2022/10/29 のログ
藤白 真夜 >  
「は、はい……! 変なことではないので、ほ、本当に!
 どちらかというと、私が変なことをしたら捕まえてもらうくらいで丁度いいかもしれませんね」

 半ば、罪を受け入れるような気持ちでそう返す。
 事実、この集まりは……悪とは言い切れるか微妙なところだった。
 明確な犯罪ではない、“悪いコトに使われたわけでもないのに悪いモノ”が多い。
 それが、こういうカタチでのマーケットに出回りやすいのか、主催者の趣向なのかは区別がつかなかったけれど。

「……多分、ですけど。
 というか、私が勝手に思うだけですけど……」

 あのとき、悪い音楽が何かを語ってくれた言葉を思い返す。
 やっぱり、私には難しい。
 音楽を聴くコツも、彼女の一見わがままな考え方も。
 それでも、私にも理解出来るものがある。 

「そう、決めつけられたから。……だと思います。
 流れるべき音楽があって、それが悪い音楽だと決めつけられても、やめられない。
 頭を押さえつけられたなら、それを跳ね除けてやりたくなる。
 ……例え、それがルールというものでも。
 私にはちょっと真似出来ない大胆さでしたが……」

 挑戦すること。
 そのニュアンスは些か違って、私の言葉はただ私が語るだけのものであったけど、私はそう思った。


「い、いえ、その、変というか、珍しいというか、危ないというか……」

 ただ自分の求めるものを説明しようとして、さらなる沼に嵌っていく気がする。
 ちょっと呪われた本を買いに来たんです。包み隠さずそういうべきか──

「……──??」
 
 菖蒲さんの取った本を、しばらく凝視。
 ……、……、10秒ほど眺めて、ようやくソレがどうやってソレと繋がってアレになっているのか理解する。

「ち、ち、違いますーっ!
 こっちではないので、行きましょう! はやく!」

 顔を真っ赤にしながら、普段ちょっとトロいと思われがちな私にしては素早い動きで本を掻っ攫い、ぱたむと閉じ、元あった場所に投げいれ──ちゃんとこっそり置き直したら。
 彼の手を取って、こそこそと音を立てないように引っ張り出した。
 


 行く先は、どこか薄暗い一角だった。人も余り居ない。気の所為か、少し温度が下がった気さえする。
 目当てのモノは、予め決めてある。
 黒い革が表紙の魔術書。
 投げ出すように雑に長机の上に置いてあるそれは、やはり売れ残っていた。

「こんにちは。
 これ、いただけますか?」

 問いかけと共に、小さなバッグをそのまま机に乗せた。……中身にはみっしりと札束が詰まっているのが見える。ギリギリ4桁に乗らない程度の。
 暗い角に構えたマーケットの主らしき人物は、それをちらりと見て、また静かに目を閉じた。……音楽に聞き入るように。

(う~ん、やっぱりお金だけじゃだめか。
 ……だ、大丈夫かなぁ……菖蒲さんに変なことって思われないといいけど……)

 気持ちこっそり、隣の青年に隠すように懐から小さな宝石を取り出した。ルビーに似て、しかしもっと黒いなにか。
 再び目を開いた店主は、ぎらりと目を輝かせるとそれを受け取り、小さく頷いた。

「……ありがとうございますっ!」

 もう私のほうを見てもいない店主に向かって、勢いよく頭を下げる。
 黒い手袋を身に着けてから本を手に取り──ずしりと体に重い何かがのしかかるようだった。

「……ふふ」

 けれど、その顔には小さくほほえみが浮かぶ。まるで、新しい楽しみのきっかけを見つけたような、確かな笑顔。

「……ほ、ほら、変なことはしてませんでしたよね?」

 ……でも菖蒲さんに見られているのを思い出し、ちょっと恥ずかしそうにしながらそーっと問いかける。やはり、どこまでも叱られるのを恐れているかのように。

芥子風 菖蒲 >  
「……反発心?なんか、子どもっぽいなぁ」

それだけ聞くとなんとなくそう思えてしまう。
自分も別に、全ての律を守ろうと言うほど律儀ではない。
ただ、それでもきっと、人が生きていく上で必要最低限の"律"はあって
それさえも跳ね除けるのをこんな歌声で表現するのは、そう……。

