2020/08/16 のログ
ご案内:「逢魔時を待つもの」にレナードさんが現れました。
■レナード > 逢魔時が近い。
バジル先生と交わした刻限は、もうすぐだ。
それまでに、どこを巡っておこうか……
そう迷っていた足は、自然とここにやってきてしまっていた。
第二教室棟、その屋上に。
「…………。」
昨日、ぼんやりとここに来たような覚えがある。
だが、何を思い、何を考え、何に突き動かされてここに来たのか、それはもう、思い出せない。
大切な何かを失ったようでいて、しかし今の自分に…不足は感じない。
「不思議な、気分だし。」
どこか懐かしい気さえする、そのベンチに腰かける。
僅かに夕焼けへと移り行く夏空を、まんじりともせず眺めながら。
彼は誰を待つともなく、そこで時間を浪費する。
刻限まで、もう少し。
ご案内:「逢魔時を待つもの」に五百森 伽怜さんが現れました。
■五百森 伽怜 >
第二教室棟、その屋上。
小さな人影が階段を登り、そこに近づいていた。
犬耳のような外ハネ髪に、ちょっと小さめの鹿内帽。
手には時代遅れにも見えるポラロイドカメラを持って、
歩く彼女は新聞同好会の会員である。
何か記事にできそうな面白いネタは無いかと一日中駆け回っていたの
だが、収穫は0。すっかり疲れてしまったのだった。
そうして辿り着いた先は、第二教室棟の屋上だった。
ここにはたまにやって来て、一人でのんびり風に当たることがある。
ネタが思い浮かばなかったり、哀しいことがあったり。
悩んでいたり。そんな時にはここのベンチに座って、
のんびりと美味しいものを食べる。
その時間は、何物にも代えがたい。
さて、ベンチを見やれば。
彼女はおわ、と小さく驚きの声をあげる。
予期せぬ先客であった。
しかも、見れば何だか少し、寂しそうな雰囲気を漂わせていて。
(この人も、悩んでるッスかね……)
ふむ、と。
小さく頷いた五百森はベンチに近づく。
こういう類の人は、どうにも放っておけないのである。
「どーも、こんにちはッス! 隣、良いッスか?」
そうして彼の隣に無遠慮に座ると、にこっと笑って彼の方を
見やるのだった。にっこりと浮かべた笑顔は、純粋無垢な子どもの
それである。
■レナード > 「……ん。」
誰か来るまで、気づかなかった。少し驚いたように反応したかもしれない。
そこまでぼんやりしていたのかなと反省しながら、彼女の方を向いて言葉を返そう。
「こんにちわ、だし。
隣くらい、遠慮せずに使うといいし?」
彼女が隣に来たい旨を、先に口にしたものだから。
ならば自分は少しスペースを空けるように、ベンチの端へと移動する。
そうすれば、あと2人は座れるスペースを確保できるだろうか。
どうにも、この手の無垢そうな相手は苦手だ。
自分の心を、覗かれる気分になってしまう。
そんな気持ちはぐっと押しやって、控えめな笑顔で彼女を迎えよう。
■五百森 伽怜 >
隣に座ることを許可されれば、にへへ、と笑い、
うんうん、と大きく頷く。
「ここ、好きなんスか?」
屋上には、穏やかな風が吹き抜ける。
それは、空虚な心に吹いてくる虚しい風か、
それとも、心を温めてくれる優しい風か。
いずれにせよ、寄り添ってくれることに変わりはない。
「あたしはここの風が好きッス。
優しい気持ちになれるッス」
そう口にして、むふふー、と笑いつつ。
五百森は懐から写真を取り出す。
そうしてその写真をニ、三度振れば、そこから
現れるのはキンキンに冷えてそうな缶コーヒー、二本だった。
写真に映っていた筈の缶コーヒーが、そっくりそのまま写真から出てきたのである。
「はいこれ。お近づきの印、ッス!」
そうして、彼女はこの場で哀しい顔をしている同士に、
その一本を差し出した。
■レナード > 「……好きというか、なんというか。
不思議なことに、ここに来たくなっちゃったっていうかさ。
まあ、そんなもんだし。」
彼女と違って、曖昧な理由。
だけれども、そう言うしかない。だから、思ったありのままを話している。
彼女は風に当たるのが好きだと言った。
…風は、嫌いじゃなかった。
すると、写真を取り出したものだから。
いったい何をしているんだろうと、興味深く眺めていると…
「……ん?
