2024/08/29 のログ
ご案内:「カフェテラス「橘」」にノーフェイスさんが現れました。
■ノーフェイス >
晩夏の昼下がり。
二階席の奥の窓際に華やぐ紅の頭髪は、
窓と季節がいくらか鋭さを緩めた日差しを受ける。
「ホイップとベリーのパンケーキ。
コーヒーは。そうだなあ……」
見目のよい店員の連絡先を聞くかは迷ったが、いまはやめておく。
渇きを訴える喉のための、メニューに居並ぶ豆の種類にゆっくりと指をすべらせた。
(そういえば、橘はひさびさ……)
七夕以来か。ずいぶんと長い夏だった気がする。
「ブレンドの、アイス……うん、Lで。すこし長居しても構わないかな?
――そう?ありがとう、じゃあお願い」
にこやかに店員を見送ってから、メニューを置いて、
買いたての新書を取り出した。有名書店のカバー奥の表紙を撫でてから、開く。
静かな時間だ。
ご案内:「カフェテラス「橘」」にポーラ・スーさんが現れました。
■ポーラ・スー >
「あら、夏休みも終盤なのに、意外と空いてるのねえ」
女は先日、自信の狂気に呑み込まれ、危うく自我崩壊しかけたところ。
それもあり、『上司』からしばしの強制休暇を言い渡されていた。
というのもあり、普段は訪れないカフェに立ち寄ってみたのだが、混雑していない事に少しばかり驚いたのだった。
「ん、ええ。
静かに出来るところならどこでもいいわ――?」
そう言って店員の案内に従って二階奥の席に向かっていくが。
紅い色が目に留まった――いや、『感覚』に触れた。
「――お月様の匂い」
隣まで来た時にぽつりとつぶやき、そのままその紅い色の向かいに堂々と座った。
「ええ、同席でいいの。
あ、このラテアートセットをお願い。
そうねえ、ラテアートの内容はお任せしちゃうわ」
そう言いながら、勝手に座って勝手に注文してしまうが。
店員はそのあまりに堂々とした様子に、友人同士とでも思ったのかすんなり注文を受けて下がってしまった。
そして、女は正面の少女へ、にこやかに手を振る。
「はぁい、綺麗な紅のお嬢さん♪
折角だから同席させてもらうわね」
そう、楽し気に自己承諾を無理やり得るのだった。
■ノーフェイス >
世界へのかかわりかた。
六境が満足であるうえで、この存在においては特定の感覚器が占める割合がかなり大きい。
聞きとがめた言葉に、丁寧な前説をたどっていた顔が上がった。
「…………」
そのあとにやってきた耳境に響く違和感。
僅かに目を細め、訪客の挙措をただ見届ける。
静かな表情が穏やかに緩んだのは、彼女が朗らかな声をかけてきてから、だろう。
「ええ。キミの……アナタのようなお嬢さんになら、いつでも席を空けますよ。
ああでも、なにせふたりきりなので、緊張からの粗相がないようにしないと」
少し気取った甘い声と戯けた仕草とともに、新書を閉じて隣席に置いた。
その手が出し抜けに、みずからのむき出しの白い首にふれてみせる。
「――失礼ですが。ご同輩とか、もしくは恋人?
コレはボクとしては先に訊いておかないといけないところで」
細くも引き締まり、流線を描く首筋から肩のあたり。
香水のあてられた場所を気にした。『Masquerade』は高級品だ。
常用する学生はあまりいない。比喩を交えて憶えるほどの香りなら、余程と考えるもの。
■ポーラ・スー >
「まあまあ!
ふふっ、お嬢さんだなんて素敵な事を言ってくれるのね!」
両手を合わせて、とても嬉しそうに花開くように笑う。
そこには裏も表もない、どこか子供じみた無邪気さがあった。
「うーんそうねえ、恋人、は、とぉっても素敵な響きだわ。
でも違うの、ごめんなさいね?」
そう微笑みながら、戯れるような口調で答える。
「わたしはぁ、そうねえ、なんだか肩書が色々増えちゃったけど。
初等教育の教員で、生活委員で、孤児院の院長で、教会の司祭で、ちょっとした実験動物、かしら」
そう自分から得た物、押し付けられたもの混合で肩書という記号を並べつつ。
ごく自然と自分が一番可愛らしく見えるような角度で頭を傾けながら、にっこりと笑う。
「そんな、何の変哲もない、ポーラ・スーよ。
とっても素敵な香りね?
