2019/04/30 のログ
アガサ > 「多分通じる……と思う。だって通じないなら、こうして取り上げる必要も無い……よね?」

どうみても知性が無いように見える怪物だったけれど、道具を武器だと知覚し、取り上げる事が出来るのならば
怪物にはそれらの道具が、己に通じるものである。と判断出来たと云う事に他ならない。
私は直接戦闘の機会なんか無いほうがいい。と思いながらもアリス君を応援するように言葉を重ね。
何処か思いつめたようにも視得る彼女の顔に、生者の色とも言うべき顔色を見て安心する。
勿論、狭くて暗い、クローゼットの中に二人でぎゅうぎゅうに入ったとしても。

「…………通り過ぎていった……かな。多分、さっきの美術室と台所が合わさったような部屋に行ったのかも」

音が通り過ぎてから私はクロゼットから出て、ドアに耳を付けて聞き耳を立てる。
廊下からは何も音はせず、私は鍵を開け、そっとドアを開けて廊下の様子を覗った。

「……うん、間違いない」

廊下には何者も居ない。
ただ、廊下に真っ赤な血の跡が出来ていて、先程まで私達が居た部屋へと続いている。
女生徒だったもの、の声はせず、不可思議にも思ったけれど、確かめようとは思わなかった。

「今のうちに先に行こう。大丈夫、3人寄れば文殊の知恵とか言うじゃないか。私が二人分頑張れば諺通りだよ」

荷物から大きなナイフ。多分コンバットナイフとか呼ばれる奴を取り上げて私は努めて笑顔を作る。
この館の造りは判らないけれど、今のうちに上に上がってしまうのが良さそうに思えた。

アリス >  
「一理あるわね……」

あの怪物も脅威ですらない玩具を取り上げたりはしない。
つまり、これらの武器はあの怪物に通じる。
そう信じないと、上へ上へと行く勇気は出そうになかった。

「……あの声、多分だけど同級生の金岡さんの声だった」

いつだってこのアリス・アンダーソンが遂行してきたことがある。
いじめっ子には、必ず報復をすることだ。
あいつは坂井先輩や金岡さんの命をいじめ殺したんだ。

廊下の血の流れを見て、悲しみと恐怖を勇気に変えるように。
アガサの手を握って走り出した。

上へと続く階段を登る。
まずコンソールのようなものが見える。
電力とか、科学力……とか、そういうのがあるのは間違いない。

アガサ > 「……気のせいだよ。金岡さん。もしかしたら先に脱出しているんじゃないかな」

声の出所を世間話でもするように逸らす。
意識してはいけない。少しハスキーな声の同級生は、あんな恐ろしい悲鳴を上げる筈が無い。
そう信じて、けれども血の跡の続く先を見ながら私は手を引かれて走り出す。
程無くして階段へと辿り着き、血で滑って転ばないように慎重に上がろう。

「館の外観から想像するしかないけど、エントランスホールには2階に上がる階段もあったから、
2階から行ける…と思う。他の扉が開けば其処から行けるかもしれないけど……あれ、そういえばその鍵は何処で?」

確か入口はそういう造りだった筈。と考え込んだ所で道具類が置き去りにされていた部屋のドアを思い出し、
壁に設置された科学的で機械的なコンソールを睨むアリス君に訊ねつつ私も並んで謎の機械を眺める。
コンソールは電卓のように0から9までの数字が並んでいて、特定の数字にだけ赤い血の跡が着いていた。

「2と3と4と9だけ血の跡があるね。……番号、4桁入力で扉が開くみたいだけど……」

階段を上がった先の扉。それを開ける為には正解を導かないといけない。
もし間違えてブザーでも鳴ったらと思うと背筋が冷たくもなるけれど、
幸いにしてそういった機器は無いように思えた。

アリス >  
「……そうだよね。そうだよ、きっと…………」

金岡さんは強かった。
異能が使えないなんてインチキをされなければ、あんな怪物に負けないくらいに。

コンソールを前に唸る。
適当に押しても開くとは思えない。

「あの鍵は……坂井先輩が事切れる寸前に吐き出したの」

そこまで言って、ガリガリと頭を掻いた。
何をアガサを怖がらせるようなことを!!
追い詰められてデリカシーが消失しているんだ、私は!!

