2024/10/10 のログ
ご案内:「【常世島の現在】」に常世神社への「田道間守命」合祀についてさんが現れました。
常世神社への「田道間守命」合祀について >
常世神社合祀祭斎行 ――「田道間守命」合祀の事――
『鎮守』(《祭祀局》鎮守課広報雑誌)増刊号より
――去る十月九日深夜。
我が常世島に坐す常世神社に於いて、浄闇の中、《祭祀局》鎮守課により合祀祭が厳粛に斎行された。
式典委員会雅楽局「楽部」の伶人による奏楽と祭員の警蹕の中、兵庫県より常世島まで運ばれた御神体が、絹垣に覆われて本殿奥へと遷御・入御した。
祭典中、「楽部」による御神楽と「東遊」が奏されると共に、新作神楽「橘花の舞」(田道間守が持ち帰った非時香菓八竿・八縵に因み、橘の実・枝・葉を模した矛などを持って八名で舞う舞)が奉納された。
常世学園生徒会副会長並びに各委員会委員長、祭祀局局長が玉串を奉りて拝礼を行い、新たに加わった祭神である「田道間守命」に「常世」の名を冠する本学と本島の平安と発展が祈られた。
新たに常世神社の祭神として加わった田道間守は、本学とも関係浅からぬ人物である。何故なならば――既にご存知の読者諸氏も多いだろうが――田道間守は「常世国」へと渡ったことで知られる人物であるためだ。
垂仁天皇の御代、天皇の命により非時香菓(不老長生の実と目され、後世においては「不老不死の仙果」と解釈された)を求めて常世国へと渡った田道間守は、非時香菓(今で言う橘〈柑橘類の総称、あるいは蜜柑の古称とする説もあり〉)を手にして帰朝したものの、既に日本では十年の年月が流れて垂仁天皇は崩御しており、嘆きのために田道間守は後を追うように亡くなったことが『古事記』と『日本書紀』に伝えられている。
今回献られた神饌の中には「菓」として「橘」が加えられた。この「橘」こそは田道間守が常世国より持ち帰ったとされる「非時香菓」であり、新たなる祭神「田道間守命」の事績を偲んで「橘」の奉献が決定したのである。
本学の校章の「橘」は、この田道間守の持ち帰った非時香菓に因んでいるのである。
非時香「菓」を持ち帰ったことにより、菓祖(菓子の祖。菓子とは元は果物を指した)として菓子の神としても田道間守は信仰されている。これに因んでか、十月十日より常世神社には様々な学生教職員、部活から様々な「お菓子」が奉納されている。
常世神社からも、参拝者に向けて様々な「菓子」の提供が決定し、特に「蜜柑」を用いた菓子が境内にて配布されている。また、参拝者から奉納されたお菓子も神前に献った後、撤下品として境内で配られている。合祀祭を記念して一種の秋祭りの様相を呈しており、常世神社ではしばらくの間様々な部活による屋台が軒を連ねることとなるだろう。
学生街などでも「蜜柑」などの柑橘類を用いた菓子の類が店頭にて提供され始めている――……
「田道間守」および「非時香菓」に関する資料案内
・『古事記』垂仁天皇段
・『日本書紀』巻第六 垂仁天皇九十年春二月条・明年春三月条
・『万葉集』巻第十八 大伴家持「橘の歌」(四一一一番歌)
・文部省唱歌「田道間守」
・折口信夫「妣が国へ・常世へ 異郷意識の起伏」
・折口信夫「花の話」
「常世神社合祀祭祝詞(抜粋)」
掛けまくも畏き常世神社の大前に斎主祭祀局鎮守課長……恐み恐みも白さく。今度御氏子崇敬者学生教職員諸々、田道間守大神の高き尊き神威を仰ぎ奉り辱み奉りて、今日の生日の足日に此の大宮に合はせ鎮め坐せ奉りぬ。是を以ちて斎まはり清まはりて、大前に由貴の御食御酒を始めて海川山野の種々の味物を献奉りて拝み奉る状を、平らけく安らけく相嘗に聞こし食し、又奏で奉る歌舞の技をもめぐしうむがしとみそなはして、今より前途大神等相並び坐して……御氏子崇敬者学生教職員を始めて、天下四方の万民に至るまでに、大神の広き厚き恩頼を弥永に蒙らしめ給ひ、各も各も神道に違ふことなく負持つ職業に勤しみ励み互みに睦び和みつつ、弥益々に世の人の幸福を進めしめ給ひ、子孫の八十続五十橿八桑枝の如く立ち栄え仕奉らしめ給へと、恐み恐みも白す
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