ん、ん? ……はっ?!」
驚きを隠し得なかった。まるでマジックを目の前で見せられているようだ。
それが異能であると見抜くまでに、しばらく要したくらいに。
それくらいに彼女の厚意は鮮烈で、眩しかった。
「……ど、どうも……」
圧倒され気味になりながらも、恐縮そうに缶コーヒーを受け取った。
まさか本当に一期一会になるだなんて、考えてもいないだろうなとか思いながら。
「…っつめた……
これ、君の異能によるものなわけ……?」
冷え冷えの缶コーヒーを持ちながら、興味深そうに尋ねてみる。
しげしげと眺めてから、かしゅっ…と音を立てながらプルタブを開ける。
「………んぐ、んぐ。」
本当に中に冷えたコーヒーが入っていたものだから、その事実にも驚きながら。
いざ口にしてみれば、その減りは案外早いものだった。
■五百森 伽怜 >
「そッスよ~。あたしの異能はアカシックコラージュ!
写真に撮ったものを出し入れできる能力ッス。 だから、
それは正真正銘の!」
レナードの方を見て、親指をピンと立てる五百森。
ピンと立てたのは良いのだが、その後少しあたふたして。
「正真正銘の……えーと、多分先週あたりに
ここの1階の自販機で買った珈琲だと思うッスから!
安心して飲むッス~!」
誤魔化すようにそう口にすれば、自らもプルタブを開けて
缶コーヒーをちょぴちょぴっと一口飲む。
何だか小動物――もっといえば、
水を飲むハムスターのようである。
ちべた、などと口にしつつ、ちろっと舌を出す五百森であった。
吹き抜ける風に、五百森の髪が揺れる。
頭に乗せていた鹿撃ち帽が飛びそうになれば、あわわと
腕で押さえつつ、改めてレナードに問いかける。
「……で、なんとなーくここに来たッスか?
もし、困ってることあったら……あたしでよければ、
相談に乗るッスよ?」
困ってる人、放っておけないッスから、と。
大して大きくもない胸を張って、彼女はそう口にした。
■レナード > 「……へぇ。
写真に現物を収める異能…か。」
面白い異能だな、と思った。
それがあれば引っ越し業者いらないじゃん、とか、
そんなくだらないけれども、どこか日常的な運用がぽこぽこと沸いては消えていく。
「ま、缶コーヒーだのって日持ちするからあんまり気にしてねーし。
…既に飲んでる身だけど、酸っぱかったりしなかったし。苦かったけど。」
彼女の、少し慌てた感じの注釈にも、返事は穏やかに。
その実、どう彼女と接していいものか…それを測りかねているだけなのかもしれないが。
時折小動物のように振る舞う彼女を、流し目で見やる。
なんだか微笑ましい気持ちになるような。
見ていて飽きない…そんな気分にさせられて、頬を緩める。
■レナード > 一服は済んだ。それを知らせる様に、風が吹く。
彼女の鹿撃ち帽が飛びそうになったり、ならなかったり。
そんな時に、聞かれた。
「……悩み、ね。」
さて、何について悩んでいたのだっけか。
……自分の心を、少し覗く。
一期一会の相手なんだ。だから、遠慮はいらないだろう。
缶コーヒーのお礼は、しなければ。
「……ワケあって、僕はここを去るつもりなんだし。」
だから、少しずつ話をしていこう。
「準備もできた、片付けもした、後は時間を待つだけ……
だから…それまでに、自分にとって、"きっと"思い出のある場所を巡ってたわけ。」
もう朧げになっている記憶でさえも、水で滲んだ写真のように何を映したか分からない光景であっても。
「だからこれは、悩みというよりも………きっと、郷愁………
さっきここに来た理由を言ったけど……
それは、たぶん、僕が…何かを失った場所、だからかな。」
包み隠さず、言ってしまおう。
大して大きくもない胸元を張る様子を眺めながら、少し寂しそうな笑みを含めて。
■五百森 伽怜 >
真剣な表情で、五百森は彼の言葉を聞いていた。
時折、ゆっくりと頷いたり、ふむ、と顎に手をやったりしつつ、
しっかりと聞く姿勢をとっていた。
「悩みじゃなくて、郷愁……」
きっと、だとか。
何か、だとか。
いまいちぱっとしない言葉を述べる目の前の少年の話を聞いていて、
五百森は何となく察する。この少年の記憶は、零れ落ちているのだと。
まるで、ピースを失ったパズルのように。
「何かを失った……何か、大切なものがあったんスね。
もしかして……ここを去るのは、それが理由ッスか?」
彼が言葉で作り上げる穴だらけのパズル。
何とかその穴を埋めて、彼の話を理解しようと、考えて、考えて。
五百森は、そう問いかけたのだった。
■レナード > 「………きっかけは、そうかもね。
でも、きっと、それだけじゃない。
積み重ねがあったんだと思うし。」
そう、それは、間が悪かったんだ。
俯瞰していられる今なら分かる気がする。
それ自体を思い出せなくても、ぼんやりと、自分の中にまだ消えずに残っているピースを集めていけば。
「……去る理由は、ちょっと違うけど。
きっと、僕に恋愛はまだ早かったのかなって、思ったかな。」
まるで、他人事のように、寂しく笑う。
自分に欠けたものは、それであると。
■五百森 伽怜 >
「それだけじゃない。
ま、そんな単純な話じゃないッスよね」
少年が語る、積み重ね。
そう、この世界に生きる誰もが、自分の物語を積み重ねている。
毎日毎日、一歩ずつ。
何か事が起きたとして、それがただ一つの原因によるものかといえば、
そうではない。
むー、と。そこで、空を見上げる五百森。
五百森はよく宿題を忘れる。
しかしこれは、
宿題が出てから期日までにやっておかなかったから、
という単純な理由だけが考えられるだろうか。
そうではない。
五百森が小さい頃から宿題というものを嫌って、
後回しにすることを直してこなかった積み重ねがあったからと。
そんな理由だって考えられるのではないか。
そんなことを考えつつ、彼女なりに納得すれば、
再びレナードに視線を戻す。
そして、五百森はその言葉に耳を傾け続けた。
「ははー、恋愛……ッスか」
なるほど、俄然分かりやすくなってきた。
失恋はいつだって心を傷つけるものだ。
「恋愛はいつだって茨の道……ッスからね!