とにかく、早く脱出してアガサだけでも助けないと……
神様。主と聖霊の御名において。
この子の命だけは祝福してあげて………!!

四桁入力。四桁……何も思い浮かばない。

アガサ > 「……ね、アリス君。御免ね、今回は私が誘ったからこんな事になっちゃって。
実はこないだも青垣山で怪異退治のアルバイトなんてのを受けてさ、危ない所を先生に助けて貰ったりもしたんだ。
……先生に言われるままに、お店の店員さんでもやっていればよかった」

第二陣として館に踏み込んだ人達の中で、誰が一番弱いかと言ったら先ず私だろうと自分でも判っているし、解っている。
実際踏み込むのに、友人を誘おうと思ったのだって、そういった事に不安があったからだ。

「……そっかあ。坂井先輩が……吐き出したってことは隠し持っていたって事だよね。
あの人、東洋魔術が得意だーって道中言ってたっけ。符とか一杯持ってて……あの部屋にも幾つかあったね」

馬鹿な事をしたな。と溜息を吐きながら、眼鏡の似合う朗らかな先輩の顔を思い出して、次には振り払うように頭を振って忘れよう。
今は目の前のコンソールだ。過去を振り返るのは、走る馬を夢見るようなもの。それは佳く無いと、私は知っている。

「この4つの数字だとして……んーと……血の付いている量が押している順番……かも」

コンソールをじいっと見て、血の付いている量がそのまま順番ではないか。
そう口にした途端、階下のどこかの扉が開く音がし、歪な足音が聞こえ始める。

「たぶん、きっと、そう!」

間違えていたら御免。
私はアリス君と返事を待たずに血の量だけでコンソールを2943と叩く。
すると極めて科学的な音を伴って木製の扉はスライドして開き
先程よりも広い部屋──大きなテーブルに幾つもの椅子が並んだ食堂のような部屋が目に映る。

「やった……ええと、テーブルの下、下にいこう!」

階下からの音が近い。
私はアリス君の手を掴んで飛び込むようにテーブルクロスの張られたテーブルへと滑り込む。

アリス >  
「謝らないで、アガサ。私だって新作ゲームが欲しいからすぐ頷いてさ…」
「私の異能があれば負けはしても死にはしないくらいに思ってた」
「だから、おあいこなのよ、きっとね」

責任の所在なんてここにいる二人で決められっこない。
むしろ、そういうのはあの気持ち悪い怪物に押し付けたい。

「生存者のために、必死に隠し持ってたのよ。多分ね」

そのおかげで武器や切り札を手に入れられたのだから、坂井さんには感謝してもし切れない。

「あ、そっか。アガサ頭いい」

血の着いてる量にしたがって押せば、即ち正解だ。
すると、アガサに手を引かれてテーブルクロスの下に逃げ込んだ。

息を殺して階下から来る何かを待つ。
ただ、隠れているだけでも精神の磨耗を自分で感じ取れるくらいに苦しい。

アガサ > 歪な足音の正体は直ぐに来た。歪なのも当然、"それ"には足が無く、腕しか無かったからだ。
"それ"は、キャンバスに描かれていたものの一つ。二人の人間の上半身同士を縫い付けたもの。
縫い付けられた二人──金岡さんと坂井先輩はまるで生きているかのように、4本の腕をばたつかせて食堂を歩き回り
人の声帯で犬のように鳴き喚く。後輩を想う優しい声も、良く通ったハスキーな声も、今は心を蝕むものでしかない。

「…………」

吐きそうだ。
隣にアリス君が居なければきっと、そうしていた。
でもそれは出来ない。
私はナイフの柄を強く握って、死者を冒涜するものを止めようとも思った。
でもそれも出来ない。
だって、階下からは最初に聞いた粘着質な足音がもう一つ、近づいてくるのだから。

