BACK
【公式】常世神
Last Update:2024/10/12(土) 09:49

[←Back]   [No.8]   [Next→]
分類怪異
所在常世島全域
概要富と力を与えるもの
利用について利用自由
設定共有歓迎
敵対・戦闘OK
その他特記事項サイト運営作成の公式設定です。
2024/06/19:内容更新(基本設定・PL向け情報)
  


 ▼Comment

——常世神とこよのかみ——

此は常世の神なり。此の神を祭る者は、富と寿とを致す。
——『日本書紀』巻第二十四 皇極天皇三年 秋七月条

基本設定(利用する場合は最低限この点を把握すれば問題ありません)


  • 《常世神》は数か月前から常世島に出現し始めた《怪異》である。
  • 《胡蝶の社》という異空間にて、《常世神》に《大切なもの》を捧げることによって《願い》が叶うという噂が流れ始めている。
  • 実際には、《願い》の継続には《供物》が必要であり、それを果たせない場合《常世神》の祟りと呪いが降りかかる。
  • 《大切なもの》/《供物》は個々人によって異なるものの、《願い》の代償故に決して軽いものではなく、個人で《願い》の成就を継続させようとし続ければ、自ら《願い》を捨てるということを選ばなければ、いずれ必ず破綻することとなる。
  • 呪いを受けた者は《常世神》の分霊が魂に取り憑き《異能》が暴走(あるいは暴走した《異能》が付与される)し、《常世神》の供物を集めるために、偽神域:《常世神》を現出させ、人を神に捧げるために取り込もうとする。
  • 偽神域:《常世神》では、神に取り憑かれた者の力が増大するものの、戦闘で抵抗力を奪い、《常世神》の分霊を祓う・打倒することで犠牲者の開放が可能。
  • 《常世神》の呪いを長時間受け続けた場合、犠牲者の魂は「蝶」となって《常世神》の下へ飛び立つか、あるいは心身ともに《常世神》の眷属となり、「怪異」と化す。
  • 《常世神》の信奉者で構成される《常世神の翅》という違反組織が存在し、《常世神》に捧げる供物を集めるために違反行為を行っている。
  • 犠牲者に取り憑く《常世神》は分霊のようなものであり、倒すことは可能だがそれによって本体を傷つけることは出来ない。
  • 現在、《祭祀局》が中心となり、《常世神》の分霊の祓を行っている。《常世神》の分霊を祓うことで、一時的に《常世神》の影響力を下げることが可能。
  • 《常世神》本体は裏常世渋谷にいると思われるものの、具体的な場所は判明していない。ただし、《常世神》の本体の場所にたどり受けないわけではない。

「神」の噂


 数ヶ月ほど前より、常世島の一部の学生の間で、ある噂が広がっている。
 口頭で/ネットワーク上で/どこの誰かとも知らぬ「友人の友人」から聞いたというような形で。
 人から人へ、まことしやかにそれは伝わっていく。
 噂/都市伝説/おとぎ話/現代の神話として。 

 ――とある神社にお参りすれば、《異能》を得ることが出来る。
 ――とある神社にお参りすれば、《大切な人の命》を救うことが出来る。
 ――とある神社にお参りすれば、《なりたい自分》に羽化出来る。
 ――とある神社にお参りすれば、《願い》を叶えてもらえる

 ある神社に参拝することで《異能》を持たない者に《異能》が発現する。
 蛹が蝶へと羽化するがごとく《なりたい自分》となることができる。
 自らの《願い》を叶えることが出来る。
 概ね、そのような内容の《噂》である。

 《大変容》が起きる以前は――こういった噂は娯楽に過ぎなかったかもしれない。
 歯牙にもかけない者が大変であっただろう。
 しかし、《大変容》により、旧世紀に「架空」とされてきたあらゆるものが現実と化した。
 今を生きる者たちにとって、こういった《噂》は必ずしも嘘とは限らない。
 こういった《噂》は真実であり得るのだ。

 「神」が現実に現れることとなった《大変容》以後、こういった噂の背後には《怪異》がいるということを多くの人々は知っている。
 あらゆる非現実が現実になった現代であったとしても、何もかもが都合よく可能になるわけではない。
 しかし、故にこそ、こういった《噂》に縋る者もいる。
 「神」の実在が謳われるのだから、自らの《願い》を叶えてくれる奇跡もまた存在するのだと。
 心の底からの《願い》を果たすために、「神」が頼られる。