「なんか、ダサいな」

勿論それは、その音楽自体が悪ではないと前提だ。
反逆心というべきか。気に入らないことに気に入らないと言う気持ちは酷く共感する。
だからといって、それを跳ね除けるためにやることがこれなのか。
小さな花にも、名前はあるのに。それが見えないから、こういう事をするのか。

「違う?コレじゃないんだ。じゃぁ……、……?あれ、ちょ、ちょっと?」

何だ違うのか。
そう思った矢先中身を確かめようとしたが、とられてしまった。
なんで、と思って首を傾げるのも束の間。
冷たい手を掴まれて、そのまま引っ張り出されてしまう。
あの本に、一体何が書かれているんだろうか。
余程誰かに見られてはいけないものなのか。
それともそれ以上に危険な……なんだろうか。
答えは出て来ない。引っ張られるまま、うーん、と悩み考える。
答えを知っている彼女がまさか、赤面までして恥ずかしいとは夢にも思わない。
だって顔見えないんだもん。



そんなこんなで引っ張り出されたのは、少し喧騒から外れた場所。
どことなく冷え込んだ空気と、張り詰めた雰囲気。
自然と目を見開き、気が張り詰める。静かに息をひそめる獣のようだった。

「…………」

彼女の傍に寄り添い、その買い物の始終を見ていた。
金銭ではない。何か宝石のようなものを私、受け取られた謎の本。
黒い革に包まれた分厚いそれは、なんとなくだけど、見ているだけで妙に胸騒ぎする。
その彼女の問いかけに応えるように、握っていた彼女の手に力が籠もった。

「……それで、何をする気?」

彼女が取引したもの。手に入れたもの。
それ自体にどうと言う気はない。
如何なるものであれ、少年は結局"自己の中"で楽しむなら何も言わない。
此の喧騒は、大きくなりすぎたからこそ咎められる。
そして、彼女のそれは……こういった場所で売られていた。
それが普通じゃないこと位、自分だってわかる。

見据える青空は射抜くように、血色を見据えて、心配するように眉が下がっていた。
その手だけは離さないように、しっかりと。

藤白 真夜 >  
 気の所為ではなく、その魔術書には“息吹”というべきような、息遣いがあった。
 うすら寒く仄暗いその場の空気のせいか、あるいは嘘のようだが本が呼吸をしているのかもしれなかった。
 時を経て、あるいは血の滲むような狂気の上に、もしくはただそれがおぞましい由来を持つが故か。
 魔術書とは、時にそういった何かを宿すものだから。

 しかし、私はそれを恐れずに本を抱くようにして持った。まるで宝物のように。
 見捨てられたように呪いを振りまく魔術書は、しかし私の手に収まると不思議と“息”を止めた。
 手に入れた魔術書を、鞄から取り出した真っ赤な布で傷つかないように覆う。ゆっくりと、それを仕舞い込んだ。
 
「何をするか……」

 死者の霊魂に触れる儀式に使うだけです。
 祭祀局の任務で使わなければいけなくて。
 ……当たり障りなく聞こえる事実も、ありきたりな言い訳も、思いついた。私にしては小狡い頭が回る。

「……たぶん、ダサいコトです」

 でも、私は嘘をつけなかった。菖蒲さんの……瞳はまっすぐなのに、心配するような人の良い表情を見て、すぐに諦めた。

「もっと賢い方法が他にある。
 効率も悪いし、手間もかかる。
 仮にルールに当てはめれれば違法だろうし。
 当たり障りもあって、こうして誰かに迷惑も心配もかけてしまう。
 こういう場所に来なければいけないし……たぶん、“悪いコト”です。
 ……誰にも、悪いコトを押し付けていなかったとしても」

 再び青年に向き合った時。普段よりも顕だった腰の低さや、この場での何処か申し訳無さそうな空気は消えていた。

「……私が必要なモノのために、やらなくてはいけないことです。でも、その気になれば他にも方法がある。……それでも」

 菖蒲さんにも、一度甘えたことがあった。傷つけてしまったことがあった。それがどんなに小さくて、彼にとってなんでもないことだとしても。

「私が目指すもののために、やれるはずなんです。
 呪わしい方法で、怪しげな儀式で、禁じられた外法でも……。
 私が、私の為に。
 ──何の役にも立たない、誇りのために。
 私が、ただ一人自信を持って私だと言えるために……挑戦したいことがあるんです」

 まっすぐに、その青空のような瞳を見つめ返した。普段なら彼に迷惑をかけて弱々しくなる表情はなく。
 冷え込むような呪いの只中にあって、なお鈍く煌めく紅い瞳が彼を見つめた。
 例え悪を敷いてでも、譲れない己自身があるかのように。
 