って、あー。偉そうに言ってるッスけど。
言ってもあたしだって、恋愛は1度しかしたこと
なくて……それも失恋だったッスけど……まぁ。
でも、恋を失うことが、辛いのはあたしも分かるッス」
たはは、と笑う五百森は、レナードの方を見やる。
そうしてきちんと自分のことを語ってくれるレナードに対し、
彼女もまた、素直に自分のことを語るのだった。
「あたしの瞳は、特別ッス。特別って、いい意味ばかりじゃ
ないッス。
あたしの瞳は……色々ワケがあって、
見る人を無理やり惹きつけてしまうッス。
昔、9歳くらいの時、好きだった男の子が居たんスけど……」
そこで初めて五百森は、少し悲しそうな顔をする。
ほんの一瞬だけ、風で飛ばされるくらいの、軽い悲しみの
表情で。
「……友達だった女の子が、同じ人を好きになってて。
それで、女の子がこの瞳のことを……告げ口して……
それを聞いた男の子から、フラれちゃったッス」
化け物。彼からは、そう呼ばれた。
そこまで伝えることはないなと思い直して。
五百森は、たはは、と誤魔化すように笑うのだった。
「その時はほんと、視野が狭かったッス……。
もうどうしようもないって思って、転校も考えたッス。
恋愛も、もう無理かなって。そう思ったッス。
でも、あたしは今、諦めてないッスよ。
世の中、まだまだ素敵な人が、
沢山居るって気づけたッスから」
そう口にして、五百森はふふん、とドヤ顔を見せて笑いかける。
「ほら、あたしと付き合うとかどうッス?」
なんちゃって、とすぐに付け加えるのであるが。
それでも、優しい笑顔を彼に向けるのだった。
■レナード > 「…………………。」
彼女の、独白。
それを黙って、聞いていく。
異能を持つが故の、一般からの排斥。
それから生まれる孤独感、疎外感。
自分よりも早く、恋愛とは何かを覚え始めた少女の慟哭は、如何ばかりだったろうか。
…それでも、前を向いて生きている。
強くて、眩しい、その輝き。
…羨ましいと、思ってしまった。
「………ふふ。」
小さく、笑った。
彼女の問いかけに対する返答は、ひとまず後にする。
まずは、こちらの身の上も、話すべきだろう。
「僕はね、不老なんだし。
それでも人並みに愛を知って…子供を成せば、ちゃんと人並みに生きられる。
そういう……"祝福"。」
空を仰ぎながら、彼女に言葉を繋いでいく。
自分のことを、悲観せずに、略さずに。
「でも、僕はそれを、"呪い"だと思って…受け入れることをしなかった。
そこから、色んなものに反発して……
人を受け入れず、認めず…気づけば隣に誰もいなくなって、早百年以上。
それが、僕だった。」
これに気づくのが、この世界での自分の達成すべきことだった。
…もう、教えてもらった後だとはいえ。
「視点を変えられず、瞬きしようとせず、誰にも頼ろうとしなかった。
……子供のままで、いてしまったわけ。」
そして、改めて彼女を見やる。
「……そして今、僕の記憶は、ここであったことが…少しずつ封印されていってる。
本当に重要なことを、残して……辛い記憶を全て、思い出せないように。」
つまり、それは。
「…今、こうして話してる僕も、その内君のことも、忘れてしまうだろう。
今話している僕は、君だけしか知らない。それでも、僕は僕だと…そう思う。
……ここで最後に会うのは、きっと君になるし。」
ふと、腕時計を見やる。
まだ、時間は十分にありそうだ。
■レナード > 「…………ねえ。
名前も知らない、きみ。」
きっと、これは最後の思い出になるのかもしれない。
だからこそ…
「……逢魔時を向えるまでの、もう少し。
そのわずかな間でもいいと言ってくれるなら、
僕と……付き合ってみる?」
同じような質問を、彼女に返すのだ。
■五百森 伽怜 >
「呪いと祝福は、裏表一体……なんてよく言ったものッスね。
不老だなんて、欲しい人からすればきっと、喉から手が出る
ほど欲しいものッス。
けど、当人からすれば――本当に寂しい、ッスよね」
想像する。たかだか15の少女だが、それでも。
今、身の回りに居る大切な人たちが年老いていく中で、自分だけ
同じ姿のままで、それを何度も何度も繰り返して。
隣には、誰も居てくれない。
そんな孤独を、想像する。
彼女は想像力が、豊かだ。
だからつい、共感もしてしまう。
彼の話を聞いていた五百森は、いつしか目に涙を浮かべていた。
そしてハッと気付いたように涙を拭えば、
にこりと笑うのだ。
「――あ、あー、えっと! ごめんなさいッス!