 この《噂》は真実である。
 「とある神社」に祀られる「神」に供物を捧げ、祈った者は己が《願い》を果たすことができるのだ。
 その供物とは《自分の大切なもの》である。
 それを捧げると誓った者に、「神」は福を齎す。
 《異能》者ではなかった者に《異能》が発現し、《なりたい自分》の姿を得ることが出来、不治の病に侵されていた者の命が長らえるのだ。

 ――《噂》の中には一つだけ語られていないものがある。
 自らの《願い》を現実のものとし続けるには、供物を捧げ続けなければならない。
 《大切なもの》ものを捧げてもなお、奇跡の代償は重い。
 金銭、物品、愛情、夢、「神」の求めるものを捧げなければならない。
 「神」に供物を捧げることをやめた時、「神」の祝福は「呪い」へと変わる。

 無限に供物を捧げることなど、個人で出来るはずもない。
 供物を捧げることができなくなった者たちは、最後には「人」を「神」へと捧げようとすることになる。
 「神」が最も望むものは、自らを「神」足らしめるための信仰である。
 《願い》を持続させ続けるために、彼らは《噂》を広めていく。
 誰かを、「神」の新たな信徒として捧げるのだ。

 「神」より齎される福は、「新たなる冨」である。
 金銭などを捧げさせることにより、心身の充足が訪れる。
 「神」の齎す奇跡とはそういった類のもの。
 財貨の類ではない。即物的ではないものだ。
 自身ではどうにもならない/できないと思う故に渇望される《願い》こそを、「神」は叶える。

 《願い》の成就を求める者達の《願い》は多種多様である。
 しかし、特に多いものは《異能》を得たいというものであった。
 外の世界では《異能》は疎まれることもあるが、この常世島ではそうではない。
 多くの《異能》者や《魔術》を使う者たちがいる中で、それらを使うことの出来ない者の中には、疎外を感じる者もいる。
 そんな者に、「神」は《願う》ままの《異能》を与えるのだ。

 「とある神社」には名前がない。鳥居の神額には何も記載されていないという。
 しかし、いつしか便宜上の名前が噂の中で語られるようになった。
 現れた胡蝶を追うことで社への参道が開けることからその名はつけられた。
 曰く、《胡蝶の社》と――

 《噂》は今もなお常世島を巡り、《胡蝶の社》の参道を歩む者は現れ続けている。

胡蝶の社への道


 《胡蝶の社》の《噂》を聞いた者の中に、《願い》を叶えたいという強い想いが生じた時――
 不可思議な「蝶」が現れる。
 その「蝶」を追っていくと、何処ともなく参道が現れる。
 「蝶」に案内されるかのように夢の中のような参道を進んだ先に、その社は鎮座する。
 鳥居の神額には何も書かれていないため、正式な社の名称は誰にもわからない。

 社の周囲には何匹もの綺羅びやかな「蝶」が羽ばたいている。
 靄のようなものが周囲にかかっており、社の周囲の光景を正確に把握することはできない。
 社にはいくつもの供物が捧げられており、小さな社でありながら霊験の高さを感じさせる。
 社までたどり着いたものの前には一人の巫覡が現れ、《噂》通りのことを参拝者に説明する。
 参拝者が《願い》のために《大事なもの》を捧げる事に同意した時、「蝶」の姿をした神が現れ――

 《願い》を叶える。

 そして、これで終わりではない。
 《願い》の成就の後、再び「蝶」が姿を表し、《胡蝶の社》へと導く。
 参拝者は、巫覡により《願い》を持続させるためには「神」に供物を捧げ続けなければならないことを告げられる。
 供物を捧げなければ「祟り」が訪れるということも巫覡に説明されるだろう。
 巫覡は巫女姿の少女であることが多いようだが、参拝者が「信じやすい」姿に変容することが判明している。

 一度叶えてしまった《願い》を手放すことは容易ではない。
 それは心よりの《願い》であるが故に――
 多くの参拝者は、巫覡の言うままに神への供物を捧げ続けることになるのである。
 手放せない《願い》を持つ者の前にこそ。
 自らを「貧しき者」と認識する者の前にこそ、社への道は開かれるのだ。

 《胡蝶の社》は、「神」が自ら形成した神域であり、一種の異空間である。
 裏常世渋谷内と位相を同じくしており、現実空間に顕現した「蝶」を通じて参拝者は社へと導かれることとなる。
 やむにやまれぬ《願い》を持つ者の前に「蝶」が現れるのであり、そこに一般の学生も二級学生も違いはない。

