ようこそ、常世学園へ
異能学園都市“常世”

「異世界」と「異邦人」

人類はもはや孤独ではないのだ。
  ——アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』

門と異世界

 21世紀初頭の世界の《大変容》が齎した「地球」の変容は、「異能」や「魔術」の顕在化に留まらなかった。
 《大変容》の始まりは、南極に出現した《第一の門》(または《始原の門》とも呼称される)である。世界の変容は、異世界の「門」が開くことによって始まったと言える。《第一の門》の出現により南極大陸は「消滅」し、それと呼応するかのように様々な異世界へとつながる「門」が現れ、次々と異世界の存在が「地球」へと現れたのである。かつてこの地球に存在した神話・伝説上の存在が「地球」に《復活》を遂げ、さらに「地球」の存在する宇宙とは異なる宇宙・世界の「人」が現れるようになった。
 異世界とはまさに「異なる世界」であり、「地球」の存在する時空連続体の外側の世界である。いわゆる「剣と魔法の世界」もあれば、高度に科学が発達した世界、人間とは異なる種族が繁栄した世界など様々である。いわゆる並行世界といったものから転移してくる人間も存在する(なお、便宜上常世学園が存在する地球、つまり当サイトの舞台となる地球は「地球」とかぎかっこをつけて表記し、他と区別する)。
 並行世界を異世界に含めるかどうかは議論のあるところであるが、現時点ではたとえ「地球」とほぼ同じ歴史を辿っていたとしても、異世界と扱われるのが通例である。

異邦人:異なる「邦」の“人”

 異世界からこの「地球」にやってきた存在を《異邦人》と呼ぶ。異界の「門」が開いた理由は諸説紛々としており、現代においても定説が存在しない状況が続いている。異邦人たちの故郷である異世界についても、「地球」側から自由な通行は不可能あるいは極めて困難であるため、今なお不明な点が多い。
 様々な世界から異邦人たちが訪れるが、「門」は非常に不安定であり、異邦人たちを送り出した後はすぐに消えてしまうことが多い。また、異邦人たちも突如「門」の出現に巻き込まれ、この世界に転移してくる者が殆んどであり、その多くは元の世界に帰る手段を持たなかった(例外もある。自由に異世界感を移動できる異邦人も存在するが、多くの異邦人はそういった手段を持たない)。そのため、地球の人間や異邦人双方に混乱が起きた。21世紀初頭の戦乱、いわゆる《第三次世界大戦》は、混乱した「地球」人と異邦人の争いの側面も持っていた。
 異世界からの転移は《大変容》直後などの一部例外を除き、転移一度につき「一つの世界から一人ないし数十人という規模」であり、都市、世界まるごと地球に転移するということはなかった。しかし、頻繁に「門」が開き異邦人が訪れるため、常に混乱が巻き起こった。「門」の開門は今なお続いており、「門」の開門による破壊的な災害も発生している。「門」が齎すのは異邦人だけではないのだ。
 常世学園の創立後、学園はこの事態を収拾するための拠点とされた。転移した異邦人の集まる都市とされたのである。言ってしまえば体の良い厄介払いでもあり、同時に異邦人たちにこの世界について学ばせ、世界との融和を計ることが目的であった。帰る手段を失った異邦人が、元の世界へと帰る方法を見つけるための研究も異邦人主導で行われている。また、常世学園発の、常世島の外の異邦人の常世学園入学を支援する団体も存在する。