もしあたしが、君の立場だったら、って。
そう考えてたら、何だか悲しくなっちゃって」
ついつい共感し過ぎてしまうのは、悪い癖だ。
映画館に行ったって、いつも一番最初に泣く。
友達から相談を持ちかけられば、一緒に泣いてしまう。
五百森は、そういう人間だった。
「――頼れば、良いっスよ。
年齢とか関係なく、甘えちゃって良いんスよ」
15歳の少女は立ち上がって、両腕を空に掲げる。
それでも、顔いっぱいに――いや、身体いっぱいに
彼への気持ちを込めて、元気いっぱいに振る舞うのだ。
■五百森 伽怜 >
「……それって、あたしは失恋確定ッスよね?」
困ったように、そして冗談っぽく笑う五百森。
それでも。
困ってる人を、放っておくことはできないから。
だから、五百森は満面の笑みで彼を受け入れるのだ。
「あはは、まぁ良いッスよ。
あたしが言い出したことッスからね。
名前も分からない君、
じゃあ今から、はい――あたし達、恋人ッス」
ぴん、と小指を立てる。
指切りげんまんのポーズ。
馬鹿げている。
名前も知らない人と、さっき会ったばかりの人と、
愛の言葉を交わすだなんて。
そう言われるかもしれない。
けれど。
五百森という少女は。
目の前の男と、少しだけなら付き合ってもいいかと。
そう、思ったのだった。
少しでもその気持ちに寄り添ってあげたいと。
この男の気持ちを楽にしてあげたいと。
そう思ったから。
目の前の男は、少女にとって初めての恋人で。
少女は、目の前の男にとって最後の恋人だ。
「……まー、あたしが覚えておいてあげるッスよ。
君のことは、ずっと。
だから、安心してここに居るッス。
あたしは、受け入れるッスから――」
――君がここから居なくなる、その時まで。
名も知らぬ君の、全部を、肯定する。
■レナード > 「って……い、いくら何でも泣くだなんて……っ…」
自分の話を聞いていた彼女は、いつしか涙を流していた。
こんな反応は初めてだったので、驚きを隠せなかった。
でも……ああ、そうか。
暖かい気持ちが、心によぎる。
今の今まで気づいてこなかった。
自分の話をしたときに本当に欲しかったのは、理解や納得でも、解決策の提示でも、排斥や諦観でもなかった。
ただ、彼女のように共感してほしかったのだ……と。
涙をぬぐう少女が、慌てて弁明する。
きっと、そうだろうと思っていた。思い至ったのは、ほんの数刻前だが。
そのまま、二人は恋人であると、彼女はそう宣言する。
穏やかに笑みながら、同じように指切りげんまんのポーズを、取った。
「…………きみ、優しいんだね。」
そういえば、そうだ。
こういう相手とのコミュニケーションは、初めてだ。
……もっと、もっと前に、出会っていればよかったな。なんて、
悔やまなければよかったのに。
こちらも立ち上がった。
二人分の影法師が屋上に映る。
距離は、近い。
そのまま、彼女を、抱きしめようと近寄るだろう。
■五百森 伽怜 >
「自分勝手、ともよく言われるッス。
優しさと自分勝手も、表裏ッスからね」
なんつてー、と笑う五百森。
この世のどんなものだって、きっと見方一つで変えられる。
ちょっと横から見てみるだけで。後ろから見てみるだけで。
そして、ほんのちょっと近づいてみるだけで。
だから、この短すぎる恋愛だって。
世界で一番儚い、この恋愛だって。
しょうもないと笑われる、この恋愛だって。
きっと見方一つで、奇跡の出会いになる。
そうして二人の影が重なれば。
「ひゃわっ!?」
勢いで恋人宣言などしたものの、抱きつかれるのは流石に
慣れておらず、おかしな声をあげてしまう。
彼女の身体はとても、柔らかかったことだろう。
シャンプーか香水か、或いは元々そういう香りを発しているのか。
彼女からは甘いりんごの香りがする。
「あ、ごめんなさいッス……慣れてなくて、その……
別に嫌がってる訳じゃないッス」
そう言って、鹿撃ち帽をぎゅっと被り直せば、
口元を緩めるのだった。少し緊張で強張っていたが、
それでもこの場に立っていよう。立っていたい。
それが五百森の、思いだった。
■レナード > 「……ごめんね。
でも、……少しこうしていたいし。」
柔らかい抱擁、後付けの謝罪。
それでなくとも、彼女の身体は、とても柔らかい。
林檎のそれに似た、甘い香りもする。
…その林檎に魅入られたように、蛇は彼女を欲してしまった。
「…………」
小さいが僅かに乱れた呼吸が、彼女の耳元で聞こえるだろうか。
それは、すすり泣くようにも聞こえるかもしれない。
「………ありがとう。
僕を、覚えていてくれて。
受け入れてくれて…
一緒に…泣いてくれて……」
そして、声色にさえも、それは伝搬する。
「…くやしい、なぁ…っ…………
もう……未練なんて、ないって…思ったのに……
放したく、なくて…っ……離れたくなくて…っ………!