常世神—「神」の正体—


 この「神」による被害が顕在化し始めた際に、《祭祀局》鎮守課は調査の結果、これまでに類を見ないほどの速さで、「神」を《怪異》と認定した。
 「神」の姿の特徴、《噂》の中に広がる「新しき冨」という言葉、審神者による「神」との交霊結果を総合的に判断した結果――
 その「神」は《常世神》に類する存在であると判断されたためである。
 常世島では信教の自由が強く保障されているが、本件は人的被害も発生しているため対象の怪異を祓うことが決定した。

 《常世神》とは、『日本書紀』皇極天皇三年秋七月条にて、「神の中の神」として語られる存在である。
 『日本書紀』にて言及される《常世神》は、蚕の幼虫の如き姿をしているとされる。
 巫覡たちは村々の人々に《常世神》を祭れば貧しいものは富み、老人は若返ると触れ込んだ。
 巫覡達は人々に財産の類を捨てさせ、様々な供物を捧げさせ、《常世神》を祭らさせた。
 この「神」の信仰は非常に広がり、ついに都までも巻き込む騒動となった。

 人々への損害や支出は莫大なものとなり、《常世神》信仰は国家を揺るがすような事態にまで発展した。
 この信仰の終焉は、人々が惑わされるのを憎んだ秦河勝によって、《常世神》信仰を人々に伝え続けていた巫覡である大生部多を彼が討つことによってなされた。
 当時の人々は「神の中の神」を打ち懲らしめたとして、秦河勝を「太秦は 神とも神と 聞え来る 常世の神を 打ち懲ますも」と歌って讃えたという。
 『日本書紀』に詳細は書かれていないものの、《大変容》以後の研究により、実際に秦河勝は《常世神》と戦い、滅ぼしたことが明らかにされている。

 これが古代の《常世神》事件のあらましであるが、《常世神》自体について判明していることはほとんどないと言って良い。
 だが、《常世神》によって齎される混乱は『日本書紀』を見てもかなりのものであることが予想された。
 少なくとも、現に《常世神》に相当する存在として成立していることは確実であった。
 故に、《祭祀局》は常世島に現れた「神」を《常世神》として、《怪異》として即座に認定したのである。
 史上に登場する「神」、あるいはそれの同種とあれば、想定される脅威度はかなり高いものであった。

 『日本書紀』の記述では《常世神》を祀っても益はなかったとされているが、常世島の《常世神》は実際に「新しき富」を与え、《願い》を叶えるという神徳を発揮している。
 更に、常世島に現れる《常世神》も初めこそは伝承通りの幼虫の姿であったが、今は既に「蝶」へと羽化してしまっている。
 これは「神」としての力が増幅され、より高位の存在となった証であると《祭祀局》は考えており、《常世神》討伐部隊が《祓使》を中心として結成された。
 常世島がまさに「常世」の名を冠していることも《常世神》に強い力を一因となっていると考えられた。
 常世島の常世神社には、もう一つの常世の神である少彦名神が祭られているのであり、常世島を「常世国」と解することさえ出来るだろう。

 こうして、胡蝶の社の「怪異」は祭祀局により《常世神》という《名》を与えられた。
 《名》を与えることはメリットとデメリットの双方が存在するが、今回の事例では既に《常世神》としての力を発揮している以上、明確の《名》を与えたほうが対処がし易いという判断がなされた。
 怪異:《常世神》は蝶の姿をしており、虹色の翅を広げた3~5mのほどの大きさと確認されている。
 自ら戦う際は鱗粉などを放つ他、《常世神》の伝説に登場する巫覡や信徒などを召喚して使役する。
 信徒たちに捨てさせた財貨の類を放つこともあることが確認されている。

 しかし、《常世神》そのものが戦う事例はそう多くない。
 後述するように《常世神》への供物を捧げられなくなり、《祟り》/《呪い》を受けた者を戦わせるケースが基本である。
 《呪い》を受けた者は《常世神》より既に付与された《異能》を暴走させ(《異能》が付与されていない場合は新たに付与される)、偽神域:《常世国》(後述)を展開し、《常世神》に捧げる供物を集めようとする。
 暴走する《異能》に特に決まった傾向があるわけではないが、《常世神》の支配が魂の深部にまで及んだ場合、被害者の背には蝶の翅のようなものが出現する例が確認されている。
 このままの状態が進行した場合、魂が《常世神》に掌握され、供物として捧げられ、被害者は「蝶」として《常世神》の眷属となり何処かへと消えてしまう。

 もとより完全な情報統制の実現は不可能に近いものの、《胡蝶の社》の噂や《異能》が付与されたなどという話が《噂》として広まらないように《祭祀局》・《風紀委員会》・《公安委員会》などが努力を続けている。
 古代の伝説に類する記述に端を発する存在であり、既に「神」としての力を発揮している以上、その話が真実と広まることは危険を伴う。
 神とは、『御成敗式目』にある通り――神は人の敬ひによつて威を増し、人は神の徳によつて運を添ふ――人から信仰を受けることでその力を増す。
 神への信仰や敬いが高まれば高まるほど、その神威は大きなものとなる。
 《常世神》への対策としては、この「神」への信仰が広まらないことがまず第一であった。