「……どうする?」

小さな声でアリス君に問う。不意打ちをするべきか、するべからずか。

アリス >  
人間が。上半身同士を縫い付けられて。
食堂を歩き回っている。
心に湧いて出たのは、怒りに近い感情だった。

これを。
ただの愉悦か、何かの実験で行っているのなら。
死こそが相応しい。

その感情を冷静なものに変換するために、努めて小さな声音で語りかける。

「……あいつが単独犯なら、ここで仕留めるんだけど」

問題はあの怪物が複数いたら。
拳銃の音で間違いなくここに集ってきてしまう。
そうなればデッドエンドは間違いない。

最悪、自分たちもああなる。

「戦うのは、逃げられない時だけ……」

そう言い含めて、再び気配を小さくした。

アガサ > 言葉を潜めるアリス君に私は頷き、息を殺して足音を待つ。
やがて階下から現れた足音の主。それに飼い犬のようにじゃれつく"それ"
満足したのか、何処に口があったのか予想も出来ないけれど、私の耳では何を言っているか判然としない言葉を放つ怪物。
異世界の、別次元のペットと飼い主のような有様がテーブルクロスの向こうで繰り広げられている。
盗み視ずとも音だけで判ってしまう程の、嫌な気配。
でも、それもやがては通り過ぎて行く。ペットと飼主は何処かの扉を開け、食堂から出て行った。

「……単独であってほしいけど……此処があれの家なら、一人で住むには大きすぎるかな?」

もぞりとテーブルの下から這い出し、服についた埃を払う私の顔色は悪いと思う。
熱がさらりと引いていく時の感覚がへばりついて離れず、これまた幾つかある扉を見て悩んでいるようにも視得るかも。

「えっと……幾つか扉があるけど、どれが出口に近い……と思う?」

扉は3つ。
一つは床に血の跡が続いている扉。
一つは3つの中で一番大きな両開きの扉。
一つはとても小さく、白い怪物は通れないのではないかと思われる扉。
その全てに近寄って確かめてみると、全てに鍵はかかっておらず、また怪物達は大きな扉を通ったのだと判る。
何故かって?それはドアノブに得体のしれない粘液が付いているから。

アリス >  
怖気がする飼い主とペットとのコミュニケーション。
そもそもあれはペットではない。
尊厳を二人分持った、二人の命だったものだ。

恐怖と怒りが心を侵す。

去っていった後に、立ち上がって深呼吸をした。
こんな極限状況じゃ仕方ないけど。
こんな時だからこそ、心の制動をつけなければならない。

妥協と杜撰で死ぬのは私一人じゃない。
アガサを巻き添えには、できない。

「いくら出口に近くても、あの大きな扉は選びたくないわね」

あの先に怪物がまだいそうな気がする。
あくまで、妄想なのだけれど。

「血の跡があるものより、血痕がないほうが心情的に選びやすいわね……小さな扉を行ってみましょ」

扉を慎重に開いてみる。
こういう時、背が低いのに利点を感じてしまう。

アガサ > 呼吸を整えるようにしているアリス君を緩やかに抱擁し肩を叩く。
不安な時にはこうすると良いと、ずうっと昔にママが言っていた事。
昔を思い出すのは良くないけれど、これくらいはきっと、許される筈。
抱擁が済めばきっと私の顔色も少しは勝手に落ち着くのだから、自分の為にしたのも半分あるのだけれど、
それは閑話休題《それはさておき》と云うものさ。

「わざわざ後を追う必要も無いものだよね。……ようし、それじゃあ小さな扉に行ってみよう?」

扉の大きさ自体が私達の背より少し高いくらいしかない。横幅だって太った人じゃ通れないくらいには狭い。
一体何のためにある扉なんだろうと、気にもなりつつ、扉を開くアリス君を見守る。
開かれた扉の奥には名状しがたき化物が──なんてことも無く、豪奢な食堂とはうってかわった石造りの細い路が続いていた。