……時間が止まれば、いいなぁって……初めて思った……」
悠久の時を生きられるものが、初めて抱いたその"有限たるが故の"欲求は、
夕焼けのように焦がれた心に、ひしひしと響いていた。
■五百森 伽怜 >
「良いッスよ、別に!
このくらい、どーってことないッス!
ほらほら、恋人なんだからちゃんと甘えるッス!
泣いて良いッスよ、もっと強く抱きしめても良いッスよ?」
強がりだった。本当は、男の人はやっぱり怖い。
色々な、経験をしてきたから。
それでも。
そうと悟られぬように頑張って少女は声を張る。
張り続ける。
彼が大切にしたこの場所の、最後の夢になれるのなら。
だから、林檎の香りを放つ泡沫の少女はそれでも、
にこりと笑うのだ。彼に、笑ってみせるのだ。
「……時間を止める力がなくたって。
今この瞬間を大事にすることができれば、
それで良いッス。
君が忘れても、あたしが覚えておくッスから。
この場所で、こうしていたこと――」
時間を止められなくたって。
奇跡の力がなくたって。
思い一つで、大切な瞬間はずっと胸に残り続けるのだから。
それは子どもも大人も、きっと誰もが持っている、ありふれた力。
何てことはない、当たり前の力。
たとえ不完全で、朧げで、儚いものだとしても。
それでも、きっと――
「――忘れず、残しておくッスから」
――それはきっと、世界で一番尊い力なんだ。
五百森は、彼の嘆きを受け入れながら、そんな思いを抱いていたのだった。
■レナード > 「ばかだなっ……
おとこは、狼だし…っ……
きみみたいな…っ、かわいい子がそんなこと…いったら
ほんと、何されるか分かんないんだから……っ…」
もっと強く、抱きしめていい。
彼女のこわばりも、彼女のおそれも、その身体の微妙な反応から分かっていた。
でも、それでも彼女は、応えようとしている。
……もうじき消えゆく、自分のために。
その決心に、泥を塗りたくはなかった。
だから、僅かに言葉に甘える。
互いの身体が、ぴったりと合わさるように。
それでいて、痛くないように。
まるで、悠久の時を、過ごしていたようだった―――
そこには風もなく、音もなく、ただ互いの鼓動が伝わるのみ―――
自分と彼女が、そこにいる。その事実を永遠のように感じてから――――
「―――きみは、眩しいな」
彼女に残す、その言葉。
その言葉が耳に残っているうちに、ゆっくりと…離れようとするだろう。
彼女を見つめるその瞳には、あたたかな光が灯っている。
泡沫の夢は、もうじき覚める。
■五百森 伽怜 >
「……優しいッスね、君」
何されるか分からないだなんて言いながら。
彼は優しく抱きしめてくれる。
どれだけ不安なのだろう。
どれだけ怖いのだろう。
どれだけ哀しいのだろう。
どれだけ辛いのだろう。
それでも、痛くないように。
痛みが伝わらないように、彼は抱きしめてくれる。
恋人同士の、鼓動が一つに重なる。
彼が生きてきた悠久の時からすれば、
それは本当に、僅かな時間だったのかもしれない。
二人の身体が離れていく。
彼の悪夢は、もう続かない。
明けない夜がないように。
素敵な夢もまた、続かない。
沈まぬ太陽がないように。
「……うざったいとも言われるッス。
明るいのとうざったいのは、表裏ッスから」
眩しいという彼に。
彼女はそうして、お決まりの台詞を彼に送る。
えへへ、と。拭った涙をまだ目元に少しばかり、
星のように散りばめて、笑う。
「でもって、君も十分眩しいッスよ。
こんなに優しい人なんだから。そこは、あたしが保証するッスよ」
そんな彼の優しさこそ、五百森は眩しいと思った。
だから、そう伝える。
君は凄い人なんだと、言葉にして伝える。
そうして、逢魔が時が近づく。
世界で最も儚くて、何よりも素敵な恋の最後の瞬間。
夢みたいな、恋の散り際に。
彼女は彼に、告げるのだ。
「大丈夫。夢から覚めても――」
陽は沈む。
終わりはやって来る。
それでも。
「――いつか、また会えるッス」
泡沫の少女は、いつまでも輝く太陽のような笑みを、
世界でたった一人、彼だけに。
■レナード > 「……優しい人、かな。そう映ったら、嬉しいな。」
少し、自信なさそうに笑った。
それでも、他ならぬ彼女から、そう映ったのなら…
「きみはまるで…明るくて、鮮烈で、混じりっ気のない光。でも、……どこか弱弱しい。
