければならない病人だ。正規の医者に気づかれない病人をそのままにする背徳を横目に。こういう機会は、もう、来ない気がしていたから、ぎこちないまませめて楽しもうとした。
■松葉 雷覇 >
「はい」
静かに肯定した。はっきりと、確かに。
「私は、私なりに後悔無きように道を歩んでいるつもりです。
幸福無きものに、人を幸福にすることは出来ない。
だから、私はとても幸福だと思っています。ただ……」
■松葉 雷覇 >
全て、全て、承知の上だ。
それでも尚、微笑みを絶やさない。
松葉雷覇は、何時でも誰かの為に、笑っている。
「……確かに貴女は医者には向いていなかったのかもしれません。
ですが、その優しき心は尊敬に値します。薬や異能を用いずとも、人を救う事は出来る。
道具に頼らない、言葉だからこそ、出来る事。存外、カウンセラーは向いているかもしれませんね。神名火"先生"」
「……と、言うのは……少し、嫌味に聞こえてしまうでしょうか?」
敬意を以て接する。礼には礼に応じる。
男は善意でしか動く事は無い。
後は応じるままに、彼女と共に、彼なりに日常を過ごすだけ。
■松葉 雷覇 >
────……空になったグラスに、再び同じものが注がれることは無かった。
ご案内:「レストラン「Versprechen」」から松葉 雷覇さんが去りました。
ご案内:「レストラン「Versprechen」」から神名火 明さんが去りました。