異邦人街:学外異邦人街と「異邦人スラム」/「異邦人スクワット」

 異邦人もこの世界に残ることを決意する者、故郷への帰還を望む者などさまざまである。しかし、どの道その心理的な不安は多い。そのため、常世学園には「異邦人街」という、異邦人たちのそれぞれの世界の文化を再現した街が作られている。
 この「異邦人街」に類する街は「地球」の国家の大都市には何かしらの形で存在しており、「地球」とは異なる世界から来たという点を紐帯とし、異邦人同士のコミュニティを形成している。日本国の例で言えば、東京都の《池袋異邦人街》、大阪市の《大阪異邦人街》などが存在する。《大変容》初期の頃と比べれば、各都市の異邦人街に対する認知や許容は進んでいるものの、あくまで異邦人街として、「地球」人の住むエリアとは区画されるのが普通である。
 《池袋異邦人街》は常世学園の異邦人街とかなり近い性格を持っており、異邦人の街や観光地として社会に溶け込みつつある。しかし、常世島の外の異邦人街は《大変容》以前のアメリカの大都市に存在していた少数者集団が居住したゲットー(かつてヨーロッパに存在していたものとは別である)と近しいような性格を持つものも少なくなく、そういった異邦人街の治安は必ずしも良いものではない。こういった異邦人街は、「異邦人スラム」や「異邦人スクワット」(スクワットは不法占拠区の意)と呼ばれる。必ずしもスラムとなっているわけではないものの、雑多で猥雑である。多くの場合は《大変容》当時の混乱に乗じる形で、廃屋や廃墟となったエリアを不法に占拠した形になっている。
 異邦人は「地球」人から異邦人として見られているという共通性はあるものの、異邦人同士もそれぞれの間柄は「異邦人」である。故に、必ずしも異邦人同士が団結するとは限らず、「異邦人スラム」や「異邦人スクワット」では価値観などの衝突により、いざこざが発生することも少なくない。こうした問題を「地球」の諸国家は解決しようとはしているものの、既に異邦人街として成立したコミュニティを破壊することは困難であり、故にこそ常世学園の「異邦人街」がモデルケースとして注目されている。
 異邦人スラム/スクワットから常世学園の異邦人街に来た異邦人は、少なからず驚くとされる。常世島の異邦人街も渾沌としてはいるものの、異邦人による自治が認められており、それぞれの文化を尊重した作りがなされている。「地球」人の居住も多いのが特徴であり、常世島の外の異邦人街ではそういった例はまだ少ない。常世島の異邦人街は、自治性や自由性のために理想に近い異邦人街と呼ばれている。

異邦人と「地球」社会

 現在は21世紀初頭の混乱も落ち着き、異邦人の存在も自明のものとなった。「地球」の多くの人間は彼らの存在を認めているものの、心理的な障壁が完全に失われたわけではない。異邦人への差別意識も根強く残っている。常世学園では学生や教師は皆平等であり、出身世界による差別は理念上否定されている。制度上にも区別はない。常世学園の学園憲章では、「地球」人も異邦人も等しく「人」として扱おうとしていると解釈できる。しかし、上述の通り「地球」人や異邦人間の壁が全て取り払われたといえるわけではなく、これからの課題となっている。

 理論上、無限とも言える「世界」から、あらゆる異邦人が「地球」に訪れることになるため、異邦人への対応は常に困難を伴う。「地球」の現生人類に近い異邦人だけでなく、「地球」における「生命」とは異なる知的存在の転移もあり得るため、それらを法的・倫理的にどのように取り扱うかは今なお一定していない。時と場合、国家やその内部の地域、コミュニティによるため、画一的な対応を取ることは難しい。受け入れられる異邦人もいれば、排斥される異邦人もいるという状況である。異邦人は自らの身分・出自を証明することが極めて困難であり、その来歴も基本的には当人が語るものを第一の証拠とする他ない。そういった点が異邦人の取り扱いを難しくしている。
 また、「地球」に存在する概念・現象と類似するものを異邦人が知っていたとしても、それらが「地球」のそれと必ずしも同一のものとは限らない。代表的な例としては「吸血鬼」という存在が挙げられるだろう。「地球」における吸血鬼と異世界における吸血鬼では、その歴史やあり方が大きく異なる場合があるのである(とはいえ、これは地球の諸国家でもあり得る話である)。同じ言葉を用いていながら意味するところが異なることは、不幸なすれ違うをこれまでにいくつも生んできた。
 人権や市民権、帰化の問題も様々な問題により議論が続けられている状態である。特に、異邦人の法的な身分をどのように定めるかというのが、非常に難しい問題として知られる。当然ながら、「地球」諸国家の法は現生人類を対象としたものであるためだ。あらゆる存在の形が想定される異邦人全てを包括する法を作成することは、実際問題として不可能に近い。
 少なくとも人道的には異邦人にも人権は存在し、帰化も認められるべきものである。しかしながら、異邦人の価値観が「地球」人と大きく離れている場合は、既存の社会への帰属も困難となる。「地球」人類がこれまでの歴史の中で獲得し、培ってきた平和や自由の概念そのものが存在しない異世界とてありうるのだ。そういった価値観をもつ異邦人に対し、「地球」人の価値観を理解させるのは容易ではない。異邦人全体を一律に扱うことの難しさの一例である。故にこそ、対処に困った場合は常世学園へと異邦人を入学させる、保護させるなどの行為も行われるのである。