 《常世神》の霊験がまことのものであるという話が広まってしまえば、たとえ「呪い」のリスクがあるということが知られたとしても、手を出す者は必ず存在する。
 《噂》は伝説となり、あるいは神話にさえなってしまう。
 《大変容》以後の世界では、その現象はあまりに危険である。
 《祭祀局》はその可能性を特に危惧しているのである。
 そして、《常世神》の《噂》は既に拡大し始めている。

 常世島に現れた《常世神》が、歴史上の《常世神》そのものであるかはわからない。
 「神」の真贋を判断することは極めて難しく、それが謎の多い神であれば尚更である。
 本来「神」と《怪異》に明確な区別を行うことは難しい。
 たとえ《怪異》であろうとも、人からの信仰を受け続けるのであれば、まさしくそれは神へと成長する。
 かつて民俗学の中で語られた妖怪は神の零落したものとする説を反転させた現象が起こるのである。

 史上で特に有名な「邪神」とも呼べる《常世神》とほぼ同義の存在を「神」として祭ることは困難であり、《祭祀局》は《常世神》を祓うことを決定した。
 被害者に取り憑いた《常世神》はいわば分霊のような存在であり、通常の怪異と同様討伐し、祓うことが可能ということが確認されている。
 被害者を掌握している《常世神》を何かしらの手段で討伐し、祓うことができれば《常世神》の呪縛から被害者を解放することが可能である。
 あるいは、自身の精神力を以て克己することによって解放される例も確認されている。
 しかしどちらにせよ、《常世神》から解放された者たちの《願い》の成就の持続は叶わないものとなる。

 《常世神》の被害者への対策は日々進んでいるものの、《常世神》本体の討伐には至っていない。
 《胡蝶の社》に侵入することが出来、そこで《常世神》を倒したとしても、《常世神》そのものが祓われるわけではない。
 《常世神》の本体は裏常世渋谷に存在すると想定されているが、いまだ特定には至っていない。

《願い》の代償と呪い


 《常世神》に《大切なもの》を捧げた上で、何かしらの供物を捧げ続けることで《願い》は成就され続ける。
 逆に言えば、供物を捧げなければ《願い》の成就は続かず、《常世神》からの《祟り》が発生し、《呪い》を受けることとなる。
 《大切なもの》を捧げることについては事前に巫覡から説明があるものの、更に供物を捧げ続けなければ《願い》の成就は止まってしまう。
 この事実については《常世神》に《願い》を成就してもらうまで明らかにされない。
 一度《願い》を叶えた上でこの事実を明らかにされてしまえば、逃れられるものは多くない。

 捧げる供物について決まったものがあるわけではなく、日に日に要求される量や質が増えるため、いつか必ず破綻が訪れることとなる。
 《願い》を成就させ続けるためには新たな《常世神》の信徒を獲得することが最も良く、《常世神》の「呪い」を受けて暴走した者は偽神域:《常世神》に人を連れ去り、《常世神》へと捧げようとする。
 広がる《噂》の中ではこういった情報は巧妙に伏せられており、悪質であるといえる。
 《常世神》への供物の奉献が破綻すると、「祟り」が降りかかり、祝福は「呪い」へと反転する。
 魂が《常世神》に掌握され始め、《願い》とは真逆のことが起こる他、与えられた《異能》が暴走する(《願い》が《異能》の付与でない場合は、新たに《異能》が付与される)。

 《常世神》に取り憑かれた被害者は洗脳のような状態に陥り(正気を保つ場合もある)、《常世神》への供物を捧げること、新たな信徒を捧げることに駆り立てられていく。
 その手段として用いるのが、取り憑いた《常世神》の力を用いて発生させる偽神域:《常世国》である。
 これは一種の偽の神域であり、裏常世渋谷と近い性格を備えた小規模な異空間と言える。この状態にまで至ると、被害者の背には「蝶」のような翅が生える場合も確認されている。
 被害者はこの異空間を展開できるようになり、新たな《常世神》の信徒を得るために人をその中に取り込み、それを《常世神》に捧げようとする。
 この偽神域:《常世国》は、被害者に取り憑いた《常世神》の分霊を祓うことで破壊することが可能である。