それにわたしのお月様とも仲が良さそうだわ」
などと、傍から聞けば意味の分からないような事をのたまう。
その様子は相変わらず無邪気で子供っぽい。
■ノーフェイス >
「それではぜひ、その多くの肩書きのなかに……、
このボクと特別な関係にある、という甘やかな一頁を。
新たに添えていただけたら光栄の至り……」
いささか情報量が多すぎたが、それに面食らう様子もなく、
僅かに肘を前に乗り出してパーソナルスペースの侵蝕を試みる有り様。
美女と来たらこれだ。――まあ、落第街にいれば、生活委員会のポーラの名前は、情報つきで来るもの。
いくらか、知らないところはあったけれど。
「アルフライラ・アザトゥ・アルシュヤです。ポーラ先生。
……これからはアナタの特別な名前、といいたいところですが」
対してこちらは、顔立ちの幼さに対しては大人びた振る舞い。
対照的に年齢不詳な感が出ている取り合わせかもしれなかった。
「女司祭なんて珍しいですね。カトリックか、正教会……?
知らないうちに、制度も変わったのかな。歴史の悪習だとはしばしば言われてた気がしますが」
現在の常世島にいると、本場の教会圏の趨勢や状態を直接知ることはできないが。
表向きは妻帯などにも厳格な宗教形態だ。うっかり手を出してしまうと色々よくない。
バレないようにやるつもり。だが、
(まさかこいつ男……)
そんなまさか。――まさか。
「お聞きしたいことはいくつかありますケド。
……申し訳ない、さすがにアポロ11号に乗ってた経験はなくって。
これをつけてる奴にも、あまり心当たりがないのですが。
意地悪で焦らし始めるには、まだちょっと早い時間では……?」
頬杖をついて、燃える瞳がじっと見つめてみた。
■ポーラ・スー >
「まあ!
そんなに熱烈なアプローチをされちゃうと困っちゃうわ。
でも、あなたには特別なヒトが沢山いそうだから、ちょっと考えさせてね?」
くすくす、と口元を袖口で隠しながら微笑み。
少女――体格や仕草からすれば女の方が余程童女めいているのだが。
「まあ、とっても複雑な名前なのね?
うーん――それじゃあ、『あるちゃん』にしましょう!
よろしくね、あるちゃん」
距離感がおかしいのは女も同じ。
勝手に愛称を付けて呼び始める。
違いがあるとすれば、女のこれは100%近い天然ものだというところか。
「ふふっ、カトリックだけど、ちょっとズルしたのよ。
そのかわり、ちょっと意地悪もされちゃうけどね」
さらりとそんな事を言う女司祭は、見た目には十代そこいらにしか見えないだろう。
確かに真っ当な過程では司祭となるには不可能に近いと言っていいものだ。
「あら、そうね、ごめんなさい?
普段からお月様って呼んでるからうっかりしちゃったわ。
るなちゃん――緋月ちゃんとは、とても仲が良いのね?
それこそ、もしかして特別な関係なのかしら」
きゃあ、なんて少女が色恋に付いて話している時のような、桃色の声。
そして蒼く光も吸い込むような視線は、好奇心を隠そうともしていなかった。
■ノーフェイス >
「ええ、じっくり考えていただけると嬉しいです。
アナタの心の片隅にボクがいて、教師と生徒のあいだに花が咲くなら。
そのあいだは気長に水をやりましょう。こんど如雨露を買いにいきましょうか」
せっつくことはしない。場所が場所だし。
日本と北欧とインドのミックス、と雑なカバーストーリーで自己紹介を補足しておいた。当然全部嘘。
どうぞ、と『あるちゃん』という呼ばわり方を受け止めた微笑は本当であるらしい。
「結婚ができない――というのが、ボクからしたら少し残念ではありますケド」
教会権力を欲しがる理由は、正直あまり見当はつかない。
ぐいぐい胸襟を開かれると逆に面食らう。当然物理的に開いてくれたほうが嬉しい。
でも、教職位を明らかにしながら偽る理由もないだろう。
(孤児院の、院長……?)
