2015/10/11 のログ
■否支中 活路 > 「……な、ん!?」
突然のことに包帯の下の“黒い”眼が引きつった。
電子魔術師が、二年前ある種の協力者だった相手が、実際何をしていたかということは自分も知らない。
目の前の少年が言うことも大半はよくわからない。
ただ一つわかるのは。
「退け!」
責め立てるかのように寄った相手に右手を振った。
突き飛ばそうとする――
近づかせているのはまずい。
――前に相手が下がった。
口元を抑えたまま、相手を見る瞳にぼんやりと緑光が戻りつつある。
荒い息が、時計の音を塗りつぶす。
「≪電子魔術師≫が≪混沌≫……?
っぐ……話が多すぎて……ようわからんけどな……」
色彩がネジ曲がった視界の中で相手を捉えながら、
「逆やな。
俺がコイツの外にいるんや」
混沌という材料の外にへばりつき、人の形をさせているもの。
かつて否支中活路という名前の人間だったもの。
鳴鳴の残滓を吸収したことで安定したと油断していたのか。
まさか相手が近づいたことでそれに綻びが起きるとは思わなかった。
「……結局お前は、その電子の門とやらをなんとかしたい、んで師匠を探したいいうことか……?
そのために関係ありそうなロストサインの門がどうなったか知りたいて……?」
■橿原眞人 > 「……俺も、わけがわからん。
混沌ってのは……何だ?」
退け、という言葉と共にさらに後ろに下がる。
自分でも近づくのは不味いというのがわかった。
直観である。
何となくわかるのは、自らの“鍵”が影響を及ぼしたということだ。
混乱を落ち着かせるように一息つく。
眞人はニャルラトホテプの名前を語った。しかし、それは師匠の真の名前として、だ。
何故、男の中にいた何かを、そう呼んだのかは自分でもわからない。
「あんたが外にいる……? お、おい、大丈夫なのか……?
今は……あんた、でいいんだよな?」
怪訝な顔をする。とはいえ、下手に近づくのも危険であるように思われた。
何がどうなって、ああなったのか。
今はどちらもわからないのから。
しかし、鍵は今は落ち着いているようだった。
混沌と呼ばれたものが、彼によって外に出ることを抑えられたからだろうか。
「……そうだ。一つは合ってる。一つは、違う。
師匠は死んだ。少し前にな。……そして、俺がその名を継いだ。今は俺が、《電子魔術師》だ。
この島の電脳世界の深層に《ルルイエ領域》という場所があった。二年前に師匠がそこで消えたのは、ロストサインの門の事件と同じ時期。
ここからはよくわからないが……電脳世界にいる“神々”を師匠は封じた。自分の身そのものとな。
だけど、俺はそんなことは知らずに、来るなと言われていたこの常世島に来て……ルルイエ領域の封印を解いたというわけだ。
俺の異能は《銀の鍵》……“門”を開ける力だ。
俺のおかげで、封じたはずの電脳の神々が蘇りそうになった……気配としては、さっきの、変な声の奴ににていた。
それを封じるために、師匠は死んだ……だが、ルルイエ領域のさらに奥、電子の門は未だに存在している。
一時的に封印しているだけだ……だから、また奴らは現れる。その門を開くためには、俺が必要らしいからな。
俺のやったことだ……だから、あの電子の門を、電脳の神々を、どうにかしたい。
……師匠は、ロストサインやその門についても調べていた。
そして、最期の師匠の言葉や残してくれたデータからすれば……電子の門と、ロストサインの門は、同じ性質のものらしいというのが、なんとなくわかった、
だから、破門と呼ばれるあんたに聞きたいんだ……あの“門”がどうなったのかを」
後悔の念に時折顔をゆがませながら、淡々と語る。
「……そして、何であんな奴があんたの中にいるのか。
それも、知りたい」
■否支中 活路 > 横の本棚にいくらか体を預けたまま少年の話に何度も頷く。
「そのまま近づかんとってくれたら、まぁ大丈夫やろ今んとこは。
なるほど……なるほどな。
電脳世界……確かに電子魔術師と会ったんはネットやったな」
電脳関係に関して活路はそう詳しいわけではない。
ネットや端末は活用している方だろうが、デジタルマンサーといえるような類の力があるわけではないのだ。
門外の話ではあるが、大方言いたいことは掴める。
が、相手の異能を聞いて口をおさえていた手が額に行った。