それでもきみは、頑張って…周りを照らすために、光り続けるんだろうね。
きみのそんなところに、きっと……僕は惹かれるんだろうな。」
それは、きっとあったかもしれない、そんな与太話。
そうはならなかった。だけれども、言わずにもいられなかった。
そして、逢魔時がやってくる。
もう、彼の眼には、彼女しか見えていなかった。
その、明るい笑みを。ただ一人に向けた、太陽の笑みを。
「ありがとう。名前も知らないきみ。
僕は、きみが大好きだった。」
今度は、核心を持って、この言葉を贈ろう。
泡沫の彼女に、刹那の彼氏から、最大最後の賛辞を。
「また、いつか会えるから。」
もう、逢魔時が、やってくる。
どちらともなく距離を取ると、彼は走り出す。
刻限ギリギリになってしまったとばかり、慌てて階段のドアへと向かうだろう。
……その直前で、立ち止まり、振り返る。
勿論、その先にいるのは…
「………またね。僕の愛しい人。」
泡沫の愛を知った蛇は、愛しさを湛えた優しい笑みで以て、彼女を祝福する。
たとえそれが一時の事であっても、封じてしまう記憶だとしても、鮮烈な恋の記憶は、忘れることはないだろう。
蛇は、向かうべきところに駆け出していった―――
■五百森 伽怜 > 「……あたしの恋、終わっちゃったッスね」
それは夏の日の、短い恋の物語。
空を見上げて、五百森はぬるくなった珈琲を飲む。
一つ分広くなってしまった、そのお気に入りのベンチに座って。
「うん。また、いつか――愛しい人」
去ってしまった彼に、返す言葉を告げて。
五百森は、夏の空を見上げ続けるのだった。
ご案内:「逢魔時を待つもの」から五百森 伽怜さんが去りました。
ご案内:「逢魔時を待つもの」からレナードさんが去りました。
ご案内:「常世病院」に日下部 理沙さんが現れました。
■日下部 理沙 >
羽月研究所での『事故』の後。
理沙が目を覚ました場所は……そこだった。
病院のベッドの上。
大火傷を負ったはずなのに、痛みはなかった。
常世島の医療は進んでいる。
「……」
起き上がり、体の調子を確認する。
少し気怠い程度で、他に異常はなし。
しかし。
「……あ」
胸元に……大きく火傷痕が残っていた。
まぁ、無理もない。
溶鉄を抱き込んだようなものなのだから。
ご案内:「常世病院」に羽月 柊さんが現れました。
■羽月 柊 >
「……起きたか、日下部。」
隣のベッドから、理沙が意識を失う前に叫んでいた声が聞こえた。
声の主、柊は病衣姿で身を起こしていたが、
青年が起き上がったのに気づくと、ベッドを降りてそちらへ行こうとする。
点滴やらを既に終えた後らしく、右腕には注射痕だろう綿とテープが貼られていた。
男の表情は酷く苦い。
己の過失事故のようなモノで、
死ぬことこそなかったとはいえ、青年の身体に大きな痕が残ってしまった。
「……すまなかった。」
■日下部 理沙 >
「羽月、先生……いえ、俺が悪いです」
片手で、ベッドから起き上がる事を制して、理沙がそちらに向かう。
理沙はもう完調同然だ。
羽月のそれは疲労の蓄積などもあるが、理沙はいってしまえば……怪我をした『だけ』だ。
軽度の外傷は、この常世島ではいともたやすく『消し去られて』しまう。
それでも火傷痕が残ったということは、『酷い状態』だったのだろうが……治ってしまえば何でもない。
「改めて、御迷惑おかけして……すいませんでした」
羽月の方に向き直って、深く頭を下げる。
理沙の表情もまた、重く、苦々しい。
■羽月 柊 >
理沙がこちらに来ればベッドから降りるのを辞め、
座った状態で彼に身体を向ける。
謝罪を聞けば目を閉じ、ゆるゆると頭を横に振る。
横になっていたせいかいつもより癖の強い紫髪が躍った。
「俺が所長なのだから、最終的な責任は俺にある。
治療費はこちらで払うし…君が痕を治したいなら今後も金銭的な面倒は見る…。」
いくら謝ったところで起きてしまった事故はどうしようもない。
「……ただ、………。」
そのまま男は言い淀む。
手元のシーツをぐっと握りしめる。
「…すまない、君は…仕事は、もう、しない方が……。」
■日下部 理沙 >
「……」
羽月の言い分は分かる。
実際、理沙がいくらどういったところで、世間的に見れば最終的な責任は所長である羽月に降りかかる。
治療費だって、下手に折半したりすれば雇用者としての羽月の責任問題となる。