反芻して、目を細めた。その情報は知るところではなかった。
――ポーラ・スー。落第街では時折聞く名前だ。
人売りの邪魔をしている生活委員がいるだなどと。なんとなく、輪郭にふれたような。
「……確たる目的意識のもと、慣習を踏み越えて証明を行ったのなら。
それはボクとしては敬意を払うほかはない。
なにかを得るために?それとも守るために」
あなたは何を守りたい。風紀や公安の面接で、時折聞かれるという噂があった。
――注文品が来た。パンケーキとトールグラスのコーヒー。ラテアート。
同席は、店員からしたらありがたい話だったようだ。
「ああ……先に嫉妬の花が咲きそう。
アナタの寵愛を受けている奴がほかにいるだなんて、ボクの――なに?」
付属のポットの蓋を開けてミルクとシロップの有り様を確認していたから、
蓋を取り落としかけて、思わず手首を返して掴んだ。
「緋月の? ……あいつ……彼女のお知り合いですか」
続いた疑問に応えることはなく、軽薄な色が瞳からなりを顰めた。
不覚だったか。出てきた名前が意外過ぎたから。
■ポーラ・スー >
「まあ、とっても教養深いのね。
幅広い知識を持っている事は、とってもいい事だわ」
そう手放しに褒める。
目の前の少女は、とても賢いのだろうと印象を得て。
「――わたしは、ただ子供が好きなだけよ。
ただ、そうねえ。
わたしの事を心から信じて心酔してくれるような子が増えたら、それはとっても嬉しいわ」
別に守ろうとしての行いではない。
ただ、趣味と実益、それが仕事の範疇で言い訳が利くのだからやっているに過ぎない。
特に女にとって、絶望を経験している幼子は、一度心を開きさえすれば、盲目に己を信じやすいというところが特別、都合がよかったのだ。
「ええ、るなちゃんとはとっても仲良くしてるの。
可愛くて一生懸命で、すごく応援したくなっちゃうわ」
そう言いながら目の前にラテアートで飾られたカップが置かれると、嬉しそうに目を輝かせる。
「わあ、ネコマニャンだなんて気が利いたチョイスだわ。
この気の抜けた顔、むにむにしたくなっちゃう!」
そう言いながら、スプーンでアートの頬を突いて遊んでいる。
そんな様子はますます童女のような、子供っぽい印象を強めてしまうかもしれない。
これが素なのだから、精神年齢が見た目以上に幼いとしても不思議ではないだろう。
■ノーフェイス >
「――――」
さらりと口にされた放言に、ひとまずはブラックで喉を潤す。
稀なる女司祭位。院長の座。実験材料――不利益を負ってでも欲しいもの。
なるほど堅実に、かつ大胆に積んだ上でやっている。
理解はできた。それがすべてではないだろうが、おおまかな点描は見えた気がする。
こいつは宗教家であって信徒じゃない。
「それが手段ではなく目的であるなら、アナタこそ才媛だ。
子供の面倒をみるなんて、ボクからしたら相当な重労働に思えますが。
労苦にもなりませんか?好きで、そして――信じてくれるなら。
アナタこそが唯一絶対だ、と?」
少しだけ、笑みが深くなる。演技過剰な裏側から甘い色が覗く。
糾弾などするわけがない。――だって、……。
「……まあ、ボクは彼女が、アナタのような美しいひとに、
自分を"お月さま"って呼ばせてることに動揺を禁じえませんケド……」
ものすごく羨ましい事態が起こっている気がして、悶々とした想像を打ち払う。
「贈り物の参考にしましょう。
……ボクと彼女の関係は、」
ポーラが緋月の世話をした委員なら、徒に立場を悪くするのは望まない。
まして自分は素行不良もいいとこではあるわけだし。
「なんというか、ボクもよくわかっていなんです。
出逢いはたまたまだし、劇的なできごとを共有したワケでもないし。
ただ、互いに理想を語り合った。コドモっぽく聴こえるかもしれないケド。
ともだち、とは違うし……ボクはあいつに……そうですね。
つよく共感を覚えていたかも。いまにして思えば――ですが」
視線を一瞬、横にすべらせた。首筋。香水を使わせたコトはない。
とすれば気取られたのは異能か、単なる目撃証言。
ミルクをたらし、乳白色に透明性を失したコーヒーを口にした。橘ブレンド、相変わらず良い味。
「あと、このまえ祭りに行きましたよ。それくらいかな」
■ポーラ・スー >
「まあまあ、褒めるのが上手ね?