芥子風 菖蒲 >  
「……そっか」

彼女がそう言うなら、嘘じゃないんだろう。
嘘を言っているようには聞こえなかった。
彼女はそれが、良くないことだと知っていて為そうとしている。
息吹く本、生ける知識を使ってでも為そうとしている。
それがどれほどの事で、どういうことなのか。
少年には検討はつかない。ただ、わかると言えば
それが彼女にとって、"大きな事"だという事。

短く素っ気ない返事だけど、彼女の決意はなんとなくわかった。
成る程、顔も名前も知らないミュージシャンだけど、此の反発心は"そういう事"なのか。
何かを為すための挑戦。それはきっと、誰かの生きる意味なのか、と。
そういえばきっと聞こえは良い。"格好が良い"んだろう。
良し悪しと言わずとも、何故かそれは"良し"と出来ない。
それを理由にして押し通すことは、果たして"挑戦"と言えるのか。

「…………」

きっと、彼女の"挑戦"は険しく、おどろおどろしいものなんだろう。
そうでもしないとという決意が、煌めく紅がそう伝えてくる。
何よりも止めるべきなのだろう。立場的には。

……違う立場とかじゃない。多分、そうだな……。

瞬きをしない青空の両目。
耳元でざわつく通信機の音、突入の合図だ。
メインステージの方ではいよいよ本格的な摘発が始まるらしい。
そう、だったらいかないといけないはずだ。
そして、目の前の彼女を引いて、そう。"後ろめたい事はわかっているはず"。
強くなきゃいけないと、背中を押したのは他ならない彼女だ。だから…─────。


「……うるさいなぁ」


徐に通信機を取り外した少年は、

芥子風 菖蒲 >  
 
        ベキッ
 
 

芥子風 菖蒲 >  
少年の足元に粉々になった機械が広がる。
これでごちゃごちゃと煩い"ノイズ"は消えた。
誰か喋ってた気がするけど、まぁいいか。後で言い訳しよう。
ふぅ、と一息吐けば改めて彼女を見据えて…────。

「イヤだ」

一言。そう言うと更に彼女の手を掴んだ。
両手で包み込むように、離さないように。

「オレはイヤだ。きっとそれは、良くない。
 どういう方法とか、何をするか具体的にわからないけど」

「わざわざ後ろめたそうに言うの、良くない事だと思う」

具体的にどう、と分かっているわけじゃない。
ただその行いは、挑戦はきっとろくなことがおきないのがわかる。
そう、言ってしまえばきっとこれは自分の"ワガママ"なんだ。

「傷つくななんて言わないし
 強くあれとも思わないし
 間違えても、わからなくても、傷ついても」

「輝かしいもののために立ち上がれるんでしょ?」

「オレは、真夜先輩には真夜先輩にいてほしい。
 ……"もう一人の先輩"もそうだよ。そう思うのはおかしいこと?」

こんな事言えるようになったのは何時からだろうか。
自分でも気づかないほど良くも口達者になったものだ。
そう、実際に色々あった。多くの傷も受けたけど、それ以上に"皆"がいた。
彼女も自分を支えてくれた。だから、それを"止めたい"と思うのは間違いとは思えない。
手を握ったまま、顔を近づける。かつて、自分に言葉を掛けてくれたように
彼女が一人でそう言うなら、自分が今度は引き止める番だ。

「……その挑戦がヤバい事なら、オレは無理にでも止めると思う。
 どうしてもやらなきゃいけない事だって言うなら、オレにだけ具体的に教えてよ」

とは言え、先ずは話を聞いてからでも遅くはない。
彼女の挑戦。それについて聞かなければならないと思ったからだ。

藤白 真夜 >  
「──!」

 彼の見せた意思の強さからか、あるいは拒絶を意味するその一言に力が籠められていたのか。
 ……ただ、私の後ろめたさが弱さを呼んだのか。
 彼に一言拒絶されると、それだけでしょげかえるようにまた弱々しさが戻ってきた。

 立ち上がる意思は私の中にありありと存在した。
 いくつもあるモノの中で、文字通り目の前で燦然と輝くモノの前で長い尾を引いて影を作っていた。
 誤謬と不可解はいつも私の中に渦巻いていた。
 すぐ昨日にでも無知の意味を識った。恐怖の無意味さを識った。
 でも。
 ……立ち上がる力は、私の中に在るのだろうか。

「……けほっ」

 小さく咳をした。マスクをしていたのは丁度いいかもしれない。
 ……何時からだろう。
 胸に穴が空いたような感覚が続いたのは。
 体の調子は良い。……いや、異能の調子が良いと言うべきなのか。
 それが、溢れるように止め処なくなったのは。
 治すべき傷が無いのに何かを塞ぐように血が溢れるのは。

(……“もう■■の”……?)

