2024/09/05 のログ
女郎花 >  
「しかし、世が斯様に騒がしくとも、人は絶えぬノォ」

来訪する落第街の者達を眺めながら、女郎花は頬杖をつく。
此処には様々な境遇の者達が居る。

陽光に憧れる者。
陽光の下を歩かぬように決めた者。
様々な者が此処に集ってきては酒を飲み交わしている。

罪ある者もその中には大勢居るのであるが。

「それでも、愛おしいことじゃなァ」

誰にも聞かれぬ小さな声で、甘く囁くように。
女郎花はこのパブに集う日陰者達を見て口元を緩ませるのである。

女郎花 >  
パブのドアがギシリと音を立てて開いた。
紫煙で燻る店内に足を踏み入れてきたのは、痩せこけた青年だった。
骨ばった顔に無精ひげが薄く生えている。

「おお、島木か。
 近頃、調子はどうじゃ」

『ぼちぼちだよ、女郎花。今日も、いつもの酒で』

笑顔を見せているにも関わらず、常に眼光は鋭く、何処か冷酷さを感じさせるその男へ、
女郎花は首を傾げて見せた。

「あいわかった」

女郎花はビールタップに指を添えると、グラスに酒を注いでいく。
そうして酒を注ぎながらも、視線は眼前の男へ。

「……食事、きちんととっておらぬのではないか?
 財は十分にあろうに。
 君子は食飽かんことを求むる無し、とはよく言ったものじゃが。
 学問を修めようという心はなかろうに」 

からから、と笑いながら。
口元を袖で隠して、女郎花は笑う。

女郎花 >  
島木は語った。
弟が殺されたのだと。
近頃の落第街の騒動に巻き込まれてのことだ。

女郎花も先の表情をすっかり消せば、
美しい陰りを見せる睫毛をそっと伏せる。

そうして、男の話をただただ、その耳で聞き届ける。
落第街に生き、落第街に死んでいったその者の話を。

全ての話を聞き届けた後、そっと、その琥珀色の瞳、その片方を
彼へと向けた。

「御身の受けた痛み、しかと受け取った。
 して、如何にする? 慈愛の言を吾人の舌にて尽くし、
 御身の胸をせめて満たしてやろうか……」

島木に向けて、小首を傾げみせる女郎花。
妖艶な猫は、覗いても底の見えぬ琥珀色の宝石を、男に向けていた。

『……アンタは人の魂を、呼び戻すことができると聞いた。
 死した者を、現世に黄泉帰らせることができると』

島木は札束を一つ、カウンターの上に出した。

「猫が死体を踊らせるだの、猫は人に魔を入れるだの。
 色々言われておるからノォ。俗信じゃよ、俗信」

猫は酒の入ったグラスをカウンターへと置くと、
そのまましなやかにカウンターへ寄り掛かる。

女郎花 >  
「それにもし、吾人がそのような猫であったとて、じゃ。
 人を完全に蘇らせることなど不可能であろうナァ。
 せいぜい俗信通り、踊らせるのが関の山かもしれヌ」

くつくつ、と笑いながら。
女郎花はその札束を男の方へと返した。
男はと言えば、怪訝そうな表情を浮かべている。

「それでも構わぬというのなら……また、明日にでも訪れるが良い。
 そのような猫が御身の味方となり、改めて話くらいは聞くであろうよ。
 
 まずは……帰って顔を洗って、この金で上手い飯でも買って。
 寝床でゆっくり休んで、また来るが良い。
 今はこの金、受け取れヌ」

女郎花はそのように伝えて、口元を綻ばせる。
苦い顔をして、それでも頭を振って、頷く島木。

「無理をして来る必要などない。
 過ぎゆく時もまた、御身の味方なれば」

――世間は常かくのみとかつ知れど 痛き心は忍びかねつも

落第街に生きる以上、こうなるかもしれないことはきっと、多くの者達が覚悟していることであろう。
それでもその心の辛さは、耐え難いものであることだ。

札束を懐に入れて去っていく男を見ながら、その耐え難さをよく知っている女郎花は、笑って見送る。
しかし、その笑いに少しばかりの憐憫と、儚さがあったことを、誰が知ろうか――。

ご案内:「違法パブ「地獄の門」」から女郎花さんが去りました。