所詮はバイトの理沙に……出来ることは何もない。
故に、解雇宣告をされれば……それにも唯々諾々と従う他ないのだが。
「いえ……やらせてください」
理沙は、真正面から羽月をみて……そう告げる。
迷いなく、引くこともなく。
微かに、歯を食いしばりながら。
それが、彼を責める行いになりかねないとわかりつつ。
それでも。
「俺は……此処で引き下がりたくありません」
理沙は、ワガママを言う。
■羽月 柊 >
「…ッ何故だ、死ぬかもしれなかったんだぞ……?」
あれだけ重労働をさせて、こうして怪我までさせて。
それでいて何故、まだ自分についてくると言うのだ…彼は。
シーツを掴んでいたのを離し、己の病衣の胸元を握りしめ、
男は苦い顔のまま話す。苦しそうに、辛そうに。
「またこういう事故が起こらないとも限らない。
なら、今まで通りの方が、良いに決まってるだろう……ッ。」
まだ、緩やかに滅びに、今までの日常に戻る方がマシじゃないか。
だから新しい人員を雇うことをずっと躊躇してきた。
徐々に徐々に仕事が増えて、男が限界になるまで。
■日下部 理沙 >
「良くねぇよッ!」
■羽月 柊 >
「――……ッ!」
■日下部 理沙 >
大声で、理沙は叫んだ。
幸いにも病室は理沙と羽月の二人だけ。
それでも、迷惑に違いはない。
でも、それでも。
「……今回の事故については、俺に全面的に非があると考えています。
俺は……わかった『つもり』でしかなかった。
素人の癖に知ったかぶって、分かった気になって、竜を……いいや、違う常識を『舐めた』挙句がこの有様です。
大上段から偉そうに御高説を垂れておいて……この有様。
本来、こんなことを言える立場にありません。
だけど、それでも」
理沙は、ベッドのシーツをきつく握りしめる。
手が白くなるほどに、それを握り締めながら。
「……俺は、引きさがりたくない。
此処で引き下がれば、此処で逃げれば、また羽月先生とカラス君に負担が掛かる。
『素人を怪我をさせた』という不要なレッテルを竜という異邦人の『特徴』に追加してしまう」
無論、羽月やカラスを単純に心配する気持ちも大きい。
だが、だからといって
「それを……俺の『せい』になんて、させたくない」
……理沙の中にあるその『身勝手』にも嘘はつけない。
だから。
「……俺は、悔しいんです」
理沙は、真正面から羽月をみて、続ける。
「己の至らなさが。
己の不遜が、傲慢が……」
羽月柊にも、恐らく『分かるであろう悔恨』を。
「己の無知が……悔しいんです」
日下部理沙は、隠さず語った。
■羽月 柊 >
青年が、素のままで喋ったのは初めてだった。
感情のままに怒鳴ったのを、初めて見た。
「……………。」
彼の独白を最後まで聞く。
いいや、口が開けなかった。
無知故の失敗は、不遜と傲慢は、確かに己も歩いてきた道の一つだ。
だが…。
長い沈黙の果て、自分は、
「………君が、死んだかと思った。」
男の『せい』にしてくれた方が、ずっとずっとマシだった。
お願いだ、俺を許さないと、そう言ってくれ。
「"また"俺は……身近になったモノを……失ってしまうのかと、
君が大怪我をした時、そう思った。」
呼吸の仕方を忘れたかのように息が詰まる。
胸元を掻きむしるようにして、言葉を続ける。
「レッテルだろうとなんだろうと……それで、その危険性から離れてくれるなら、俺は…。」
■日下部 理沙 >
「それでは、また違う人がいつか犠牲になります」
理沙は、目を逸らさない。
歯を食いしばりながら、羽月を見る。
彼には申し訳ないと思う。
だが、此処で引き下がってはいけない。
引き下がるわけにはいかない。
此処で引き下がれば。
「……先生も、御自身で見当がついているはずです」
次の犠牲者は……もう分かっている。
現に、既に過労でその男は倒れた。
カラスという『子供』の日常も侵されている。
本来、冬眠しなくてもいいはずの竜達が今も冬眠をしている。
既に、器から……水は溢れ始めている。
「先生、俺を心配してくれるのは嬉しいです。
だけど、同じように『先生の身』を案じる『誰か』がいることも……どうか、御理解ください」
■羽月 柊 >
きっとこの生活を続けていれば一番最初に死ぬのは、自分だ。
そんなことは分かりきっている。
そうすれば残った子たちはどうなる?