 理解出来ない何かとして届く菖蒲さんの言葉に、理性は無視をした。だが胸の内が訴えかける。
 そう。
 私はただ、その穴を埋めたいだけだ。
 失ったモノがある。そのために、私には糧が必要というだけの話。

「……死者の霊魂を呪う儀式があります」

 ……具体的なそれが、伝わるかはわからない。なんなら、私にすらどうなるか解らない。

「魂を傷つけず、でも真綿で首を絞めるかのように触れる。
 それは、怨念と生への悔悟と未練を産む。
 ……呪わしいものであると同時に、いやだからこそ……それは私の糧になります」

 死者を冒涜するそれは、“ヤバい”ものとして彼に届くだろうか。
 真に忌避すべきは──

「……後ろめたいのは、私自身です。
 きっと……そうですね。人間を三人ほど……■さずに傷つければ戻る程度の穴なんです。
 死人なら13人くらいはいるかも知れませんね。
 ……でも、私は嫌。
 どうしても、……私は、誰も傷付けずに取り戻したい」

 呪われた自らの“糧”を告白するそれは、告解のように……苦々しさと、己を苛む自己批判に満ちていた。

「……私には、暗い路しか残されていない。ただそれだけのこと。
 私は……自分に出来ることを信じたいんです。
 貴方に、血をわけてもらうようなことは……もう出来ない。
 それは、貴方にぬくもりを分けてもらうのではなくて、私の欲望を押し付けるだけだから」

 繋いだままで意識していなかった彼の手を、小さく握り返した。珍しく、体温が上がっている。……体だけは、活きていた。

「それでも、私を止めるなら……捕まえてください。
 ……私は……悪いコトを、していますか?」

 菖蒲さんを見る瞳に意思をこめたつもりだったけれど、……やっぱり弱々しくて、後ろめたい。
 彼に糾弾されたら、随分と打ちのめされる気がしていた。だから、私の知り合いは少ないのかもしれなかった。
 ……自らの罪を告げるその瞳は、艶めくように輝いた。涙か……あるいは、紅い何かによって。
 

芥子風 菖蒲 >  
「…………」

やっぱり気のせいじゃないかもしれない。
彼女から漂う仄かな血の香りは、本当だった。
咳き込んだ彼女からより一層血の匂いが濃くなった。
怪我をしている訳じゃない。彼女の体質の問題なのか。
或いは、何か─────……。

知識があるわけじゃない。
医者でも異能学者でもなんでも無い。
ただ一人の少年だ。だからこそ、此の時
"どうしようもない無力さ"が胸を空く。
起伏に乏しい表情は初めて、苦い顔を見せた。
彼女の前で、いや、きっと人前で見せた初めて弱々しい姿。

「……オレ、結構酷い顔してるんだなぁ」

なんて、自分で言ってしまうほどには、きっと。
ただ立ち止まって座り込んで終わりを待つなら
後悔も失望もいらないのに。どうしてだろう。
そう、彼女の意志を押し通せばきっと、無事じゃすまないんだろう。
下手をすれば、一生合うことは出来ないかもしれない。
死者の冒涜。それ以前に、"死"に近づく程がどれだけ危険なのか。
それは、自身の手元にあるあの"ハサミ"が嫌というほど教えてくれている。
彼女の異能が如何に"死"に嫌われてると言っても、それは──────……。