でも本当に、苦労でも何でもないの。
だって、大変な所も含めて好きだからやってるんだもの」
そこまで答えてから、右手の人差し指をそっと立てて口元に当てた。
それは凡そ正解、という意味でもあり、ナイショという意味でもあった。
この世界にはカミサマが多すぎる――それは、存在しないと同じだ。
少なくとも、女にとっては。
「あら安心して?
わたしが勝手に呼んでいるだけだもの」
くだんの少女に関しては、女がやはり勝手に愛称として読んでいるだけである。
だからそこに、特別愛情が籠っている以上の意味はない、が。
「まあまあ、素敵だわ!
それってまさしく恋の始まりみたい!」
きゃいきゃい、とはしゃぐ様子に嫉妬や羨望は混ざっていない。
「それにお祭りなんて、可愛らしいデートまでしてるのね!
あらあら――ねえねえ、どこまで『仲良く』したの?」
なんて、急に声を潜めて、心底楽しそうに。
普通なら気を使うようなところにまで、無神経――無邪気な好奇心で踏み入っていく。
■ノーフェイス >
「俄然アナタが興味深くなってきましたケド。
――音楽家なので。他者の心に働きかけるというのかな……
活動方針や思考形態には、特に参考にできるところがありそうだし。
もっといえば学識方面にも手を伸ばしたい。学ぶにも本では限界がありますから」
視線を隣席に休められた新書へ。
ことの是非、正義は、問わなかった。善悪すらどうでもよかった。
目的のために積み上げて、積み上げていく様は、好感が持てる。
「……たとえ内心がどうあれ、そこに暖かな家庭があるなら、
子供からすれば、きっと幸福だ」
――グラスを置いた。
「……どうです先生。ボクを心酔させてみません?
手っ取り早い手段に心当たりがありますケド。なにせ所要時間はたった一晩」
にこ、と天使ようなの笑顔を見せた。対外的なものだ。
「ああ、そうですか……
……それはそれでなんだか腹立たしいところがありますケド」
どちらにせよ羨ましいぞ緋月。そこ代われよ。どんな徳を積めばそうなる。
「――――……」
闊達な有り様に、しかし。頬を赤らめて照れるような、子供らしい反応はなかった。
目を細めて、視線を落とす様は、――思推。哲学を詰めるように自己の内面に沈む様だ。
冷たく静かに、考えていた。――そうなのか?と。
こういう人間だった。常に、自分と他者の間に何があるのか、冷静に計るような。
「――どうなんでしょうね。
寂しさを埋めてくれる楽しい時間ではあったし。
いままで経験した恋と、重なるところもあるけれど。
そう名前をつけるにはちがうところも多い気がして……なにより、そうだ」
足を組み、パンケーキをひとくち、失礼、とことわってから口に含んだ。
咀嚼して、嚥下する。
「彼女が……緋月が、理想のまえに膝をついて、立ち上がれなくなることがあったら。
その人生に、ボクという実像は不要になるでしょう。
去りゆくさまと、音楽だけしか、残らないでしょう。
挫折の絶望に、ボクは寄り添えないだろうと思うから」
――アナタと違って。
相手に対して。自分が必要か、有益か。あるいは、その逆。
そう、どこか冷たく大人びた利害関係でしか、人間と、社会と繋がれない人間だった。
「――フフフ、どこまで、だと思います?