 《常世神》の「呪い」を受け続けると魂が深部まで侵食されることになり、やがては魂が「蝶」となって肉体を抜け出し、《常世神》の眷属・供物として何処かへと消えてしまう。
 この状態にまで至ると治癒は非常に困難であり、魂を取り戻すことは困難を極める。
 常世島内の療養所や病院では意識が戻らないままの被害者が既に何名か収容されており、延命措置が施されている。
 魔術的・科学的な解決法はまだはっきりとは確立されていない。回復者もいないわけではないが、限定的な事例に留まる。
 《常世神》本体の元にたどり着くことができれば、奪われた魂も解放することが出来ると目され、僅かだがその事例も報告されている。

 《常世神》に願うことはこのようなリスクを伴うものである。
 多少のリスクがあるとしても、渇望する者にとっては《願い》が叶うという事実の前では度外視されてしまう。
 そして、一度《願い》を叶えた者がそれを手放すことは容易ではない。
 そのため、《常世神》の信奉者達は徒党を組むこととなった。
 《常世神》に供物を捧げ続け、《願い》の成就を持続させ続けるための互助組織。

 それが違反組織である《常世神の翅》である。

関連組織:《常世神の翅》


 《常世神》に《大切なもの》を捧げ、《願い》を成就させた者たちの集団。
 その名の通り、《常世神》の翅の如く《常世神》のために動く組織であり、違反組織。
 《常世神》の信奉者であり、自分たちの《願い》の成就を持続させつづけるために結成された互助組織である。
 個人では《常世神》に供物を捧げ続けることはまず不可能であり、《常世神の翅》は《常世神》の要求する供物を集団で集め、《噂》を広めて新たな信徒を《常世神》に捧げ、《願い》の成就を持続させ続けることを目的としている。
 常世島に《常世神》の《噂》が広まる要因の一つであると言える。

 彼ら自身が《常世神》に「願い」を叶えてもらったという事実がある以上、《願い》が叶うという勧誘文句は事実である。
 ただし、その後に来る供物については何も伝えないという悪辣さがある。
 《常世神》の要求物が金品であればそれを様々な形で集めようとし、《常世神》の要求物が「人」であればそれを攫うことも厭わない者たちである。
 《常世神》の「呪い」の果てに魂が奪われることも知っている組織でもあるため、「呪い」を回避するための互助活動と言える。
 《異能》を得たいという《願い》を叶えた者たちが多く所属しており、戦闘能力は低くない。

 互助組織であるという性格上、組織構造は緩く、強固な地位のリーダーが存在しているわけではない。
 ただし、実力行使を行う場合の中心となる人物は何名か存在する。
 《常世神》のために活動し続けるという誓いのため、通常では見えない体の一部に「蝶」の刻印を行っているものが多くいる。
 偽神域:《常世国》を出現させる段階に至っている構成員も多く、彼らと戦う場合は異空間での戦闘になることが少なくない。

 なお、《常世神》そのものは《常世神の翅》に特別な助力は行っていない。
 《常世神》にとっては、供物を捧げ続ける信徒以上の意味はない。

偽神域:《常世国》/《常夜国》


扨、その異人の住むとせられた彼岸の国は、我々の民族の古語では、すべてとこよ——常世または常夜——と称せられてゐた。その常世なる他界は、完全に此土の生活を了へた人々の魂が集中——所謂つまる――して生きてゐる、と信じられてゐた。
——折口信夫「日本文学の発生 その基礎論」

もう一代古い処では、とこよが常夜で、常夜経く国、闇かき昏す恐しい神の国と考えて居たらしい。
——折口信夫「妣が国へ・常世へ」

 《常世神》に魂を侵食され始めた者たちが展開する一種の異空間。
 この偽神域:《常世国》の中では、《常世神》より付与された《異能》の力が増し、様々な現象を引き起こすことが可能となる。
 《常世国》は言うまでもなく『古事記』や『日本書紀』に登場する「常世国」から取られており、《常世神》はその「常世国」の神であると伝えられる。
 《常世国》については様々な説があるものの、永遠・長寿・理想郷・仙郷として語られるものであり、偽神域:《常世国》は展開する者の理想の世界でもある。
 内部は現出させた者の心象風景が極めて戯画された形となっており、入る際に多くの「蝶」の姿を見ることとなる。

 『荘子』における「胡蝶之夢」の如く、偽神域:《常世国》において現出者は自由に羽ばたく「胡蝶」となる。
 この状態が更に続くことで、現出者は自らを「胡蝶」と認識するようになり、《常世神》の元へと去ってしまう。
 あるいは、その身も心も怪異へと変生してしまう。