「……なんだろうね、この道……奥に明かりが見えるけれど」

長い路の先にまるで希望のように明りが視得る。
今直ぐに駆け出してしまいたい衝動にも駆られて、しかしてそれは良くないと心の何処かで警鐘が鳴った。……気がした。

「懐中電灯、持ってくれば良かったなあ。……えっと、なんとなーくだけど、ゆっくり行く方が良い……かも?」

周囲に何かあるかも。そうアリス君に告げて私は一歩、踏み出そうとする。

アリス >  
抱きしめられると、彼女に腕を回して。
薄く浮かぶ涙を、必死に堪えた。
泣いたまま歩くことはできない。

この後、PTSDになったらどうしよう。
眠れなくなったり、急に泣き出したりするようになるのかな。
でも、パパとママにいっぱい慰めてもらおう。
カウンセリングもそんなに悪くないかも知れない。

そのためにも、まずは生き残らなければ。

離れると、アガサにお礼を言って歩き出した。
彼女の言葉に従って薄暗い通路を慎重に歩く。

「……なんだろうね、この道。あの怪物が通れないくせに、やけに綺麗に片付いてる」

そもそも掃除なんて概念があるのだろうか、あの怪物に。
あるんだろうな。
きっと食事もするし、掃除もするに違いない。

それが異質で、余計に分かり合えないのだから。

アガサ > 「怪物が通れないけど片付いていて、いつ誰が通っても良いようになっている。
まるで追われて飛び込んで、遠くの明り目掛けて必死に走る……のを想定しているよう気がする。
多分……ううん、きっと、私も一人だったらそうしてた」

誰かと会話が出来ることがこんなにも有難い事だと、私は今まで思ったことが無い。
もし目を覚ました時にあの地下室に独りだけだったら。
もしあの美術室のような場所で遭遇したものが、アリス君だったら。
その場を仮に切り抜けられたとしても、私はあの明りに向かって駆け出していたに違いない。

「……待って。アリス君、何かある」

暗闇の中で目を慣らし、牛のように歩を進める私の動きがぴたりと止まる。
目の前の床。石で出来たと思しき道のその中央だけが不自然に切り分けられたかのような線が走っている。
試しに、と手で押すと床は容易く沈み込み、距離にして3m程先の壁の左右から、
怪物の頭部と同じような質感の肉紅色の触手が粘着質な音を伴って現れる。

「……ぅゎ」

触手群は移動こそ出来ないようだけれど、私達の気配を感じるのかその悉くを此方に向けている。
もし、まっすぐに駆けていたらこれらに捕まり、どうなるかは……あまり、考えたくはない。

アリス >  
「……この館の仕組みを考えた人は」

深く重い溜息を吐いて。
目の前で蠢く赤いクレヨンのような色をした触手を睨む。

「相当、頭が良くて性格が悪いわ………」

振り返る前に、足元に何かが当たってそれを摘みあげる。

「何かしら……鍵? 銀の鍵」

ここに落ちているということは。
誰かがここで犠牲になり、その犠牲者が落とした鍵…?

もう駄目だ。頭がおかしくなりそう。
この館は。
ここに転移してくる前から、ずっと、ずっと。

人の希望を粉砕し、生き血を啜り、心臓の肉を歯車に絡めて動いていたに違いない。
怖気がする。

「戻りましょう、アガサ。次はどちらの扉を行く?」

鍵を握りこんで、戻っていく。

アガサ > 静かで暗い路に肉の蠢く音だけがする。

「……頭、いいよね。あの白い化物がそうしたんだとしたら……多分、私達よりよっぽど頭が良いかもしれない。
それこそ意思疎通をしようと思えばきっと出来るくらいに。……試す気にはなれないけど」

異文化コミニュケーションは嫌いじゃない。異世界からの来訪者との積極的な交流は学園でも推奨されているし
そういったことを専門に扱う学科だってある。勿論私だって採っている。
授業の内容には、相手が敵対的だった場合の対処法だって勿論あるけれど、此処まで問答無用な類は想定していないように思えた。