 常世学園においては、自ら「人」(ここで言う「人」とはかなり広い意味合い持つ。いわゆるホモ・サピエンスに限定されるものではない)であろうとする者、「地球」の社会に一時的であれで所属しようとする者、学生または教職員となろうとするものであれば、異邦人であろうと「地球」人と区別なく受け入れることが基本であり、そうすることが理念上求められている。無論そのように上手く事が運ぶケースばかりではないが、異邦人の受け入れという点で言えば、常世島とその外ではかなりの違いがある。
 異邦人の性質上、常世島で暮らしていくには多くのサポートが必要であるため(無論、そういったサポートを受けられない者や、受けずとも問題ない者もいるだろう)、制度をしっかり利用すれば様々な援助を受けることができる。同様のサポートは「地球」人であっても受けることは可能だが、異邦人への特別待遇であると認識する者もいるため、常世学園内で軋轢が存在しないわけではない。

 現在の「地球」における異邦人の総数は不明である。「地球」人と異邦人を即座に見分けるという方法を確立することは極めて困難であるためだ。《異能》や《魔術》によって姿形が変容した「地球」人の存在もあり、姿形だけで判断することはできない。《大変容》の初期はどの国家においても戸籍が非常に混乱したため、その混乱に乗じて「地球」人として過ごしている異邦人も存在するといわれているが、その実態もまた詳細は不明と言わざるを得ない。
 総数は不明とは言え、異邦人がマイノリティであることに違いない。異邦人の立場としては移民や難民に近いところもあるが、移民・難民は国家の違いはあれど「地球」の人類である。異邦人の場合はそうではなく、「地球」人の価値観とどうしようもないほどの相違がある場合、そもそも生命としての形が異なる場合がある。故にこそこの問題は難しく、結局のところそれぞれの異邦人のケースごとに対処するしかなく、一括した対応が「地球」諸国家では取れていないのが現状である。

 《大変容》から数十年が経った現代では、生まれた時から異邦人の存在が自明のものとなっている世代も多いため、そういった感情を持つ者は少なくなって来ているものの、一部の「地球」人の間では異邦人への強い忌避感は今も存在する。特に、《大変容》直後は異邦人を脅威と見なす風潮が強くあった。《第三次世界大戦》で異邦人と「地球」人の間での戦乱や、両者の価値観の違いというだけでなく、「地球」よりも発展した文明や存在への恐怖である。霊長の座を奪われるのではないかという根源的な恐怖が、《大変容》後の異邦人への迫害や対立・戦いなどに繋がったことは否めない。
 常世学園では、そういった異邦人への恐怖・脅威論を緩和するために、常世島の異邦人の生活に関して、そして異世界に関して積極的な発信を行っている。既に「門」が開かれた以上、異邦人を「地球」上から追い出すことはできない。融和が必要なのである。常世学園が異邦人を積極的に受け入れているのは、「地球」人との対立を深める前に、「地球」に住む人類の文化・文明、あり方を異邦人に理解してもらうために他ならない。