理解する。
迫っていた縁を……折神やそれにまつわる縁を意識するあまり、失念していた。
そういうタイプの異能は真っ先に警戒し遠ざけなければいけなかったのに、
受け取った危険信号をちゃんと認識しなかったばかりに下手を打った。
自嘲的な嘆息が漏れる。
「そら、あかんな」
後ろにおいてあった低い脚立に腰掛けながら、懐から取り出した彫り物のある石を床に置く。
バシ、バシと乾いた音がした。
盗聴を防ぐためのポータブル簡易式要石だが面倒なのと疲労感から特に何も言わず、
「そうやな……
俺や……あー、前の、電子魔術師は、門を壊すことはでけへんかった。
だから封じ込めた。
ジブンの言っとる門と同じやな。あの女も結局それ以上の手は生み出されへんかったんやろう……」
顔を伏せ、背を折って、強く長く息を吐く。
「電子の門言うんがどういうもんか俺にはよーわからんけど、ロストサインの門は空間上にあった門やった。
むき出しのままやったら封じようがない。
せやけど空間上の門が故に、普通の物質では覆いようがあらへん。
やから、それの能うもんを使った……門の向こうから溢れたもんを。
アイテール、甘い水、乳海、ヌン……盤古を生んだ、あるいは天浮橋からかき混ぜられたもの。
混沌……つまり、ジブンが名前を呼んだもんや。
ただ、それだけやと覆い続けることはでけへん。勝手に開きたがる閂は、押さえとく奴が必要や。
――――門はジブンの目の前にある。やからそっから近づきなや。」
■橿原眞人 > 「……本来、この異能は俺が制御できるものなんだ。
なのに、さっきああなったのか、それはわからない。
そもそも電脳世界ですら使えてしまう異能なんだ。なんでもありと言えばありなのかもしれないが……」
言われた通り、包帯の男に近づくことはしない。
“鍵”は彼に反応を示すようだった。そして、無理矢理彼の中の何かを開けようとする。
理由はわからない。まるで異能に意志があるようにも思えた。唐突に制御が効かなくなるのだから。
そして、今度は男の話に耳を傾ける。
「そうか、電脳世界で会ったのか」
自分の知らない師匠の動きに静かに想いを馳せる。
師匠が何をしようとしていたのかはわからない。
ロストサインとの真の関係、何故“門”の事などを色々知っていたのか。
そして、目の前の男の中にいた何かと同じ気配を纏っていたのは何故か――
彼は脚立に腰かけて懐から石を取り出した。
何か乾いた音がしたが、それが何であるのか魔術の知識に乏しい眞人にはよくわからなかった。
ただ何となく、この空間に作用するようなものであろうということはわかった。
「……壊すことはできず、封じた。
ということは、あんたも破門したっていうわけじゃないってことか。
門は破壊されていない……」
本棚の一角に背を預けながら事態を整理する。
確かに、師匠は門を破壊することができなかったらしい。
故にこそ、自らの力を使ってそれを封じ込めていたというわけだ。
「……まさか」
男の言葉を聞いて、声が漏れた。
神話の用語にて説明されるそれ。原初の混沌。
世界の始まりにあった、まろかれ。
門の向こう側から溢れるそれを用いて、空間上に現れた門を覆ったというのか。
そして、その次の言葉はさらに眞人を驚かせるものだった、
「……門が、俺の前に? まさか……。
――あんたが、“門”なのか……!?」
眞人の力は、門を開く。
即ち、彼に近づけばその門を開いてしまうというわけだ。
「……とんでもない話だが、信じるしかないな。
多分、師匠も似たような感じだったんだろう……自分の身を以て封じていたわけだからな。
話を聞いていてわかった。師匠も同じような方法を取っていた。だから……電子の門は、ロストサインの門を電子的に再現したものだ。
再現という表現が正しいかどうかはわからない。
電脳世界にあるなら、現実世界に現れたものよりはどうにかしやすそうにも思えたが……それは多分甘い、だロウな。
くそ、でも壊すこともできないだと……そんなの、どうすりゃいいんだ……!」
ごん、と近くの壁を殴る。拳に痛みが走った。
「俺は、なんてことを……!!」
師匠の行為を無にし、さらには目の前の男が自らの体に封じたものさえ、解放しようとしていたのだ。
彼の話を聞いている限り、門を封じるには己が存在をかけなければならないらしい。