「おや、また鍵?此処に落ちているってことは……多分、私達より前に此処を通った人が落としたものかな。
綺麗な銀色だなあ。まるでそれ自体が光っているかのようじゃないか」

トラップハウスとも云うべき館を以て来訪者を弄ぶ。そんな場所には似付かわしくない銀色の鍵。
確か銀色は高貴な色だとか聞いた覚えがあって、私の声は一時和やかなものになる。

「ようし次は……そろそろ大扉の方、向かっても平気じゃないかな?
ああいう大きな扉って何となく中央への導線というか、メインな通路って感じするもの」

鍵を握りしめ、意気軒昂とした足取りのアリス君の後に着いて食堂へと戻る。
眩いばかりの明りに目が眩みそうになるのを堪え、私は室内に誰も居ないのを確認してから大扉をゆっくりと開けた。
勿論、気持ち悪い粘液には触れないように。

「……ほら、ね?」

扉の先はエントランスホール。の、2階。
向かいにも大きな扉が見えてYの字型に途中で合流するタイプの階段だ。
真っ赤な絨毯も煌びやかな照明も、館内に踏み入った時に確かに憶えがある。
そして階段を下った先には私達の入ってきた扉と、それにかかる大きな大きな銀色の錠前が視て取れる。

アリス >  
「そう? 私は同じテーブルについてあげてもいいわ」
「それがあの怪物の裁判ならね」

ブリティッシュジョーク。
いや、どちらかというと戦場での恨み節を含んだブラックジョークに近かった。
私だって愛嬌で売っていきたい。けどこんな場所じゃ諧謔味だって混じる。

「銀色ね……こんなに暗いところで光るのが不自然なくらいに綺麗」

外に出て、大扉のほうに向かう。
精神が磨耗して、恐怖心が麻痺している。
それでも、それでも。

あの血の続く扉は本能が拒否していた。
あれを開いたら、きっと心が歪んでいた。
そんな気がする。

「ええ、今ならこの鍵もあるし、先が見たいわね」

そう言って周囲を警戒しながら鍵を開く。
カチリ、と音を立てて錠前が口を開けた。

アガサ > 「テーブルマナーもついでに判りそうだね」

冗談に冗談を交わしてお互いに笑う。精神が均衡を保とうと感情を動かし続ける。
血の跡が続く扉の先に何があったのか、それはもう考えない事にした。
勿論他の人の事が気掛かりで無いと言えば嘘になる。
でも、それ以上に私はこの傍らの友人を失う事を恐れた。
もしかしたらまだ生き残っている人がいるかもしれない。
何処かで館内を彷徨って、懸命に生き残っているかもしれない。
でも私は全てを掴む事は出来ない。私の小さな手は一人の手しか掴めない。
──親友の■■なんて、私は、視たく無い。

「この先はそりゃあ転移荒野だろうとも。だって私達が入ってきたところ──」

階段を下り、アリス君が恙無く錠を解除し扉に手をかける。
出口だ。この悪夢のような場所も終わり。そう思って私が相好を崩すと同時。
天井から如何な生物の声とも似ていない音を放ちながら飛来する何かが私を掴んだ。
それが、あの墓標の色と蛞蝓の質感、肉紅色の頭部を持つ怪物だと気付いたのは、
私が怪物の、歪で大きな手に完全に掴まれて、脚が宙に浮いてからのこと。

「ぐげっ……」

何かを言おうとして、肺から声が漏れるばかり。

アリス >  
「正しく異文化コミュニケーションだわ、でも絞首刑にするにも頚の場所がわからないか」

話を続けろ。
忘れろ。
あの扉の向こうに生き残っている人がいるかも知れないなんて。

考えるな、アリス・アンダーソン。

アガサは何だ。親友だろう。
だったら、彼女を助けることを最優先に考えろ。
二人で生き残らなければ、彼女とフタバコーヒーに行く約束は永遠に叶わないんだぞ。

異能を使えない分、心を鎧(よろ)う。
冷静に考えろ。彼女を助けるために、何をするべきかを。

くぐもった声が聞こえた。
あの怪物がアガサを掴んでいた。

それを見た時、私の足は硬直した。
拳銃を即座に抜いて、私は。

 