実際のとこ、彼女とアナタの関係がどこまで深いかはわかりませんからね。
それに……いい反応がもらえそうなのは、
彼女をつついた時のほうだとは思いませんか?」
今度はこちらが、唇のまえに指を立てる番。
■ポーラ・スー >
「シアワセになって欲しいって気持ちに嘘はないもの。
ふふ、興味を持ってもらえて光栄だわ、熱狂の音楽家さん」
女もまた、どこか満足げにスプーンを置いた。
両手を合わせて楽しそうにしているのは、本当にこの対面が面白いからだ。
「やぁよ、るなちゃんにヤキモチされちゃうわ。
もう、お月様ってば、色んな子に好かれちゃうんだから」
彼女としては半ば不本意なのかもしれないが、どうも彼女に好意を持つ人間は多い。
彼女のひたむきさがそうさせるのか、はたまた他の魅力か。
「――ああ。
そうね、それはとても、違うかもしれないわね。
わたしはきっと、そんなあの子も、愛らしくて愛おしくてたまらないと思うもの」
そう熱の籠った吐息を、ほぅと漏らし。
――あの少女が折れてしまった時を考えると、それもとても素敵なものに思えるのだから。
純粋であっても、やはり歪な愛情ではあった。
「あらあらあら。
そこは全くもって、同感だわ。
今度、あの子に聞いちゃおうかしら。
きっと隠し切れないし、誤魔化せないで、狼狽えちゃうんだわ」
そんな姿がありありと思い浮かぶ。
目の前の少女とは、どことなく気が合いそうだ、と。
「ふぅー――そ、れ、で?」
ラテアートをあえて、ぐちゃりと崩し。
一口、甘みと苦みを味わってから、目を細めた。
興味を持って――それだけで終わりじゃないでしょう、とでも言うかのように。
■ノーフェイス >
「幸福……」
自分で口にして、少しだけ。
口のなかの苦さを、パンケーキで飲み込むようにした。
「そのときが来れば、彼女をアナタの理想に取り込むといい。
NPOも宗教も、常世学園も――アナタも。
腹のなかじゃ何考えてたって、べつにイイんだ。
折れたもの、傷ついたものにセーフティネットは必要なハズだ」
考えるのは必要性――社会的な価値だ。
いまの時代、理想を追い求める道を、歩む必要はない。
そんなことをしなくたって、安らかに生きている時代だった。
優しい大人に。暖かな家に。眩い友に恵まれて。
もし自分で択んで道から降りたのなら――寿がれるべきだろう、社会的には。
でも――
「まざまざと間近で希望を見せつけ続けるのは、残酷じゃないか」
どこか少しだけ低くした言葉で、ポーラへの僅少な反駁が滲んだ。
近くにいるより、離れたほうがいいから――離れるだけだ。利害の問題だ。
愛せなくなるから離れるんじゃない。
ただひとつ、終わった希望の象徴として、その胸に刻むだけだ。
「ついでに、会いたくて寂しがってたと伝えてください。
あいつ一人部屋じゃないみたいだから、電話もうっかりかけられない。
とはいえ趣味が重なってるワケでもないんですケドね。ボクは剣術わかんないから。
人体力学のほうからそっちに入ったので……、」
ぐちゃぐちゃにされたネコマニャンに視線が向いた。
数秒の沈黙ののち、深く吸って、息を吐いた。
■ノーフェイス >
テーブルの下で脚を組み、だらしなく椅子に深く腰掛けた。
肩を竦めて、ノーフェイスが笑う。
「女目当てでも理路は通るだろ、先生。
……ま、どうだろ。話して、いますぐ潰したいって思った、ってんでもなきゃ」
ポケットを漁った。砂時計の硝子部分を細くしたような宝石を取り出す。
高価な魔術具ではある。効能は"収納"。とみに厳重に管理される魔術のひとつ。
その中心を指で折ると手品のように、その白く大きな手に現れる。
サイズは角形0号。常世学園へ書類を提出するための、正式の封筒だ。
書面だけでは説明がつかない、歪な凹凸の厚みを帯びている。
「仕事。休暇中に悪いですが、頼まれてくれませんか……生活委員さん?」
ひらひらと、それを振ってみた。
■ポーラ・スー >
「ああ、そうね。
それはきっと――どうしたって必要だわ。
だってヒトは――Ad oratio extergimus lacrimis.」
――救いは無くてはならない。
努力が報われない事もある――然り。
悲劇の多くはバッドエンドである――然り。
けれど、救われたいという神にささげた真摯な祈りは――救われるべきなのだ。
「そうよね、失った光が目の前で輝き続けているのは――身を焼くような想いよ」
一人の、今も女はずっと『親友』であると思い続けている保体教員は、女にとって眩しくて眩しくてたまらない。
あの燃え尽きてもなお、熱を失わない力強さだけは――誘蛾灯のように女を惹きつけてやまない。
たとえ、その燻ぶっている焔に身を焼かれるとしても――あの『親友』にならいいとさえ。
「――あら、それはかわいそう。
でもわたしも、今はあんまり会えないのよね。
ちょっとだけ、あの子にとって酷な事を言ってしまったから」
哀れなネコマニャンをまた一口味わって、困ったように首を傾げる。
目の前の少女が望むなら伝書鳩にだってなってもいいのだが。
少しばかりタイミングが悪かったかもしれない。
「――まあ、わたしってそんなに物騒に見えちゃうのかしら!