だが、それも完全ではないのだろう。
「……俺は、“鍵”だ」
静かに、そしてうわごとのように呟いたが、それは違った。
「……俺は門を開く。ならば、閉じることも可能じゃないのか?」
方法はわからない。果たして本当にそれを閉じることができるかどうか、なども。
何せ自分が行けば開いてしまう門だ。故にこそ、師匠は常世島に来るなといったのだ。
「……大体の話はわかった。ありがとう。あんたがその体の中に、門や混沌を抱えていることもな。
いや、正確には違うんだろうが……。
……あんたはその“門”を、どうにかするつもりは、あるのか?」
封じているその門を、どうするつもりなのかと。
そう尋ねた。
■否支中 活路 > 相手の反応をみながら、ぼんやりと考える。
そういえば自分から知らない相手に話すのは初めてだったはずだ、と。
もちろん光岡や、五代、朱堂などは知っているはずだから、その上の人間も知っているだろう。
かつてはクロノスという女もそれを知りはした。
だから自分だけが抱える秘密というような意識は最初からなかったのだが、口にする事ではなかったのも確かだ。
「同じような方法っちゅうか、そもそも最初からお前の師匠の方法や。
島に来て四年そこらベンキョしただけの俺が、んな高等なことできるかいな。
俺なんざ所詮多少喧嘩したりや玩具作れるだけやからな……。
まあ、そん時は俺っちゅう丁度いいもんがあっただけのことやろう。
俺も折神も死ぬとこやったしな……」
だから使わせた。
混沌を自分に詰め込んで。
というよりは混沌の塊に死にかけの自分をかぶせて。
それで器とした。
何かしら役に立つのなら、若い愚かさでひたすら余計をした、そのいくらかでも償えると思った。
そして、“収拾(ケリ)”が少しでもつけられる余地が生まれるならと願った。
目の前の少年が悔いる姿を見ていることができない。
だから顔を上げなかった。
結局自分は悔いた先で何も出来ていないとわかっていた。
「……言うたとおり、俺自身は別になんやそういう異能を持ってたわけやない。
色々調べてはおるけど、二年前の電子魔術師の知識にもまるで追いついてへんやろう。
ジブンの『鍵』がどう作用するんかなんぞわからん……」
ひとりごちて呻いたマヒトにそう答える。
「それがわかるちゅう可能性の心当たりは、俺には一つぐらいやな。
つまりこの門を開いたであろう…………グランドマスター。
もしかしたらジブンと同じ力を持っとる可能性だって、あるやろ。
少なくとも、門の向こう……ジブンも見たもんを、そいつは知ってて門を隠し続けとった」
どうするのか、考えられることを言葉にしてみる。
だが逆に自分がどうするつもりかを問われれば、いささかの沈黙がある。
「……そう、やな。正直、電子魔術師が死んだいうんはキツいな。期待してたわけやないけど……
ああ……どうにかさせへんことばっかり考えとった。
これをどうにかする、か」
落としている視線が、包帯で巻いた両の掌をじっと見つめる。
■橿原眞人 > 「……つまり、すると……師匠が、《電子魔術師》が、あんたに門を封じたのか?」
そうだとすれば、なんということか。
そのために彼はこのような運命を背負ったというわけだ。
当時の状況ははっきりとは分からないが……眞人は目を瞑る。
自分がどうこう言える問題ではないのかもしれない。
彼の言動などからすれば、師匠を恨んでいるという思いはなさそうであった。
さらに、自らの師匠が一体何者であったかという疑問が湧いた。
ニャルラトホテプは混沌の名前のようだ。
――最後まで、自分は師匠の事を何一つわかっていなかったということを知る。
「……グランドマスター?」
オウム返しのようにその名を呼ぶ。
初めて聞く名前だ。いや、称号のようなもので名前ではないのだろう。
いかにも魔術教団の首領といったような名前だ。
「そうか、そいつがロストサインの“門”を開いた……。
確かにそうだ。そいつは門を開いたわけだ。ならば閉じることも可能かもしれない。
“門”の向こう側の存在を知っていて……門を隠し続けていやがった。
……なら、一度そいつに会っておく必要があるな。
その口ぶりだ……多分生きてるんだろ、そいつ」
ロストサイン。二年前に壊滅した謎の組織。
その首領となれば、その力は絶大なはずだ。