「…………」

自らの律と島の律に従い、此の場で捕まえるか。
或いは彼女を見逃し、その挑戦に送り出すか。


……ああ、いや、悩むまでもなかったな。


苦々しい表情なんて、案外一瞬だった。
気づいたら少年の口元はほんの少し、緩んでいた。

「捕まえはしない。けど、先輩を死者に合わせるワケにもいかない」

どちらもさせない。
それだけなら、ただの生殺しだ。
握る手をそっと離し、彼女の仮面を取ろうとした。

「真夜先輩。オレ、あの時オレは"空っぽ"だって言った。
 けど、真夜先輩や皆が満たしてくれた。オレ、多分満たされてると思うんだ」

そうなるまでにいっぱい支えてもらって、いっぱい傷ついて
けど、それも全部自分だけの傷跡なんだ。自分を自分たらしめるものだ、と。

「真夜先輩が足りないって言うなら、今度はオレの番だ。
 これだって、オレの欲望(ワガママ)なんだ。だから
 オレは真夜先輩にぬくもりを分けるのなんて全然いいよ」

「けど、多分嫌だって言うと思う。
 じゃぁ、オレがもっと別の方法で埋める。先輩、オレを頼ってよ」

「その、悪霊っていうのは、オレがやっても問題ないものだったりする?」

仮面が取れているのであれば、きっと青空がその両目を射抜いた。
艶めく輝きを照らすように、何処まで真っ直ぐ決意した目。
もし、その瞳から流れる"ソレ"があるのなら、その指先で掬い上げるだろう。

藤白 真夜 >  
 菖蒲さんのこんな表情は、はじめて見た。
 私のおぞましい話や血の匂いに触れても揺るがない、あの信念のようなもの。
 きっと、何かが揺らいだのか……あるいは、足りなかったのか。
 私がそんな顔をさせてしまったことが、彼に否定されるのと同じくらい、胸を打つ。
 
「……ど、どうして、そこまで──」

 問いかけようとして、その言葉は途中で潰えた。それは、知っていたはずだった。
 それが自分のためでなくとも、手を差し伸べてくれた人間のことを。
 抵抗することなくマスクは外れ、……予想した通り、その瞳からは涙が流れていた。
 ……悲しみからではない。
 ただ呆然と、彼を見つめていた。
 ……自らの内から溢れた、紅い血の涙を浮かべながら。

 それはすくい上げるように菖蒲さんの指先に触れ──その最中紅い霧となって消えていく。
 ある種の異能の暴走と言えたかもしれない。ただ純粋に、目から口から溢れているだけなのだから。

「そ、そんなことやらせられません!
 呪術は、能力というより資質が必要ですし……」

 別の方法。いくつかある気はしたけど、その全てが私の気に入らない方法だということだけは確信できた。
 ……黙って考え込む。
 単純で、魅力的で、あまりにも簡単な方法がいくつも、何度も、私を誘惑した。
 今すぐ、──■して■■■■せばいい。
 何処かから飛来する浅ましい考えに、頭を振った。……いや、元から私が浅ましい人間なだけかもしれない。

(……菖蒲さんの、あの不思議な神性の力なら──いや、それじゃ駄目。血を吸うよりひどい……)

 考えて、考えて。
 ……方法は、たぶん……無い。元から、誰かを傷付けることを厭って出来た考えだったから。
 
「……駄目なんです。……どうしようも、無いんですよ。
 どうしようもない私が、……どうにかしようと足掻くには。それだけの、対価が必要なんです。
 ……、……当たり前じゃないですか。
 私が、どれだけ汚れていると思っているんです」

 ……行き場の無い感情は、紅い涙となって溢れ出た。
 泣いているのかすら、判別出来ない。そして、それは流れる先から蒸発していく。……ありもしない何かのように。

「……私は、やります。……貴方に、菖蒲さんに、止められても。
 でも、……その上で、頼っても、かまいませんか」

 自ら汚れていることを告げた表情は、自覚するかのように青白く褪めていった。
 ……なのに、瞳にだけは力が宿っている。輝きが無いが故に、焦がれるように彼の瞳を見つめた。

「私は、死にません。……今は未だ、絶対に。
 私の儀式の……“その後”に起こることを、貴方に止めてほしい。
 私は、……多分、何をするかわからない、“私”になってしまうから。
 私を捕まえて欲しいんです」
 
 ──それは、遠回しに。
 私を斬れるかと問うていた。

芥子風 菖蒲 >  
彼女はやっぱり、泣いていた。
ただの涙なんかじゃなくて、紅の血の涙。
血涙なんてよく言うけど、きっと彼女の流すそれは悔しさとか
なんだかもっと、深い感情になっていると思った。

「…………」

────どうしてそこまで?