後を引き継げるように準備だけはしているが、
それだって自分個人で全部纏めて決めて、本当に実行されるかもわからない。
「…いつだって理解だけはしているとも。
結局これは、俺の感情の問題だ。
研究者が滑稽にも感情に枷をはめられて、引き千切れやしない…。」
起きてまず探したのは、ピアスだった。
理沙の容態より先にそれを優先してしまったのだから、己の愚かさが憎らしい。
右耳に手をかけ、ピアスを外し、手の平に乗るそれを見る。
理解してくれと言うなら、それでも首を縦に振れない理由を。
ここまで近くに来たのなら、それを語るしかない。
「……俺は、無知で未熟で、"対話"も出来ず……一番近くに居た大切なヒトを失った。」
涙など出ない。涙は枯れ果てた。
男の抱える空白と喪失は『置いてけぼり』と『孤独』。
「だから、今まで徹底的に…他人を排除してきた。」
それでもカラスだけは手放さなかったが、それとて、
過去に縋っているだけに過ぎない……本当に馬鹿な男なのだ。
■日下部 理沙 >
「……」
羽月の独白を、理沙も黙って聞く。
羽月柊という男は……聡明な男だ。
だが、その聡明な男に理性ではなく感情を選ばせる理由。
理沙も……それに見当がついていないわけではない。
羽月の掌に乗るピアスを見ながら、理沙も歯を食いしばる。
『此処』に至るまで……きっと、多くの辛酸を舐めてきたのだろう。
『此処』に至るまで……きっと、多くの喪失と苦痛を得てきたのだろう。
人は、学習する生き物だ。
特に、痛みと喪失は『大きな学習の機会』となる。
理由なんて簡単だ……それは時に命に関わるからだ。
人は、心身どちらに傷を負い過ぎても……生きていくことが出来なくなる。
容易に死に絶える。
だからこそ……人は、それを『避ける』ようになる。
トラウマという言葉。
それは、人が人として持つ当たり前の防衛機能でしかない。
「……」
羽月柊の持つ傷は、そんな『人として当たり前の傷』だった。
誰もが多少なり持っている傷だった。
だが、しかし、だからこそ。
……軽率に、口を差し挟むことはできない。
誰もが、その傷の『性質だけ』は知っているから。
『誰かの言葉で癒えるものではない』ことを……知っているから。
その傷について、誰もが……知った『つもり』以上になることは、きっとできない。
■羽月 柊 >
「…幼馴染で、恋人で…いつかは、一緒になろうと、そう約束したヒトが居た。
俺も彼女も、無能力で、俺も元々はこんな髪と目じゃなかった。
以前は大人になって研究所も本土の方で彼女と共に、普通の竜の研究所を立ち上げていた。
小型化も居たし、そうでないのも居た。」
最早吐き出すかのように。
紫陽花剱菊に語った時よりも更に詳細に、男は過去を綴っていく。
今まで、理沙の先達として、常に強くあった柊の、ありのままの姿。
過去のトラウマに囚われたままの哀れな男。
「彼女は、読戸 香澄(よみど かすみ)は、『黒い髪』に『紅い眼』の、
どこにでもいる真面目なただの人間の女性だった。
だが、無力に取り憑かれて、"あちら側"に魅入られてしまって…。
研究所にいた竜たちを犠牲に、強い竜を産み出そうとした……カラスは、その一度目の失敗作だ。
彼女は俺がそれを見つけた時に、目の前で跡形もなく消えてしまって…今でも骸すら行方が知れない。」
いつだって忘れたことは無い。
いつだってこの右耳に金のピアスがあるように、彼女を忘れられないまま生きている。
山本英治と…同じように。
いいや、自分は彼よりも更に過去を見つめているのかもしれない。
「…昔の伝手で常世島に戻って来て、カラスに人型を与えて…彼女と"同じ色"を与えて…。
それだけを手元に置いて、自分の抱えきれる分…小竜の事業だけ再開したのが、今の状態だ。
……だから、俺と息子は、二人だけで研究所をやってきた。
愚かだろう…? これが俺が君に偽善だと言っていた理由だとも。」