何せ未だ人知至らぬ領域への“門”を開き続けていたというのだから。
どのロストサインの幹部よりもその力は強大に違いない。
眞人のような男で、勝てるかどうかなどわかりはしない。
「……ああ、どうにかするか、だ。
俺は師匠から学んだのはハッカーの術だ。師匠が行ったことについては俺もよくわからない。
師匠は死んだ。だが俺はその師匠から《電子魔術師》を継いでくれと言われたんだ。
師匠から貰った力も、データもある……まだよくわからないものばかりだけどな。
……多分、仕方なかったんだろう。あんたも、師匠も。そうしないと世界がどうにかなってたのかもしれない。
だけど、あんたも一生そんな体でいるつもりなのか? いつまでもあんたが奴を抑えられるかもわからない。
……なら、どうにかするしかない」
スッ、と男の方に視線を向ける。
「偉そうなこといっているが、俺だってまだ方法も何もわからない。
俺は門を開いてしまった。電脳の神々だなんて化物を、解放しちまった。
俺の異能は俺が望んだものじゃない。
俺の異能は俺の家族の死と共に始まったんだ。……強制的な“門”の顕現実験。
裏じゃ突発的な事故とされてるが、俺はあの事件が人為的なものだと睨んでる。
その真実は明らかにされなかった……だから俺は真実を明らかにするためにハッカーになった。
突然降ってくる理不尽を何とかしたい。そんなものをぶち壊したい。
……そのために俺は師匠について行った。今思えば、何か別の理由があったのかもしれない。
だけど、今はどうでもいい。今は今、だ。やってしまったことはどうにもできない。
だから、俺はどうにかするんだ。こんな神も仏も実在する世界だ。
創造神とか悪魔だってこの島にいたって聞くぜ。昔じゃ考えられねえ。
逆に考えれば、俺たちだってなんでもできるかもしれないってことだ。
原理はわからない。だがあんたはその混沌を、あんたという存在で覆ってる……普通じゃ、そんなことはできそうにない。
なら、それ以上のことだってやれるはずだ。最後まで、ケリをつけることだって。
少なくとも、俺はそうしようと思ってる――あんたも、本物の破門になってみてもいいんじゃないのか」
そして一息ついて、地面に腰を下ろす。
「……すまないな。俺も色々混乱していてね。あんたに関係ないことも色々話ちまった。
俺は鍵で、あんたは門だ。材料はそろってる。後はそれをどうにかするだけだぜ。
グランドマスターとかいうのも“鍵”なら、そいつに会いに行くしかない。
あんたの話に出てきた折神っていうのもそうなら、そいつもそうだ。
……なあ、やってみないか。
俺の師匠があんたにしてしまったことを、どうこういうつもりじゃないんだ。
ただ、俺たちは同じ縁で結ばれてる。
あがけるなら、あがきたいんだ。……どうだ?」
右手を軽く握りながら言った。
状況は絶望的だった。真相を知っていそうな者は既にこの世にない。
だがそれでも、全ての線が切れたわけでもない。
「……自分で引き起こしたなら、何としても自分で幕を引く。
俺はそうやって生きるつもりだ。それが、俺に出来る唯一のことだと思うから」
■否支中 活路 > 「多分や、多分。ハッキリしとることは何もあらへん。
まぁ、ハッキリしとることなんかどこにも無いのかもしれへんけどな。
ロストサインの門がどう開かれたのかも、ロストサインの元首領グランドマスターが生きとるのかも、
ジブンの師匠も、門の向こうのことも……
何もかも霧の中なんかもせぇへん」
言ってから、それでも、と顔を上げた。
いつまでも抑えておけるとは元より思っていない。
時間は少ない。
だが、相手が言うように縁がある。
かつての後継が来たのなら、手を貸すのが筋ではあろう。
ただ何のアテもなく名残を追うだけの、気休めのような二年間とは違う。
細い糸が、幕を引くための紐になるかはわからないが。
少なくとも眼前の相手はそうしようという意思があった。
自身の体を親指で叩く。
「俺がグランドマスターのことに近づいたりせぇへんかったんはこれのせいや。
当たり前やけど相手に探してるもん差し出すような真似やったらどうしょうもあらへんからな。
生死不明やったし……死んでてくれたらええと思ってたのは、まあ、正直な話。
せやから探して会うんはジブンしかできん。俺にはな。
それに俺には俺でケリつけなあかんもんもある……