館の外に走った。

 

もちろん、アガサを置いて逃げ出すためではない。

「館から出ればッ!!」

力が戻っている。拾った拳銃に加えて左手にも拳銃を錬成する。

「遠慮なくあんたをぶっ飛ばせるってものだわ!!」

射線が通っている。
二挺拳銃で怪物を撃ち、そして。

「アガサー!!」

そのまま館の中に駆け込み、怪物の腕から落下する彼女を受け止めた。

「さ、帰りましょうお姫様?」

ポケットから起爆装置を左手に取り、右手に親友の手を掴んで。

私は、私たちは走り。起爆装置の透明なカバーを親指で外すと、スイッチを押した。

アガサ > 眼も鼻も口も無い怪物の顔を真近に視て、私は確かに目が遭ったと思った。
これは死ぬなと、悪夢のようで掛け値の無い現実を何処か他人事のようにも感じた。
でも一番に脳裏に居座る事は、下着が失禁で濡れる不快感と、その事をもしかしたらこの怪物は嗤うのだろうかと思った事。
人間、いざとなったら走馬燈なんて灯りはしないんだなとも思ったけれど、開いた扉から覗く外の明るさは綺麗だとも思った。
ああ、何だか思ってばかりだなと、口に出してぼやこうとしたけれど、息が詰まって叶わない。

「──うわった……君、本当に射撃上手いんだね……」

その代わり別の事は叶った。
外に駆け出した親友の正確な射撃は、怪物の頭部と胸を過たず貫き通し、
怪物は奇怪な呻き声を上げて私を放し、私はアリス君に抱き留められて、腕を引かれて走り出す。
扉を抜けて、少しばかり埃っぽいけれど、今は心地よい風を受けて、そして背後に映画でしか聞いた事の無いような爆音を受けて。
そういった様々なものを受けながら、咳き込む私は彼女の射撃の腕を褒めたたえて──

「……ところでさ、その……粗相をしたのは内緒にしてくれると、嬉しいんだけど……」

次には頬を含羞に染めて、粗相を隠すように座り込んでしまった。

アリス >  
「大丈夫、内緒にしておくわ」

火薬の量はやはり多かったようだ。
悪夢を粉砕し、爆炎を吹き上げている。
この騒ぎに気付けば、人も来るだろう。
というか、今すぐ連絡手段を錬成するし。

「こういうのは、追い詰められると上手くなるものなのよ」

座り込む彼女に手を伸ばした瞬間、私は腰が抜けた。
その場にへたり込み、笑いながら泣いた。

助かった。
たすかる?
あれだけの犠牲者を背にして。
私たちだけ。生き残る………?

場違いな笑い声が自分のものだと理解した時。
熱い涙を流しながら、私は壊れてしまったのだとどこか俯瞰して自分を見ていた。

私は確かに生き残った。
けど、このことを忘れる日はないのかも知れない。

ご案内:「奇妙な館」からアリスさんが去りました。
アガサ > この世界とは異なる世界では、きっと異能も魔術も存在しないのだろう。
あの洋館の中はきっとそういった、世界のルールが違う場所だったのだろう。
勿論全ては憶測でしかなく、判っているのは悪辣な異世界の生物による多大な人的被害があった。という事だけ。

「つまり今回の出来事で、また上手くなったって事かい?……やだぁ。私はもう懲り懲りだよぉ……」

釣られるように座り込むアリス君に、釣られるように私も泣いた。
涙は暖かくて、しょっぱくて、生きている者の味がした。
今はそれだけしか感じられなかった。

ご案内:「奇妙な館」からアガサさんが去りました。