────それでもやらせられない。

────捕まえて欲しい。

問いて、問うて、懇願して。
それを静かに聞いて、指先に蒸発する血を一瞥して

「───────……」

ずぃ、と顔を近づけた。
体を押し付けるように、互いに寄り添うようにして
遠慮なく顔を近づけ、避けようとしないなら


"頬に口づけするように、流れる涙を啜るだろう"。

藤白 真夜 >  
「……あ、……」

 何も抵抗しなかった。
 涙か血か判然としないものよりも、頬に唇がつくほうが確かな感覚を与えたはずだった。
 驚きや、恥ずかしさや、申し訳なさが、自分の中で渦巻く。

 ……抱き寄せるだなんて出来はしない。
 でも、彼を安心させるように、手が彼の胸に触れた。そこに在るのだと確かめるように、指先を撫ぜる。

「……大丈夫です。
 もしかしたら、うまく行くかもしれません。
 私は臆病なので……自分が不都合を汲むようなこと、あんまりしないんですよ」

 呪いを耐えられる自信は、大いにあった。
 もっと罰当たりなことは何度もあったのだから。
 問題は……呪いを食んだ後。
 それは、むき出しのネガティブな感情だ。それをただでさえ後ろ向きな私に入れたら本当にどうなるかわからない。
 でも、勝算の無い賭けはしない。
 確かに挑戦ではあったけれど……私は元より、臆病なんだから。

「ああ……私は十分に……貴方に頼って、助けられているんですよ。
 こんな風に、……なんて言えばいいんでしょうね。
 私に、……救いをくれるひとは居なかった。……ちょっと心配になるくらいに」

 間近に迫った顔を、恥じることなく見つめられた。
 いつも、私ではなくて……誰かを見つめている時は、笑顔を浮かべられる。
 安心させるためのものや、勇気を出すためのものではなくて。
 ただ、美しいものを見たという、喜びの笑顔を。

芥子風 菖蒲 >  
それを口に入れた時の味は、なんというか─────……。

不快とかそういう事は一切なかった。
ゆっくりと口を離した時の第一声は……。

「……先輩ってこんな味するんだ」

何とも物々しい言葉だった。
相変わらず起伏に乏しい顔だったからどう見えるかはさておき。
距離は変わらず、ずっと血溜まりを青空は見下ろしている。

「別に汚れてないよ、先輩は」

それを証明したかった。
汚らわしいなんて、汚れてるなんて微塵も思わない。
この血を、自分のものにすることに戸惑う事もなかった。
そういうものだって、彼女に教えたかった。

「オレはこれからも、先輩を助けるし、何度だって手を伸ばす。
 あの時からずっと、それだけは変わってないから」

頼ってくれても良い。
助けられたって良い。
だって、それだけ自分が救われた。
今度は、自分がそれを返す番なんだ。

あの時、彼女を助けたときからずっと、傍にいて
ずっと、彼女のことを助けたいと思って、ずっと。
こうして今いられるのだって、彼女と皆のおかげなんだって教えたい。

「先輩だって、一人じゃない。
 案外、知らないうちに救われてる事もあるかもね」

自分がそうだったから、彼女だってと思った。
そういう意味では似てるのかもしれない。
何処までも自分に興味がなかった少年と、何処までも自分を卑下する少女。
けど、少年は変わった。確かに此処に"いる"と言うように、胸の指先に自らの指を絡めた。

「だから、オレもやる。"上手く行く"為に、無理でもついていく。
 ……絶対先輩の"大丈夫"って、"大丈夫じゃない"し、頼ってよ」

「ちゃんと二人で一緒にいようよ」

受動的に彼女に求めた。
自らの血液を提供するようにいった。
けど、今はもうそうじゃない。それはきっと、"アイツ"を救えなかった塊根もある。
それ以上に、大切な人を救いたいという気持ちがそこにはある。
だから、強引にだって行く。どうしても避けられない"挑戦"なら


自分が"挑戦"したって良いはずなんだ。

藤白 真夜 >  
「……あ、あんまり、飲まないでくださいね。
 変なモノ、混ざってたりしたら困りますからね」

 ……その言葉にはさすがに恥ずかしくなって口を挟んだ。血の味だなんて、本当は苦手だったけれど、自分のを聞かされるのはさすがに流せない。
 実際のところ、何かが混じっているなんてことはなく。
 私の血は、意識せず何かに混ざるとそれに溶け込む方向性がある。だから、何か特別な状況か私が意識しない限りそれはひどく薄く、馴染みの良い何かとして感じるはずだった。