さっき言うた折神…………ロストサインの元マスターの一人や。
俺がこうなったように、一緒に居たあいつもどうやら『向こう側』の余計なもんを呑んだらしい。
向こう側を見たジブンやったらわかるやろ?戻ってきた以上は、絶対にどうにかせなあかん」
言って背を立てる。腰を上げる。
立ち上がりながら、
「それ以外は、構わんで。
これから……いや、もう一度……手伝うわ、≪電子魔術師≫」
眼前の少年のように全てをどうにかするという強い意思があるかといえば微妙なところだった。
自分は向こう側を長く見過ぎたかもしれない。
ただ、少年と同じ思いは確かにあった。いやむしろそれだけしか無かった。
かつて蓋盛椎月に話した。
『終わっていない』と。
『まだ』という気持ちが。
消えた少女の選択を受け入れえなかった自己が。
■橿原眞人 > 「……多分、スゲエ偉そうなこと言ってるんだなって自覚はある。
俺はあんたみたいに混沌やなにやらを取り込んでるわけでもないからな。
大した解決策なんて俺も持ってないし、あんたのいうとおり霧の中かもしれない。
だけど、それを探ることは決して無駄じゃない。……俺もそして、あんたも。まだ諦めていないんだ」
破門と呼ばれた彼が見てきたものは、自分が見たものよりも、遥かに恐ろしいものだったのかもしれない。
人類の手の届かない世界。このような混沌たる世界においても、あまりある危険。
眞人も、門の彼方にいる者たち。電脳の神々を垣間見はしたが――
彼は、それを己が中に抱えている。その事実は想像しても想像しきれない。
それでも、敢えて眞人は言うのだった。
なんとかしてやろうぜ、と。当事者になった者にしかできないことがある。
《電子魔術師》という共通の縁もある。
《電子魔術師》がつなげた糸――きっと、いつかはこの彼にも出会っていたことだろう。
それが今であったのだ。
自分の異能の意味も、師匠の正体も、わからないことは多い。
だが、家族を失ったあの時から、理不尽を否定したいという思いは今もある。
自分の家族を滅ぼした真実――それも、この先にあるのだ。
「……ああ、ロストサインのグランドマスターは、まさにあんたの中の“門”を求めてるはずだからな。
だから……それは俺がやる。俺が会ってやるさ。何のためか知らないがこんなわけのわからないものを地球に持ってきたことを後悔させてやらないとな。
なるほどな……『向こう側』の何かを、取り込んだもう一人か。
……わかった。そいつについてはあんたがケリをつけることなんだろう。
だけど、協力できることがあったら言ってくれ。俺はあんたの秘密の一端を担ったんだからな」
軽く笑って見せる。少なくとも、今はそうしていないと重圧や恐怖で押しつぶされそうだった。
「俺は俺でケリをつけることがある。俺が蘇らせてしまった《グレート・サイバー・ワン》――
これは俺が何とかするべきことだ。電脳の神々……どういったものかはわからないが、必ず突きとめてやる。
俺が、引き起こしてしまったことだ。そして師匠に託されたことだ」
眞人もすくりと立ち上がる。
今は鍵は反応していないものの、彼に近づくのは危険だった。
あの混沌を――そして、“門”を開いてしまうかもしれない。
彼の門と、自分の鍵は、何か関係がある。そう思えど、今はまだその時ではないはずだった。
「……ああ、頼んだぜ。俺がもう一人の《電子魔術師》としてあんたと共にまた動く。
手伝ってくれ、《破門》」
敢えて彼の事を《破門》と呼ぶ。彼がそうでないことはわかっていても、だ。
全てをどうにかするなどおこがましいかもしれない。恐らくは一人ではできない。
彼と協力しても果たしてできるかどうか。それでも、眞人は何とかすると言い張る。
彼のような闇を抱えているわけでもない。だが、思いは同じはずだった。
『終わっていない』
『まだ』
『諦めては、いない』
神も仏も存在する世界。かつての世界の常識全てがひっくり返った世界。
そんな世界で、自分たちは生きている。
ならば、そうだ。
できないことなどない。それを証明することさえ、可能かもしれない。
眞人はそう自分に言い聞かせる。
師匠もきっと、それを願っているはずだ。
混沌と同じ名を持つ師匠。だが、それには理由があるはずだ。
今は師匠の紡いだ糸を全力で引っ掴むしかない。