悲しいわあ、でも仕方ないわよね、美女にトゲは付きものだもの」
よよよ、と目元を抑えて泣き崩れるフリ。
まあ実際、この『紅い少女』が本当に危険であったなら、すでに女の『上司』が動いてるだろう。
女にはわからないが、点数稼ぎが好きな人間なのだから。
「ええ、それくらい全然かまわないわ。
流石に堂々と庁舎に来られても困っちゃうもの」
そういってくすくすと笑いつつ、その封筒に視線を向ける。
「それで、中身はなんなのかしら?
ああ、もしかして聞いたらいけないような物?
――あ、お嬢さん、お冷やを貰えるかしら」
そう通りがかった店員に言いながら、半ば冗談交じりに訊く。
そんな聞いてはいけないようなものをこんなところで渡してくるような、不用心な相手ではないだろう。
■ノーフェイス >
肩を竦めた。
これからいくらでも報われぬ祈りを量産する道を歩く者として。
彼女の言葉に、追従するわけにはいかなかったから。
「『重荷を負って歩くすべてのひとびとよ。
私のもとをたずねなさい。あなたがたを休ませよう』。
――ヨハネみたいな知り合いが身近にいるんだケド。
キミにマタイ役は、荷が勝ってるかな」
出来の悪い諧謔を差し伸べて、笑う。
……失われた光。それを問おうとして開いた唇は、しかし。
閉じた。今は――そう。いくらでも、人の耳のある場所。
まあ、今回きりの付き合いにはなるまい。
「あいつが何やら複雑な事件に関わってるのは知ってる。
せめてそこに、キミの悪意の介在がないと祈りたいケド」
あえて祈りという言葉を使ってやりながら、立ち上がった。
封筒を、彼女のほうに押しやると。
椅子が羽織っていたジャケットを肩にかけて、新書と、
――伝票も取り上げた。仕事を頼むのだから。
「……これは伝えなくていい。
キミにとって、眩いお月さまであるあいつは、
ボクにとって、ひとりのどこにでもいるような人間でしかなかったよ。
だから期待してる。苦難も試練も喰らい尽くして、糧として。
またまみえたとき、緋月がどれほど強く靭やかに磨かれているのか」
折れる未来は、ひとつの未来であるけれど。
……また逢う時、あの深い赤の瞳に、理想の月は燃え続けていると……信じたい。
強固にして清廉なる、人間への無慈悲な愛を双眸に燃やす、不信心者は。
「どうぞ。いくらでも確認して。
別に変な書類じゃないし、何度か確認したから不備もないハズ――
破り捨てたりされたら作り直しだからショックだけど。
そのあたりは、『先生』を信じますよ」
見下ろす形で微笑んだ。言葉に嘘はない。
教師であり委員である以上、その仕事は全うしてくれるのだろうと期待している。
子供が期待しているのだから。
「――あ。最後にひとつ、良いかな?」
去りがて、思い出したように。
■ポーラ・スー >
「すごいお友達がいるのね――ええ、わたしは殉教者にはなれないもの」
己が神のようになろうという不遜な人間が、聖人に、ましてや殉教など出来るはずもない。
少女が何かを言いかけたところには、それまでの笑みとは違う、疲れ切ったような微笑みが向けられた。
「あら、もしわたしに悪意があったら――今頃、あなたはあの子から離れているでしょぅね」
くすくす、と笑いながら、立ち上がる少女を見上げる。
押し出された封筒を受け取ると、そのタイミングでやってきてしまった店員が戸惑った顔をした。