「──……そ、そうでしょうか……」
 
 血を味で語るのは、私の……ごく密やかで、届かないほど奥にしまった穢れた愉しみで。
 ……だからこそ、汚れてない証明に血を口に含んだと言われたら、何も言えなくなってしまうのだけれど。

「……」

 私は、独りだと思っていた。
 自ら考えたその挑戦が、誰の手も借りれないことがその証左だったかもしれない。
 ……そして、それが傲慢だったのだろう。
 思い返せば、たくさんの人に出会い、助け、助けられ、……人の輪を紡いできた。それは、他の人と比べればあまりにも小さかったけれど。
 ……かつて、どこかでそれを求められた気がしたから。
 一人じゃない。
 その言葉は、私の中にきちんと落ちていった。

「……ふふ。
 そう聞くと、やっぱり私がヘンなことをして捕まっちゃったみたいですね」

 ……二人で一緒に。
 いくつかの儀式も、神性への生贄となる時も、悪魔の饗宴の代行をした時も。
 ずっと一人だった。
 私は、そのほうが“コスパ”が良い。死んでもどうにかなるからこそ、一人でやるべきだから。
 でも……、

「わかりました。でも、菖蒲さんは傷付けさせません。
 私も……死にません。
 これは、貴方に言うまでもなく、……私が持つ、生きる意味として」

 その言葉は矛盾するようで、私を表していた。私は、真っ当に生きられるまで死ぬわけにはいかなかったから。
 彼を儀式に巻き込むのは気が引けるようで、でも……“大丈夫”だろうという確信があったから。


 ……辺りから聞こえる音は、大分静かになっていた。ライブが聴けたかどうかは解らないけれど、あの声はたしかに聞いた。

「そろそろ、帰りましょうか」

 頬に感じたものに、ほんの少しだけ未練を感じて。すぐに、体を離した。
 咳が出そうになるのを、堪える。今はまだ、頬に感じた熱を残しておきたかったから。

「ちゃんと一緒に、……ね?」

 一度離れた手を、もう一度伸ばした。
 なんでもない繋がり。当たり前の、日常の。
 それを手放さないように。

「……あ。補導されていることにしたほうがいいんでしたっけ。
 菖蒲さん、引っ張ってくれますか? 
 今日ばかりは、悪い私ですからね」

 悪戯めいて小さく笑う。拒まれないなら手を繋いだまま、彼に連れられるのをただ微笑んだまま待っているのだろう。
 

芥子風 菖蒲 >  
「んー」

何とも微妙な返事を返した。
彼女には口に出さなかったけど、この妙な感覚を反芻している。
特に体に異変はないが、変な感じだ。何かが馴染む感じ。
ただ、ある意味では彼女の一つになれたって事なんだろうか。

「そうだよ」

小さく頷いて肯定した。
今時、血を飲むのなんておかしなことじゃないし
彼女の言う生命を糧に、って意味なら、それは当の昔に生きる上で成り立っている。
それは、汚れなんかじゃない。"生きている証"なんだって。

「そう?……そうかな。じゃぁ、オレが先輩を捕まえたって事?」

そんなつもりとかはなかったけど、そういうものなんだろうか。
わからない。でも、なんかさっきよりはちゃんと笑っている気がするからいいか。

「ん、うん。一緒に帰ろう」

どうやっても怪我をしないなんて約束出来ない。
きっと、二人で進む先は険しいことになるのが予感がつく。
彼女は自分が傷つくのは嫌なんだろうか。
だったらきっと、嫌なことをしてしまうかもしれない。
けど、それを代えがたい痛みとして刻むのは、悪いことじゃないかもしれない。
頬を掻いて、何処となく言いづらそうにしたけれど
今日位は、そういうことにしておく。

彼女に伸ばされた手を繋ぎ、二人で一緒に歩いて行く。
何気ない日常だからこそ、手放してはいけないんだ。

「あー……まぁいいや。とりあえず、行ける所まで行こうか」

そういえばそんな事言ってたのを思い出した。
とりあえず、それっぽい感じで進んでいこう。
微笑む彼女を横目で見ると、つられて口元が緩んだ。
ライブは終わりだ。これからもまた、一緒にあるき出す日常が待っている。




……まぁ、通信機壊したことで怒られたけど、それはそれ。笑われたのなら、それはきっと日常の一幕なんだ。

ご案内:「『IVORY』ブラック・マーケットブース」から藤白 真夜さんが去りました。
ご案内:「『IVORY』ブラック・マーケットブース」から芥子風 菖蒲さんが去りました。