「――今の今まで名乗ってなかったな。俺は橿原眞人、一年だ。
四年つってたからあんたのほうが先輩になるわけだろうけど、こういう性格でね。
我慢してほしい。
電子魔術師の弟子だからな、ネットワーク関係には当然自身がある。
そしてあんたは、魔術に強そうだ。頼りにしてるぜ。
……握手もできはしないが……よろしくな」
眼鏡をかけ直しながら、包帯の男に言う。
「もう雌伏の時は終わったってことだ。その名の通り、ぶち壊してやろうぜ――俺たちの背負った運命をな」
■否支中 活路 > 「別に年やー経験やー言うて偉ぶる気はあらへんよ。
ここやと特に意味もあらへんことやろ」
目を閉じて軽く口の端を歪める。
相手の挑戦的な物言いはむしろ心地よい。
「ヒシナカや。ヒシナカ カツロ。正確にはもうずっと留年しとる。
まぁこの通りやからな」
答えると、さて、と目を開き
「さっき買わされたウィルマースのデータ。俺にゃー手ぇ負えへんけど、ジブンやったらもしかしたら何か見つかるかもしれへんな。
二年前に死んだロストサインのマスターや。門についても何か遺しとるかもしれへん。
鉄道委員をしてて組織の行動を補助しとったとかなんとか……
えらい魔術師やったらしい」
話す内容はあくまで裏の世界で聞けるうわさ話程度のものだ。
活路はマスタークラスと殆ど会ったことはない。
「俺はそんな魔術師たぁいかんけど、まぁ知識としてはある程度齧っとる。
そっち関係で知りたいことがあったら聞いてくれて構わへん」
そう言って周りを顎で指し
「この辺にあるよーなもんとか、イチから手出すのはキツいしな」
■橿原眞人 > 「なるほど、あんたがそういう性格で助かったよ。
《破門》の活路。俺もしばらくずっとネットに没入しっぱなしだったからな、単位も危ないもんさ」
へへ、と軽口を叩く。
なるほど、活路という男は付き合いやすそうな男だ。
慣れない関西弁であったが、面倒見は良い奴なのだろうと眞人は思った。
「……なるほど、マスターの情報だったか。
オッケー、なら調べてみるぜ。ネット関係ならすぐにでも洗ってやるさ。
行動の補助か……そいつの後を追っていけば確かに何かにぶつかるかもしれないな。
そいつがどんな魔術師だったとしても、ネットワーク上なら俺も魔術師だ」
活路の語る情報を頭に記憶していく。
今回のことで、かなり情報は集まった。それが断片的なものであれ、だ。
「それでも俺よか詳しいだろ。俺は魔術の電子化には成功したが、大したものはまだ使えないんだ。
多分、ロストサイン関係だとそういったものもたくさん出てくるだろうからな……その時は頼むぜ。
名前さえわかりゃ、アドレスの交換なんかはいらないぜ。俺が後でそっちの端末にでも送信しておくからさ」
要するにハッキングであるが、これは冗談のようなものだ。
「ここら辺のものになると俺もよくわからないな。
一応師匠から《倭文祭文註抄集成》っていう魔導書のデータ――どうも本物らしい――は最後に託されてる。
これを元にして、今日買ったデータも含めて何とかやっていくつもりだ。
現実(リアル)での戦闘は中々難しいかもしれないが、電脳世界ならさっきも言った通り、魔術師になれる自信はある」
共闘である。
ようやく、真実に、そして全ての根幹に至る糸口を見つけたのであった。
《電子魔術師》という起点から、様々なものが繋がって行ったのだ。
「俺はとりあえず、ロストサインの事も含めて電脳世界で追ってみる。
あんたと頻繁に会うわけにもいかないだろうから、何かしら連絡手段は考えないといけないがな。
ロストサインや、電脳世界のこと。わかればすぐに伝えるぜ、先輩」
ひょいと何かを活路に投げる。カード状になったデータの集積だ。
眞人の連絡先などが入っている。通信すればよかったのだが、傍受などを避けるためにこのような真似をすることが多い。
■否支中 活路 > 「あぁ、頼むわ。実際そっち方面は信頼できる相手っつーのなかなかおらんかったからな」
初対面ではある。だが信頼する、と。間接的にそう告げて。
軽口に鼻で笑うような返事をする。
「はっ……
倭文祭文註抄集成……?シトリ……確か書紀に出てくる神の名前やな。
内容が見れたら何かわかるかもしれへん……まぁまた送ってくれや」
言いながら飛んできたメモリカードを受け取った。