 なお、内部の様子はあくまで一例であり、発生させる者により詳細は変化する。
 理想郷を生み出し、このような世界に到れることを説明して新たな「信徒」を獲得しようとする場合もあれば、怪異が跳梁跋扈する地獄のような世界を現出させて敵対者を襲う場合もある。
 この偽神域:《常世国》は《常世神》本体とも繋がっていると目されており、《常世神》へと至る手がかりになる可能性がある。
 《常世神》本体を完全に祓うことは現状では不可能だが、《常世神》と戦い奪われた魂を取り戻すことも可能であろう。

 『古事記』『日本書紀』『万葉集』などに登場する「常世国」は不老不死の果実が存在する俗人では至れない楽土である。
 しかし、この偽神域:《常世国》はそういった楽土とは必ずしも合致するわけではない。故にこそ、《祭祀局》より偽神域と称される。
 折口信夫が語る所の「常夜経く国、闇かき昏す恐しい神の国」である「常夜国」であるのかもしれない。
 後に上代特殊仮名遣の研究により「常世」と「常夜」は別語であると明らかにされて退けられた説ではあるが、魔術や呪術においては厳密な厳密の言葉の違いは度外視され、共通していると認識されればそれだけで意味がある。

 折口信夫の説は強い影響を持っていた。
 そう観想されたという歴史が存在するのであれば、「常夜国」もまた存在するのである。

 上述の理由より、楽土のような様相を呈すものを偽神域:《常世国》、闇に閉ざされた死の国の様相を呈するものを偽神域:《常夜国》として厳密に区別しようとする向きもあるが、これは学術的な問題に発展するため、対応する一般学生は偽神域:《常世国》と把握しておけば問題がない。

巫覡


「――ならば、あなたの世界を、常世国にするほかないでしょう」

 《胡蝶の社》にて参拝者を迎える存在。
 人間あるいは怪異と目されるが、詳細は不明である。
 『日本書紀』において《常世神》の信仰を持ち出した巫覡の末裔、あるいは亡霊の類であることが推測されている。
 基本的に丁寧なやり取りを行い、《願い》の成就を求める参拝者に同調し、《常世神》の霊験を説く。
 自らの世界を変える力が与えられる/大切な人を助けられる/夢が叶えられる/なりたい自分になれる——

 相手の《願い》や弱みを見透かすかのように、巫覡は囁く。
 苦しみから解放されるには、《願い》を叶えることで世界を「常世国」——自らの理想郷とするほかないのだと。

 巫女服のようなものを着用した少女の姿で現れることが多いが、姿は一定していない。
 《祭祀局》の調査によれば、参拝者の心を見透かすかのように、《願い》に合わせるかのように姿を変えるという。
 《常世神》を呼び出したのは一人の巫覡であることが調査の結果明らかになっているが、その巫覡は自らを《常世神》に捧げたと思しく、既にこの世の人ではない。

被害事例:「《蝶めづる姫君》事件」


 以下は《祭祀局》鎮守課による聴取結果を簡易に纏めた記述である。
 本事件をきっかけとし、《常世神》の存在が《祭祀局》ほか委員会に知られることとなった。

 各種委員会の一定の機密事項に携われる者、情報をどこからか得た者などはこの報告の内容を知ることができるだろう。

 ――按察使あぜちルーシー。
 15歳、女性。日系イギリス人の父とイギリス人の母のもとに生まれる。
 昨年、本学に入学した二年生である。
 按察使家は《大変容》をきっかけとして《異能》を発現し、故あって渡英し《大変容》以後の英国復興に貢献したことから、英国王室より能力貴族として叙位を受けた。
 按察使家に生まれたルーシーは、俗的な表現をすればいわゆる「深窓の令嬢」であった。
 名家となった按察使家の当代の当主である父から大事に育て上げられたものの、それは彼女に自由を与えないということであった。

 籠の鳥の如く扱われた彼女は、未来の全てが決められていた。
 交友関係、将来の結婚相手、それら全てが父の差配のもとで決定されてきた。
 父や兄たちと異なり、ルーシーには《異能》が発現することもなく、実家の事業に携わることもできなかった。
 それでもなお、ルーシーは家族たちから溺愛され続けていた。
 能力故に貴族位を得た家に生まれながら、その力を有していないルーシーにとっては、家族の溺愛もまた自らを苦しめるものとなった。