常世学園における異邦人の進路

 上述したような「地球」諸国家での異邦人の扱いの難しさを考えれば、常世学園の異邦人学生の「進路」という問題も容易ならざるものであることが理解されるだろう。
 結局のところ、上手く「地球」という世界に馴染むことができたのならば、異邦人であろうと「地球」で活躍することは十分可能である。《大変容》後の人類の総数の激減からの復興に伴い、ある種の能力主義的な風潮も社会の中に生まれており、社会にとって有用であるのならば異邦人を受け入れる国家や企業は多い。そのため、「地球」社会での栄達などを望む異邦人は、積極的に学び、自らの能力を示そうとするケースが多い。そうすることによって、特定の国家での市民権の取得が容易になる場合もあるためだ。
 しかし、能力によって「人」の扱いが変わるような社会は常世学園の理念とは異なる。無論通常の社会において、優秀な存在が選ばれることは珍しい話ではない。だが、そうでなければ異邦人の「地球」社会への参画が許されないという事態は、常世学園が否定するものであり、国連でも否定されている。

 異邦人支援を行う団体・企業も「地球」には多く存在しており、常世学園卒業後の異邦人の生活・市民権の取得のサポート、就職の支援はかなり拡大している。そういった異邦人支援の組織の多くは常世学園発である。学園の卒業生を受け入れるための企業も存在しており、そういった企業は異邦人がCEOなどの役職に就いている。こういった団体・企業の設立は学園としても応援しており、学生起業プログラムはこういった異邦人の進路の問題を解決するために作られた制度である。
 そういった支援団体は存在するとはいえ、常世学園と学園の外の社会は必ずしも同一ではない。卒業後、身を置く場所を見つけられずに常世学園へと戻る異邦人の卒業生も存在する。そういった異邦人の再入学も認められる他、教職員としての採用も行われている。「地球」社会への参画という観点でいえば根本的な解決にはなっていないが、やむを得ない措置であるといえるだろう。
 また、自らの故郷を帰ることを重視する異邦人の場合、常世学園からの卒業を望まないものもいる。「門」や異世界の研究の最先端は常世学園であるためだ。そういった学生の場合は、卒業を延期し続けるか、もしくは研究員・教職員として学園に残るケースが多い。

 卒業後の異邦人の「地球」諸国家での市民権の取得についてはケース・バイ・ケースであり、一概に言うことはできない。問題なく取得できるものもいれば、そうでないものもいる。しかし、「門」を積極的に開き、異邦人を元の世界に送還することも、基本的には不可能である(成功例もある)。異邦人を放逐することはかつての《第三次世界大戦》のような事態を引き起こしかねないため、可能な限り諸国家は異邦人の受け入れに努めている。

 結局のところ、社会への適応性を証明することが最も重要な点であるため、常世学園という「学園」「学校」での学びが非常に重要といえるだろう。
 常世学園は、異邦人もまた「地球」を含む諸世界の「同胞」として定位することを理想としているのだ。

※異邦人の中には、周囲にも受け入れられて、問題なく「地球」人と融和して生活を送っている者も存在する。本項で記載した内容は一例であり、全てではない。


【PL向け】

 世界観設定的には、異邦人の多くは帰る手段を持たず、「門」も一方通行であり、自由に「門」を開いて元の世界に帰ることは極めて困難な設定になります(サイト開設当初よりの設定になります)。
 しかし、これは異世界、すなわち別のPBCサイトや定期更新ゲームなどからのコンバートを禁止するものではありません(逆も然りです)。自由な世界間の移動もしていただいて構いません。ただ、世界観設定上は、帰る手段を持たない異邦人が多いということはご理解ください。
 必ずしも深刻・シリアスな設定にして頂く必要はありません。それはPLやPC次第です。このあたりの温度感は個々人によって異なると思いますので、注意が必要な場合は名簿などに明記するようお願いします(異邦人への差別的描写などを望まない場合など)。こういった注意書きを行うことは、利用者がお互いに楽しむための方法の一つと思われますので、全く問題ありません。