この店でも、店頭販売している通り重要なデータはネットワークには上げない。
流出を防ぐためでもあるし、あるいは何が起きるかわからない危険性もあるからだ。
今ではクローズドなスーパーコンピューターを持つ魔術結社も数多いと聞く。
だから慣れた様子で懐にしまい込む。
ぐい、と足元に転がしたままだった石を踏むと、ビスケットか何かのようにあっさりと砕けた。
「もうええで、ヒュパティア」
呼べば、すぐに巨躯のスフィンクスが女の顔を出す。
『そうかね? ではそちらの彼の精算をさせてもらうよ』
獅子の手にはマヒトが投げたものと似たようなメモリカードが数枚。
容量的には問題ないが、用途上全て別々に保存してある。
■橿原眞人 > 間接的に信頼できる、というようなことを言われたため、こちらも微笑してそれに応える。
「ああ、そこらへんはわかったんだがな。
いまいち魔術的な記述やら暗号やらで隠されてる見たいでな。
また送っておくぜ。よく知らないがどうにも貴重なデータらしい」
『倭文祭文註抄集成』なる書物について、眞人もよくは知らない。
一応読んではみたものの、よくわからない個所が多いのだ。
いわゆる記紀神話とは異なった記述もかなり存在していた。
日本書紀に僅かに記された星の神との戦いや、神道的な秘術の事――
とりあえず、魔術的な面は活路に任せることとした。
「ああ、ちょっと迷惑かけてすまなかったな、ヒュパティアさん」
活路が出した石はばきりと砕け去り、スフィンクスが現れた。
ヌッと現れるスフィンクスを見ながら眞人は言う。首が痛い。
「……なるほど。これなら手間が無くて済むな。
……結構な額だけど、まあ……貯めといてよかったな」
そう言いながら、清算を行い、メモリーカードを受け取っていく。
魔術的なデータの記録されたものだ。危険も伴う。
電脳世界ではローカルでテストをした方がよさそうだろう。
「……まあ、というわけだ。今後ともよろしくな、活路。
ここも中々いい店だ、気に入ったよ」
スフィンクスの店主にそう告げた。
■否支中 活路 > 魔術関係の資料の精査は門外漢には不可能に近い作業だ。
マヒトが一通りの調査以上進められないのも致し方無いことだろう。
確かそんな名前を聞いたことがあるような……と記憶を探りながら頷き
「えらいもっとるみたいやな、さすがハッカーっちゅうことか」
『取引成立だ。
ほう、嬉しいことを言ってくれるね』
カウンターから乗り出し、裸の上半身が覆いかぶさるような形でマヒトに顔を近づける。
『表の方でも裏の方でも、入用であればまたきてくれたまえ。
私はギリシャ出身ではないので遠慮することはない』
獣の歯が並ぶ口をニイーと釣り上げる。
旅人を捕らえて喰ったりはしないのだと。
『さて、活路。次は君だな』
「おう。よろしくな。
俺は今から買い物させてもらうわ。じゃあな≪電子魔術師≫」
■橿原眞人 > 「まあな。つっても、単に使ってなかっただけなんだが……。
あ、ああ……その、服は着ないのか……?」
裸の上半身が覆いかぶさるように近づくので異様であった。
「へえ……そうすると問題を色々出されることはなさそうだ。
ちょっと安心したぜ。ハッカーにも優しい店らしい」
獣の口が吊り上げられるのを見て苦笑いする。
まさに神話上の存在が現実に現れたのだと実感する。
「……ああ、またな、《破門》」
メモリーカードを受けとり、懐に入れる。
そして踵を返し、活路とヒュパティアに手を振って、店の中から去っていく。
「……師匠。
何とかやっていけそうだぜ。もう止まってはいられねえな。
師匠から託されたことは――俺が。俺たちが。何とかして見せる。
だから……どこかにいるんなら、見守っていてくれ」
店を出て、空を見上げる。きっと、師匠はその向こうにはいないであろうが。
いつの時代も、この世から消えたものがどこかから見ているという思いは消えないものだ。
「……行くか。一気にやることが増えたぜ」
静かに落第街の雑踏の中に眞人は溶けて行った。
ご案内:「違反部活コードレッド」から橿原眞人さんが去りました。
■否支中 活路 > 『それで、君の方は何を探してるんだい?』
「AHレヤードの手記データ、あったよな」
『あぁ、あるね。これだ』
「それと………………」
ご案内:「違反部活コードレッド」から否支中 活路さんが去りました。