 しかし、父の命によって常世学園に入学することが決まったことで、ルーシーは新たな生活に希望を抱くようになった。
 それも、常世学園に入学するまでのことであった。

 自由な生活を夢見て常世学園に入学したルーシーだったが、それは叶わぬ幻想であった。
 ルーシーの世話係として何人もの従者が学生として常世学園に入学することとなり、彼女が期待していた学園生活を享受することはできなかったのである。
 それは、危険も存在する常世氏までの生活を父親が案じた故であったが、その心をルーシーが理解することはできなかった。
 常世島内では自由に活動する者たちがおり、ルーシーの持たぬ《異能》や、素養のなかった《魔術》で自己を表現する者たちがいた。
 親元を離れてさえ籠の鳥であり続けたルーシーの心は限界を迎えようとしていた。

 そのような折、彼女は教室にて《胡蝶の社》の噂を聞いたと証言している。
 ルーシーが《噂》を聞き、心に社への到達を望む気持ちが生まれた時、「蝶」が姿を現した。
 彼女は《胡蝶の社》へと至り、《大事なもの》を捧げ、《常世神》に縋る気持ちで祈った。
 自身を取り巻くしがらみからの「解放」を強く《常世神》に願った結果、ルーシーに《異能》が発現した。
 その力により、ルーシーは「なりたい自分」になれたのだと聴取において語った。

 彼女が捧げた《大事なもの》については、後述する通り本格的な聴取が始まる前に、ルーシーが昏睡状態に陥ったことにより現時点では不明である。
 活発な性格となったルーシーは、両親の反対を押し切り《風紀委員会》に所属し、《常世神》より与えられた《異能》を駆使し、風紀委員として様々な事件を解決した。
 ルーシーの《異能》は「蝶」に纏わるもので、その「蝶」を通じて彼女は様々な情報を得ることができていた。
 そのため、ルーシーには《蝶めづる姫君》あるいは《虫めづる姫君》という異名がいつしか与えられ、通称となった。
 『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」から名付けられたものと思われるが、作中では《蝶めづる姫君》と《虫めづる姫君》は別人であり、同作品の内容との関わりは薄い。

 ともあれ、ルーシーは親や使用人の庇護から放たれ、自在に宙を舞う胡蝶となったのだ。

 風紀委員として活躍を続けるルーシーであったが、同時に苦しんでいた。
 《常世神》に捧げなければならない供物が増えていた。
 既に、風紀委員として稼げる金銭では追いつかなくなっていた。
 自らの私欲とも言えるような《願い》が発端である故に、ルーシーはそれを誰かに相談することはできなかった。
 風紀委員としての良心も存在し、誰かの財貨を奪ってまで《常世神》に供物を捧げることもできなかった。

 故にルーシーの身に《常世神》からの「祟り」が降りかかり、「呪い」が訪れた。
 彼女は《常世神》に魂を侵食され、彼女の《異能》は暴走した。
 背には蝶の羽が出現し、後に偽神域:《常世国》と名付けられる異空間を出現させ、洗脳効果のある鱗粉を振りまき、異空間へと多数の学生を強引に引き込み始めた。
 もはや彼女の意識は《常世神》に乗っ取られ始めていたのだ。
 「なりたい自分」は崩壊し、《願い》は反転し、自らの意思に反してルーシーは怪異の眷属としての《蝶めづる姫君》となった。

 神的反応が強くルーシーの異空間から観測されたため、《風紀委員会》と《祭祀局》による共同作戦が行われた。
 異空間でのルーシーや「蝶」の怪異との戦いの中で、《祭祀局》はルーシーの背後にいる存在を《常世神》と解析した。
 《常世神》を倒した秦河勝の末裔である秦氏の局員により、ルーシーに取り憑いていた《常世神》の分霊は祓われ、ルーシーは捕縛された。
 その後、ルーシーに対する《祭祀局》の聴取が行われ、事件のあらましと《常世神》の関係が明らかになったのである。
 そして、《祭祀局》、《風紀委員会》、《公安委員会》の共同聴取が本格的に行われる事となった時、ルーシーは昏倒し、意識を喪失した。

 現在、ルーシーは昏睡状態であり、《風紀委員会》の病棟にて眠り続けている。
 《常世神》の呪いを受け、彼女の人格を司っていた《魂》の根幹が「蝶」となって体を抜け出た可能性が指摘されている。
 「蝶」となったルーシーは、《常世神》の眷属と化した可能性が高いことが調査により判明し、彼女自身が《常世神》の祝福の代償として召し上げられたということになるだろう。
 鎮守課による招魂儀礼も試されたが、「神」に供物として奪われたものを取り戻すことは容易ではなく、今なお成功に至っていない。
 彼女が引き起こした事件については、怪異:《常世神》の影響下にあったということもあり、慎重に取り扱われている。