「ああいいのよ、わたしはもう少しいるから」
そして、手元にお冷やと封筒、飲みかけのラテが残る。
「――わたしも、あの子がより美しく輝く事を願っているわ。
ふふっ、似た者同士、相容れないところはあっても――似たような期待はしちゃうみたいね」
そう言うと封筒を懐に差し、仕舞う。
信じてもらえる事は、リップサービスだとしても『心地いい』。
お冷やの水滴で指を濡らして、テーブルの上に文字を書く。
『第二方舟』――その意図は伝わらなくとも、知っている事が少女の役に立つ事もあるだろう。
「――ええ、なにかしら?」
そう言いながら、右の髪を掻き上げて、右耳を向けた。
そこには、黒い機器が埋まっている。
■ノーフェイス >
「引きこもってるようなヤツってことですよ」
肩を竦めた。黙示録が具現化されるわけでもない。
そう語る口は呆れたようでいて、すこしばかり、愉しそうに弾んでいた。
(……人を動かすのに嘘は要らない、とはいうけれど。
まったく――要らない共感ばっかり掻き立ててくる女だな)
演じるのに慣れ過ぎたような、混ざってしまったような。
パリでもないのに、仮面舞踏会を踊って生きてる奴が多すぎる。
バニラの香りが尾を引いて、ブーツの底がささやかに床を蹴った。
「――ああ、もちろん。ボクはいろいろ役に立つヤツなので。
夜のお伴にはいくらでもご用命を。顔だけでなく、体も良いつもりですよ、先生♥
聖餐会の手順はまだ覚えてるから、良いブドウ酒でも仕入れたらその時に」
にこやかに笑って、上品な顔立ちから品のない言葉が飛ぶ。当然ながら店員も聞いている。
そうして混ぜっ返された空気のなかで、ちらりと見咎めた文言。
(調べろってコトかな)
――と、帰結するは自然。そのまま、歩き出す。
訊かれて困るような問いでなし、返事は待たない。
「では、」
■ノーフェイス >
「幸福でなければ不幸でしょうか?」
ご案内:「カフェテラス「橘」」からノーフェイスさんが去りました。
■ポーラ・スー >
「あら、ひどぉい」
肩を竦められると、むくれて唇を尖らせた。
そんな声が楽しそうなのは――思っていた以上に少女と気が合ったからか。
「ふふふっ、ざぁんねん。
夜は子供たちの相手で手一杯なの。
でも、お食事もお酒も、お誘いは歓迎よ」
そう言ってからさっとお手拭きで机を拭いて。
――最後の問いに目を細めながら、少女を見送った。
■ポーラ・スー >
幸福でなければ、不幸なのか。
その問いに、そのまま答えればNOである。
幸せでない事と、不幸せである事はイコールではないのだから。
けれど。
「幸福の定義って難しいわよね。
なにがその人にとっての幸福なのか、その人以外には誰にも分らない。
そうでしょう?」
と、困惑する店員に笑いかけると、店員もわからないなりに愛想笑いを返した。
「だから、そうねえ」
両手でカップを支え、ゆっくりとラテを味わって――
「――自分が幸福だと理解できない事が、一番の不幸だと思うわ」
そしてしばらく、ゆっくりとカフェで過ごしてから。
子供たちの待つ家に帰り、夜中にひっそりと、受け取った書類に不備が無いか。
じっくりと確認して、夏の終わりの短い夜を過ごしたのだった。
ご案内:「カフェテラス「橘」」からポーラ・スーさんが去りました。