 ルーシーの《常世神》との接触は《風紀委員会》所属前のことであり、自発的な違反行為を行っていたわけではない。
 性格の変化が《常世神》の影響によるものだとしても風紀委員として活躍したことは事実であり、得た《異能》も常世島の安寧のために用いていた。
 これらのことから、ルーシーへの厳罰は行われない見込みである。
 それも、彼女が目覚めたとしたらの話ではあるが。
 ルーシーの容態は《祭祀局》による見解であり、ルーシーの治療にあたっては霊的な面ではなく、科学的な側面からのアプローチも検討され……


太秦は 神とも神と 聞え来る 常世の神を 打ち懲ますも


 『日本書紀』において、秦河勝が《常世神》を奉ずる大生部多を誅した際に、人々が河勝を讃えて歌った歌。
 太秦とは秦河勝のことであり、彼が神の中の神である常世の神を打ち懲らしめたという内容である。
 常世島の《常世神》は史上の《常世神》と同種の存在であり、この伝説の影響を受けている。
 即ち、この歌を聞くことにより《常世神》は怒り、平静を失い、そして多少の弱体化に至る。
 《祭祀局》の祓使である秦氏の末裔の一人はこの歌を歌いつつ《常世神》の分霊を祓った。

 秦河勝は猿楽の祖という伝承が世阿弥『風姿花伝』や金春禅竹『明宿集』に見えており、《祭祀局》に属する秦氏の末裔は、まるで舞うように《常世神》の分霊を討った。
 伝承上の関係が生きている以上、秦氏の末裔が対応するのが一番良いものの、《常世神》の分霊は複数出現するのが常であり、秦氏の末裔以外の人間も対応せねばならない状態が続いている。

PL向け情報


 公式設定の《怪異》と《違反組織》の設定になります。
 かなり長く書いておりますが、基本的には楽しく遊ぶための材料としていただければ問題ありません(一応読んでいただけると運営としては嬉しいです)。
 設定を独自に解釈していただく形や簡略化する形でも、あるいは派生設定を増やすと行ったことも可能です。
 《噂》についても自由に知っていただいて問題ありません。
 《常世神》本体の討伐や、本設定に関連して《常世神》を超えるような存在を設定すること、《常世神の翅》のリーダーとしてのPC/NPCの登録などはご遠慮ください。

 《常世神》に捧げる《大切なもの》は個々人で異なり、自身の《願い》の代償に相応しいものということになります。
 また、《願い》の成就を持続させるための《供物》に関しても、基本的な設定はありますが《常世神》が求めるものはこれも個々人によって違います。
 「神」であるが故に、そして史上において「邪教」の神として打ち懲らされたために、信仰されることを最も望んでおり、信徒を集めることが一番の供物という基本設定は存在します。
 しかし、求められる供物は時として金品の場合もあれば、あるいは「人」そのものである場合もあります。
 《大切なもの》/《供物》含めてご自身の動かすPC/NPCなどに応じて決めていただいて構いません。

 様々な物語などのきっかけになれればと思い作成した設定となります。
 《願い》についても、自らのためのもの、他人のためのもの、様々にあり得ます。
 《常世神》の「呪い」を克服し、《願い》を捨てることによって、《常世神》から解放された跡も与えられた《異能》を保持するという場合もあり得ます。
 この公式の設定を墨守するということを求めているわけではないので、良きように設定を膨らませてください。もちろん、何かしら拾っていただければ運営としても嬉しいです。
 《常世神》を従えるような存在は困りますが、他の利用者と楽しく遊ぶために派生設定・組織・NPC・怪異などは増やしていただいて構いません。

 《願い》を持っていなくても神威の計測や迷い込んだ、巻き込まれた、などの形で《胡蝶の社》に入っていただくことも可能です。
 巫覡についても自由に喋らせていただいて構いません。相手によって姿を変えるような設定ですので、自由に描写していただいて結構です。
 《常世神》の信徒としての設定や、かつて支配下のあったような設定、《常世神》の呪縛を克服して新たな《異能》を得たなどの設定も問題ありません。
 按察使ルーシーと知り合いであったような設定もご自由にどうぞ。「巫覡」の描写もやりやすいようにしていただいて構いません。
 NPCとしての犠牲者や、暴走した犠牲者などの登場も好きにしていただいて構いません。PCとしての登録ももちろん可能です。

 また、《常世神》の設定にご興味がない場合は、事件について特に言及して頂く必要はありません。

参考文献(特に読む必要はありません)


 参考にした記述や説(現代の学説とは異なる部分もあります)などがありますので、以下に挙げさせていただきます。
 特にこれらの論考を読んで頂く必要はありません。

[←Back]   [No.8]   [Next→]
Pass:
Miniりすと v4.01